ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

筑波山に見守られ りんりんロード(筑波⇔小田)

2017年06月02日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2017年6月2日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成29年度第8回(2017年第21回)、「つくばりんりんロード(筑波⇔小田)
ウォーキングに参加した。
旧筑波鉄道筑波駅をスタートし、りんりんロードを小田城跡まで行き、
小田城跡を見学して、またりんりんロードを戻って来るというものである。

この日の第一集合場所は乙戸沼公園
集まったのは12名、ちょっと少ない。


筑波山口に到着してみると、直行した人は2名だけ。
20名は集まるかと思ったが、合計14名はいつものほぼ半数だ。
筑波山口から小田城跡までの往復ということで、距離が15Kmと長いのと、
暑い中、あまり変化がないとされるりんりんロードを歩くということが
敬遠されたのかも。


筑波山口から見た緑に覆われた筑波山


Oさんの号令でいつもの準備体操
『腕を回して~っ』


『最後に大きく深呼吸~っ』


10時1分、Oさんを先頭に出発!


皆さんが後ろに続く。


筑波山口近くの桜並木は、木が小さい。
植樹されて日が浅いのだろう。


『がんばれよぉ』
振り返ると、筑波山が応援してくれている。


小田城跡を目指す。


10時12分、岩瀬から21Km地点を通過
筑波山口(旧筑波鉄道筑波駅)がりんりんロード(土浦~岩瀬)の
ちょうど真ん中(20Km)になるので、1Km歩いたことになる。


桜の木が先ほどより少し大きい。
陽が当る場所と木陰が交互にやって来る感じ。


前方左手に宝篋山が見えて来た。
『あの山の麓が小田城跡だよねっ』
小田城址は、まだまだ大分先である。


信号はないが、車が数台往来するタイミングだったため、
停止して車を先に通しているところ。


10時34分、水分補給のため一休みしよう。
この日の予想最高気温は30度、水分補給が熱中症対策には一番だ。


男性陣は、木陰で一息入れている。


休憩を終え、再び小田城跡を目指す。


10時46分、岩瀬から23Km地点を通過
この辺りには小規模な中古車販売店が多い。


『”オイル交換一生無料”って、その分車代に入ってんじゃないのぉっ?』


左手に北条の家並みが見えてきた。


北条の辺りは桜の木が大きい。
『きっと桜がいっぱい咲いていたんでしょうねっ』
『桜が咲く頃に歩いてみたいわねっ』


10時52分、北条入口を通過


一転、桜の木がまばらになった。
『木陰が欲しいねぇ』


11時1分、カスミ北条店を通過し、


続いて筑波高校を通過すると、


11時9分、旧北条駅跡に到着。
2度目の休憩を摂る。


『小田城跡までもうちょっとかなっ』


国道125号だ。


11時18分、国道125号下のトンネルを抜けると、


桜の木のトンネルが待っていた。
桜の木が直射日光を遮ってくれるので、暑さは感じない。
時折吹く風が涼しく心地良い。
『ここはほんとに気持ちが良い道よねっ』


広域農道を横切る形で通過


つくば市筑波農協
『カントリーエレベーターって何のことだろうねっ?』
後で調べたら、
籾を貯蔵する巨大なサイロや穀物の乾燥施設・調整施設などの設備に加え、
穀物搬入用の巨大なエレベーターがあることからカントリーエレベーター
という名前が付けられた、そう。


道の両側いっぱいに咲く花が目を楽しませてくれる。
『きれいだね~っ』


しんがりを務める会長とTさん。
足取りは軽い。


宝筐山が大分近くになってきた。


筑波山から宝筐山を一度に望む。


11時35分、岩瀬から26Km地点を通過、筑波山口から6Km歩いたことになる。
2度の休憩を入れて1時間35分、時速はほぼ4Kmだ。
快調なペースと言えるだろう。


桜並木が続く。


小田城跡を目指す。
桜の木が片側にしか植えられていない個所もある。


『立派な塀のお家だよね~っ』


長い塀を過ぎた辺りの11時48分、岩瀬から27Km地点を通過
『まだ先ということは、往復14Km以上は歩くってことなのよねっ』


塀の家を過ぎて数分、小田城址の碑が現れた。
『着いたのかしらっ?』
小田城跡はもう少し先である。


小田城址の碑の傍に建つ天文七年(1538)作の石造五輪塔
県指定文化財になっている。
本丸跡の見晴台にあったものをここに移したと思われる。


「小田城歴史ひろば案内所」
帰りに立寄ることにして、先ずは小田城跡へ。


五輪塔群を左手に見ながら進むと、


正面に小田城跡の復元された土塁が見えてきた。
つくば市が、平成21年度(2009)から7年間かけ、発掘調査を行い、
その結果をもとに城跡中央の本丸跡とその周辺を中心に、
中世の小田城を体感出来る「歴史ひろば」として、復元整備したものである。


11時58分、小田城跡に到着した。
2012年8月31日(金)に訪れた時には、一部だけ復元されていた土塁だが、
きれいに復元されていた。
『昔はこんな土塁に囲まれてたのかぁ』


復元された城跡へ
『いやぁ 中はけっこう広いなぁ』


『宝篋山が真正面って感じだねっ』


『立派な公園、素敵だねっ』


城主の屋敷などがあった跡(1)
調査で確認できた建物と大きさが示されている。


城主の屋敷などがあった跡(2)


本丸跡辺りから見た景色
筑波山もはっきりと見える。


パノラマ写真で見るとこんな感じ


四阿(あずまや
発見された建物跡の柱位置や大きさをもとに、
休憩施設として設けられている。


ちょうどお昼(12時4分)である。
お腹も空いたことだし、ここで弁当にしよう。


筑波山(左)と宝篋山(右)


『いやぁ 筑波山と宝篋山の両方を眺めながらの弁当って最高だねっ』


筑波山が一段と美しい姿を見せる。
『昔もこんな感じで筑波山を見てたんだろうなっ』


『天気は良いし、今日の弁当は最高に美味いっ!』


しかし、弁当を食べ終わる頃には、雲行きが怪しくなってきた。


土塁を半周して戻ることにしよう。
階段を上り、東虎口の土塁上へ。
土塁は、本丸の地面から2mの高さに盛られている。


土塁の上から東堀・東橋を望む。
東橋を渡った先は、小田氏時代の大手口(正面)と考えられ、
東橋は、最終期は木橋と土橋の組み合わせで、それ以前は木橋だった、そうだ。


復元された堀は、埋まっていた部分を掘り直した、とのこと。
今は空堀だが、そのうち水を張るのだろうか。


復元された土塁の上を進む。


土浦方面へりんりんロードが続いている。
りんりんロードは、手前で大きく右へカーブしているが、
かつての筑波鉄道は、城跡のど真ん中(今立っている真下)を
真っ直ぐに走っていたのだ。


土塁の上(通称涼台)から城跡の南部を望む。
手前の池は小田氏時代に使われた庭園の東池で、
池底には石を敷き、州浜(すはま)もあった。


土塁を下りて建物域の本丸跡を通り、小田城跡を後にする。


「小田城歴史ひろば案内所」(無料)をちょっとだけ覗いてみよう。


小田氏は、小田城歴代の主として、常陸国南部に勢力を持った一族。
小田氏15代、四百年の物語が歴史絵巻風に展示されている。


鎌倉時代、初代八田知家は藤原北家の流れをくむ宇都宮氏と同系の氏族で、
源頼朝の信任が厚く、最初の常陸守護に任じられた。


南北朝時代、小田氏は南朝方につき、その重臣である北畠親房を迎え、
南朝方の関東での拠点として戦った。
親房が小田城で「神皇正統記」を執筆したことも著名。


室町時代に小田氏(八代孝朝他)は、関東で最も格式の高い名家を指す
「八屋形」(千葉・小山氏など)の一つに数えられた。


戦国時代の十四代政治も常陸南部で最大の勢力だったが、16世紀中頃には、
相模の後北条氏や越後の上杉氏、常陸北部の佐竹氏に挟まれ、小田城は、
何度も戦いの舞台になった。


十五代氏治は、後北条・結城・佐竹・上杉氏と戦い、小田城は何度も落城するが、
氏治はそのたびに土浦城に逃れ、小田城の奪還を繰り返した。
しかし、永禄十二年(1569)の手這坂の合戦で敗れて小田城を奪われ、
以後、小田城は佐竹氏の支配下となり、関ケ原の合戦後の慶長七年(1602)、
佐竹氏の秋田移封により廃城となった。


小田城遺構復元広場(映像)


小田城遺構復元広場の配置図(映像)


雲行きが怪しい、ゆっくりしている余裕はない。
直ぐに戻ることにしよう。
『雨に降られなければ良いんだけどな・・・』


次第に風が強くなってきた。
怪しい雲に向かって吹く風である。


正面から風をまともに受ける。
『帽子被ると飛ばされちゃうのよ』


風速15m以上はあるのではないか?
真っ黒い雲が後方へと流されて行く。
風はまだ強いが、これで一応雨の心配はなくなったようである。


カントリーエレベーター近くの広域農道分岐点を通過し、


13時11分、土浦から14Km地点を通過
『ということは、あと6Kmなのよねっ』


筑波山口を目指す。


筑波山がくっきりと見えて来た。


桜並木のトンネルが続く。
『ここは、ほんとに気持ちが良いよねっ』


筑波山口を目指し、桜の並木道を進む。


依然として風は強い。


右手に筑波総合体育館が見える。
まもなく国道125号である。


筑波山口を目指し、桜並木を進む。


13時26分、国道125号下を抜け、


13時31分、旧北条駅跡に到着。
ここで一休みしていこう。


『いやぁ 風が強いのには参ったなぁ』


筑波高校のグラウンドでは、綱引きが行われていた。
『これって本番なのかしらっ?』


13時47分、岩瀬から24Km地点を通過
筑波山口まで残り4Kmだ。


左手につくば北警察署を見ながらゴールを目指す。


筑波山が次第に大きく、はっきりと見えるようになった。


この頃には、風も次第に弱まって、心地良い風となってきた。


『今日はず~っと筑波山が見れて良かった~っ』


筑波山が美しい姿で迎えてくれている。


筑波山口を目指す。


14時15分、土浦から18Km地点を通過
筑波山口まで残り2Km。


筑波山口を目指す。


後方の男性陣との距離は100mほど。
その距離は後半は終始変わらない。


『クワの実が生ってるよっ』


『甘くて美味しいねっ』
『子供のころよく食べたわよねっ』


筑波山が迫ってきた。
『筑波山をず~っと見ながらなんて、りんりんロードも
案外捨てたもんじゃないわよねっ』
この一言、この日参加しなかった人に聞いてもらいたい。


14時30分、土浦から19Km地点を通過
ゴールまで残り1Kmだ。


ゴールの筑波山口へ。


筑波山がお迎えだ。
『おかえりっ、よく頑張ったなっ』


『朝はこんな碑があるとは気が付かなかったよなぁ』


りんりんロード桜並木発祥の地碑
多くの人々にやすらぎと美しさを楽しんで戴けるよう、全線40余キロの
壮大な桜並木計画し、平成十年三月一日植栽を始めた。
桜並木発祥の当地に趣意と決意を録し、碑を建立する。
平成十年三月一日 リンリン道路さくらの会


筑波駅の石柱碑を通過し、


14時42分、ゴールの筑波山口に到着だ。
『いやぁ やっと着いたねぇ』


締めの整理体操をして・・・


『最後に大きく深呼吸をして~っ』
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


今回の筑波山口から小田城跡往復ウォーキングで、当会としては、
りんりんロードの全ての区間を歩いたことになる。
自分の入会以前には、桜の時期に歩いたこともあるそうだが、
自分としては桜の季節は未だ歩いたことはない。

りんりんロードの桜並木はまだ木が若すぎて、
桜の花はあまり大したことはないのではと思っていた。
しかし、この日歩いてみて、桜の木もけっこう大きく育っていると感じた。
一度桜の時期に歩いてみるのも良いのかなと思った次第である。

この日の万歩計は、23,000歩を計測していた。

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