ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

八景を求めて 金沢八景歴史探勝(横浜)

2017年05月27日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2017年5月27日(土)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成29年度第7回(2017年第20回)、「金沢八景歴史探勝(横浜)
ウォーキングに参加した。
京浜急行金沢文庫駅から称名寺・海の公園・野島公園・琵琶島神社を巡り、
金沢八景駅まで散策しようというものである。

この日の行先は横浜のため、「休日お出かけパス」利用が得な土曜日とした。
土浦駅(荒川沖駅)からだと、往復3,326円なので、「休日お出かけパス」
(2,670円)は650円ほど得になる。

荒川沖駅7時38分発の電車を待つ。


常磐線車内
土浦駅から11名、荒川沖駅からは17名が乗り合わせ、
この日の参加者は、28名となった。


上野駅で東海道線に、横浜駅から京浜急行に乗り換え、


10時15分、金沢文庫駅に到着


金沢文庫駅東口を出発し、駅近くを走っている国道16号を横断。


100mほど横須賀方面へ行くと、「称名寺境内」 「金沢文庫」の案内表示。
案内表示に従って左へ。


住宅街を進む。
藻の日、都合により不参加のOさんに代り、先頭を務めるのはTさんである。
『Tさん よろしくっ!』


しばらく住宅街を進むと、金沢文庫への近道の表示が。
ここは案内に従うべきだろう。


庭には色とりどりの花が植えられ、目を楽しませてくれる。
『素敵だよねっ』


住宅地を進むと、


金沢文庫に到着した。
金沢文庫は、鎌倉時代中期に北条実時が所蔵する和漢の書物を
収めるために設けた私設図書館である。
館内では当時の資料と称名寺に伝わる文化財を展示する。
入館料500円(特別展は別途)


時間的な都合で、館内の見学はパスして、次の称名寺へ向かおうとしたが、
道が見つからない。


金沢文庫の奥に趣のある門構えがあったが、これは個人の家だった。
その先は山の奥へと続いており、称名寺への道ではなさそう。


引き返すかどうか迷ったが、近くの住人らしき女性がいたので、
称名寺への道を訊ねると、金沢文庫の横の小さな通路を教えてくれた。
『此処を行けば良いんだ』


その奥はさらに細い通路になっていた。
『いやぁ これじゃぁ 分らないよねっ』


通路を進むと、右手に金沢文庫の裏の入口があった。
称名寺の国宝・重要文化財の大部分は現在の金沢文庫が管理しているそうで、
入口は、称名寺を向いている。


金沢文庫入口の前がトンネルになっていた。
『このトンネルの向うが称名寺なんだっ』


トンネルを抜けると、称名寺の庭園が広がっていた。


庭園を右手に進むと、目の前に称名寺の苑池が。
先ほどまで歩いて来た住宅地とは全く異なる景色が広がっていた。
『まるで別世界にタイムスリップって感じだねっ』


金堂へ渡る反橋が見える。


さらに進むと、右手に新宮古址と刻まれた石柱と
その奥に社のような建物が。


堂々たる構えの仁王門
称名寺の仁王門は文政元年(1818)の創建。


阿像
仁王像(金剛力士像)は、胎内墨書により、元享三年(1323)の
院興らの作であることが判明しており、関東における最大の金剛力士像
だと云われている。
神奈川県指定重要文化財


反橋を渡り、


続けて平橋を渡ると、


正面が本堂(金堂)だ。
称名寺は、真言律宗別格本山の寺院で、山号は金沢山(きんたくさん
称名寺は、13世紀中ごろに金沢北条氏一門の菩提寺として建立された。


本尊は弥勒菩薩である。


釈迦堂


”称名の晩鐘”は、金沢八景の一つとなっている。


称名寺絵図(重要文化財)をもとに復元された浄土式庭園が広がる。
苑池と朱塗りの橋が美しい浄土式庭園は、四季、花に彩られる。
金堂前の苑池を中心とする浄土式庭園は、元応二年(1320)、
金沢氏3代貞顕の代に整備されたもので、発掘調査を経て
昭和62年(1987)に復元された。
浄土式庭園とは、浄土曼荼羅に基づいて配置された庭園のことで、
平安時代末期に盛んに造られた。
称名寺の境内は、国の史跡に指定されている。


反橋を渡り、次の目的地へ向かう。


仁王門を通り過ぎ、称名寺参道を進む。


称名寺塔頭(たっちゅう)光明院(こうみょういん)表門
光明院は、称名寺の塔頭のひとつで、「新編武蔵風土紀稿」に
「光明院、仁王門に向かって左にあり、五院の第一﨟(ろう)なり、
本尊地蔵春日の作なり」とあり、江戸時代後期には、五つの塔頭の
一位を占めていた。
この表門は、小規模な四脚門だが、和様を基調に禅宗様を加味した意匠。
寛文五年(1665)の造営で、横浜市内で最も古い建造物。
横浜市指定有形文化財(建造物)


参道の先に総門(赤門)がある。


総門(赤門)を潜り、称名寺を後にして、


金沢シーサイドラインの海の公園柴口駅を目指す。


住宅街を海の公園柴口駅方面へ。


『道路の向いが柴口駅みたいだねっ』


柴口駅前の信号を渡り、


駅舎を抜けると、海の公園柴口駅の東口に出た。


石段を上り、


松林を右手に見ながら進むと、


海岸に出た。
横浜で唯一の海水浴場がある人工ビーチである。
3~6月には潮干狩りで賑わうと聞いていたが、
まさに砂浜は大勢の人で賑っていた。
『いやぁ 人がいっぱいだぁ』


海を挟んだ対岸は、八景島シーパラダイスだ。
八景島側には人工の磯が広がり、夏は磯遊びや釣りが楽しめる、とのこと。


パノラマ写真
人工砂浜の砂は、千葉県富津市から運ばれて来たもの、だそうだ。


松林と砂浜の間にある歩道を進む。


『暑いけど適当に風があって気持ちが良いよねっ』


海の波打ち際も人が一杯だ。
松林の木陰(歩道の左側)にはたくさんのテントが張られていた。


歩道の右側もたくさんのテントが。


海岸の人出の様子
潮干狩りを楽しんでいる。海の公園の潮干狩りは無料だそうだ。
『無料で潮干狩りが出来るってのは良いねぇ』


手足についた砂を洗い落とす設備もある。


砂浜近くの草の上にもテントがびっしり。


海岸の様子
これほどの人出は想像以上である。
『いやぁ もの凄い人だなぁ』


人工砂浜が終わると、次は金沢シーサイドラインに沿って進む。
高架橋の下を進む。


『ちょうど日除けになって良いわねっ』


11時34分、金沢警察署洲崎交番前を通過


金沢シーサイドラインから野島運河の対岸の様子を見る。
こちらは、人工ではなく自然の海岸である。
後ろの小高い山が目指す野島山(海抜57m)と思われる。


一生懸命に潮干狩りをしている。
こちらも無料だそうだ。
『それにしてももの凄い人だねぇ』


濃いピンクのタチアオイ(立葵)
『きれいだねっ とっても』


野島公園駅が見えてきた。


野島橋で野島運河を渡り、対岸へ。


野島運河


野島運河を渡って直ぐに左に折れ、運河に沿って海岸方面へ。


『あらまぁ 小さいけど立派に生ってるじゃないのっ』
自然のビワがもう直ぐ食べごろだ。


金沢八景教会前を通過して少し進んで左へ折れると、


11時49分、伊藤博文別邸に到着した。


見学は無料だが、時間がないため、玄関を入っただけで失礼し、
外から建物を観て回ることにした。


伊藤博文別邸の裏に廻ってみると、
『あらぁ 海が真ん前じゃないのっ』


伊藤博文別邸裏は海岸になっていた。
『みんな潮干狩りしてるみたいだねっ?』
バケツやクーラーボックスには、かなりのアサリなどが入っていた。


八景島は目の前だ。
『海の香りがするわねぇ』
海岸いっぱいに青のりの匂いが広がる。


伊藤博文別邸
平成21年に復元工事が施された、明治31年(1898)建築の
茅葺き寄棟造りの建物。
大正天皇や韓国の皇太子も訪れたという。


邸内には伊藤博文に関する資料と調度品を展示している。


既に花期は終わったが、牡丹園もある。
広い庭園には18種・205株の牡丹が4月中旬〜5月にかけて咲き誇る、
とのこと。


伊藤博文別邸を一回りすると、牡丹園入口に出た。


駐車場近くの松林は、ほとんどキャンプ場といった状態だ。
松の木の下は、テントだらけである。


海抜57mの野島山展望台を目指す。


少しばかり急な坂道を野島山山頂(57m)へ。
『今日のコースは、平坦って書いてあったけどねっ』
当会にとって海抜57mは、平坦のうちなのだ。


山頂への途中、木々の隙間から人工砂浜と金沢漁港が見えた。


12時5分、野島山山頂に到着


早速弁当にしよう。
旨い具合に、山頂には適度な数のベンチと椅子があった。


『ベンチも椅子も揃ってるとはラッキーだよねっ』
広い山頂には、我々以外には殆ど人はいなかった。
たまに何人かが上って来ただけだった。


『あっ トビが飛んでるよっ』
『気を付けてっ!』


この直後に女性たちの悲鳴が聞こえたと思ったら、
あっと言う間にTさん(左)が手にしていたパンが
トビにかっさらわれてしまった。


昼食後、展望台へ。


『いやぁ ここからの眺めは素晴らしいねぇ』


展望台からの景色(1)


展望台からの景色(2)


展望台からの景色(3)


展望台からの景色(4)
あいにく富士山は見えなかった。
(肉眼ではかすかに見えたが、デジカメには収められなかった)


展望台からの景色(5)
横浜のゲートブリッジ


展望台屋上で記念撮影を済ませ、


念のため展望台をバックに記念撮影し、


12時57分、野島山を後にした。


上って来た道とは違う道を下りる。


『天気が良くて気持ち良かったわねっ』
『ほんと良い所だったよねっ』


『けっこう急な石段だなぁ』
『気を付けてっ!』


石段を降りた所に野島稲荷神社があった。


地図があったので場所を確認しようとしたが、
公園の周囲は省略されており、北が逆方向を向いているので、
初めて訪れた者にとっては、どういう風に進めば良いのかが分らない。


近くにバーベキュー場があり、


その傍に管理場があったので、夕照橋への行き方を教えてもらった。


夕照橋を目指して松林の中を進む。


教えられた通りに進むと、運河と並行する道に出ることが出来た。
後はこの道を真っ直ぐ進めば夕照橋の筈だ。


夕照橋を目指す。


左前方に夕照橋らしき橋が見えて来た。


夕照橋だ。


この辺りから見えた景色が金沢八景の一つ”野島の夕照”かも知れない。


夕照橋から右手の平潟湾を見たところ。
”乙艫(おっとも)の帰帆”は、金沢八景の一つとされている。
潮が引いたところでは、潮干狩りをしている人もいたが、その数は少ない。


夕照橋を渡り、平潟湾に沿って進む。


金沢シーサイドラインの列車が走っているのが見えた。


侍従川を渡る。


平潟湾沿いの道には、いろんな木が植えられている。
カリステモン(ブラシの木)の花が咲いていた。
『ブラシみたいな花だねっ』


平潟湾には、ヨットが停泊されていた。
『ヨットまでどうやって行くのかねぇ?』
『ボートで運んでもらうのかねぇ?』


金沢シーサイドラインの電車がちょうど頭の上を通り過ぎて行った。


平潟湾を眺めながら進む。
”平潟の落雁”は、金沢八景の一つとされている。


右手に琵琶島神社が見えてきた。


13時41分、琵琶島神社に到着
横浜金沢七福神の一つである弁天様が迎えてくれる。


琵琶島神社の鳥居を潜って参道を進む。
神社は、平潟湾に臨んで琵琶の形にせり出した小島に祀られている。


琵琶島神社境内から平潟湾を望む。
琵琶島神社近くから見る”洲崎の晴嵐”と”瀬戸の秋月”が、
金沢八景とされている。


琵琶島神社に参拝
鎌倉時代の征夷大将軍源頼朝の妻、北条政子が近江の竹生島から勧請した
弁天様が祀られている。


琵琶島神社で最後の休憩を摂り、


京浜急行金沢八景駅へ向かう。


13時56分、金沢八景駅に到着


ホームに上がると直ぐに電車が来たので、一度は乗ったのだが、
切符を買ってる人がまだホームに上がって来ていない、と云うので、
いったん電車を下りた。
何人かは電車に乗った状態だったため、そのまま行ってしまった。
切符を買うのに手間取って遅れてやって来た人と一緒に、
次の電車を待っているところだ。


横浜駅で東海道線に乗り換え、


品川駅で常磐線の始発に乗り換える。


『始発だからゆっくり座って帰れるねっ』


この日の思い出話は尽きない。


『冷えたビールが美味いっ!』
『お疲れさま~っ』

『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』

この日は、金沢八景を求めて京浜急行金沢文庫駅から金沢八景駅まで散策した。
八景の由来は、江戸時代に心越禅師(しんえつぜんじ)が選んだ以下の八つの名景である
①称名の晩鐘 ②洲崎の晴嵐 ③野島の夕照 ④瀬戸の秋月
⑤乙艫の帰帆 ⑥小泉の夜雨 ⑦平潟の落雁 ⑧内川の暮雪、による。
現在は、入江の形が大きく変わっているため、当時の姿としては
称名寺の晩鐘の他は見ることができなかった。
ただ、いくつかの景色を除き、金沢八景のかつての面影は
偲ぶことができたように思う。

この日の万歩計は、15,000歩を計測していた。

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