ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

江戸の昔に想いを馳せる 箱根旧街道を歩く

2018年04月27日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2018年4月27日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成30度第4回(2018年第14回)、「箱根旧街道を歩く」ウォーキングに参加した。
旧東海道箱根関所をスタートし、約6Km先の畑宿に向けて歩くものである。
逆方向を歩くことも考えたが、上りは苦手という人もいることから、
箱根関所からということにした。

6時14分、予定より6分ほど早く三中公民館に城南交通のバスがやって来た。


23名の申込みがあったが、体調不良で2名が不参加。
結局この日の参加者は21名となった。


首都高は渋滞が予想され、通過するのにかなり時間がかかるため、
つくばJCTから直接圏央道へ。


いつもの朝食弁当でお腹を満たす。


圏央道の両側には、水が張られた田んぼが広がる。
田植えの時期である。


7時3分、利根川を渡る。


7時22分、休憩を摂るため菖蒲PAへ。


引き続き圏央道を走り、高尾山トンネルを通過し、


東名高速へ。


右手に昨年11月24日に登ったばかりで記憶に新しい大山(1,252m)が見える。


東名道が左右に分離する辺り、突然富士山が視界に飛び込んで来た。
やはり雪を被った富士山は美しい。


見え隠れする富士山に一喜一憂しながら東名道を走る。
箱根は近い。


9時13分、足柄SAで2度目の休憩を摂る。


9時32分、御殿場ICで東名高速を降りて、


国道138号から芦ノ湖スカイラインへ。


芦ノ湖スカイラインから国道1号で箱根町へ。


10時25分、箱根駅伝ミュージアムに到着した。
三中公民館を出発して約4時間が経過していた。
ここで昼食弁当を受け取り、


先ずは芦ノ湖をバックに記念撮影だ。
(後ろに富士山の姿があるのだが、写真では全く見えない)


箱根町港で準備体操
『膝を曲げま~すっ』


箱根町港で準備体操
(後ろに見えるのは海賊船ロワイヤルⅡ)


10時45分、TKさんを先頭に出発!


TKさんの後に続く。


芦ノ湖の後方に富士山が顔を覗かせる。


”関所への近道”とあったので標識に従って進むと・・・


そこは土産物店に通じていた。
『やっぱりなっ』
その中を(ちょっと後ろめたい気がするが)何も買わずに通り抜け・・・


反対側の”関所への近道”を出ると、


箱根関所の京口御門があった。
箱根関所は、主として諸大名の謀反防止のために開設されたと云われる。


江戸末期に行われた箱根関所の解体修理の詳細な報告書
「相州御関所御修復出来形帳」が発見され、当時の箱根関所の全貌が
明らかになった。
そこで、建物の復元や関所周辺の環境整備を行うことになり、
残っていた史料をもとに、足掛け9年の歳月をかけて、平成19年に、
当時の姿に忠実に復元された。


箱根関所江戸口御門を出て、


箱根関所を後にした。
『まぁ関所を通り抜けられただけで充分だねっ』
(通り抜けだけは無料)


国道1号を箱根元町方面へ少し進むと、


箱根杉並木が始まる。
慶長九年(1604)、江戸幕府は街道に並木を植えるように命じた。


箱根の杉並木は樹齢350年ほどで、現在約400本余の大木が並んでいるが、


100年後には1/3程度になると危惧されている、とのこと。


”旧東海道箱根杉並木”の碑


杉並木を出た辺りに箱根旧街道一里塚の碑が。
日本橋より24番目の葭原久保(よしわらくぼ)の一里塚跡だ。


元箱根の箱根神社一の鳥居
箱根神社は、関東総鎮守として、源頼朝をはじめ後北条氏など
代々の武将の信仰を集めた。


”箱根旧街道石畳”の道標に従って、右に折れる。


箱根七福神の布袋尊を祀っている興福院の前を通り、


箱根旧街道石畳へ。


箱根旧街道石畳へ。


ケンペル、バーニーの功績を称える石碑があった。
ドイツ人の博物学者エンゲルベルト・ケンペルは、オランダ通商使節の一員として
元禄四年(1691)と翌五年に箱根を超え、箱根の美しさを世界に紹介した。
C・M・バーニーは、この地に別荘を持っていた英国の貿易商で、
大正十一年(1922)にケンペルの著「日本誌」の序文を引用し、
「自然を大切にするように」と碑を建てた。
左の英文はその原文だそうだ。


地図で現在地とここからの距離などを確認して、石畳へ。
『甘酒茶屋まで35分くらいってあるねっ』


階段を上ると、


11時21分、旧東海道、箱根の石畳の始まりである。


緩やかでもなく、それほど急でもない旧街道石畳を上る。
しかし、石畳の上は歩き難い。
滑って転ぶと大けがをするだろう。


早くも会長の足取りが重そうだ。
かなりきつそうな様子である。


権現坂
小田原から箱根路を上る旅人が、いくつかの急所・難所を喘いで辿り着き、
一息つくのがこの場所だった。
坂の長さが八町(約870m)あるので八町坂とも云われている。


先頭グループは、後続の速度に合わせるため、一休み中だ。


後続との距離を考慮しながら、ゆっくりと石畳を上る。


関所破りをした玉という娘が処刑された場所が近くだったことから、
「お玉が池」と名付けられた、ゆかりのお玉観音堂への参拝道を過ぎると、


旧街道はやや平らになった。
ストックを借り、懸命に後を追う会長。


少し先へ行っては、心配そうに後ろを振り返るYMさん。


馬子唄の碑
「箱根八里は 馬でも越すが 越すに越されぬ 大井川」と刻まれている。


二子山が見える。
二子山は二つあって、こちらは上二子山(1,091m)で、


こちらが下二子山(1,065m)である。
よく似ている。


12時7分、天ヶ石坂を通過


緩やかな下りの石畳が続く。


かなり急な所もある。
『いやぁ これは滑ると危険だねっ』


急勾配の石畳


白水坂の碑からこぼれ落ちた賽銭を拾い集めて元の場所に戻している。
『賽銭がこぼれ落ちてるのよね~っ』
『こんなのを見るとほっておけないのよっ』
「白水坂」と表記されている坂道を土地の古老は「城見ず坂」と呼ぶ、そうだ。
天正十八年(1590)豊臣秀吉が小田原攻略の時、小田原北条方の軍勢が、
尾根上から大量の石を落したため進軍を阻まれ、やむなく引き返した、
という云われがある。


間もなく県道732号(旧東海道)を交差する場所だ。
何とか会長もここまで自力で歩いて下って来たが、
石畳から既に1時間以上を経過している。


ここからゴールの畑宿バス停まではまだ3Kmほどはある。
途中の七曲り坂(樫木坂)は、下りでもかなりきつい。
ここは、申し訳ないが、会長にはバスで行ってもらうことにした。
TKさんが付き添いとして一緒に行ってくれることになった。


二人と別れて、旧街道を下り、


12時30分、甘酒茶屋に到着した。


ここで、昼食を摂ることにした。
甘酒茶屋の店員さんに訊くと、ベンチは自由に使っても良い、とのこと。
この日の弁当、なかなか洒落た入れ物である。


おにぎり2個と別の器におかずが入っている。
なかなか美味しかった。


弁当風景(1)


弁当の最中、2人を乗せた湯本行のバスが甘酒茶屋前を通過して行った。


弁当風景(2)


弁当風景(3)


「甘酒茶屋」
この茶屋は畑宿と箱根宿のちょうど中ほどにあり、旅人が一休みするには、
適当な場所だった。
当時この茶屋は、箱根八里間で13軒あり、甘酒を求める旅人で賑わった。


「甘酒茶屋」
参勤交代の諸大名もこの茶屋で休息したとある。


中へ入ると、女性たちが甘酒を飲んでいた。
『熱くてとっても美味しいよっ』


甘酒を注文した。
フキノトウの漬物が付いて400円だ。
熱かったが、正直今までで一番美味しい甘酒だった。


13時20分、畑宿目指して出発!


追込坂(おいこみざか)を下り、県道732号へ。
説明板には、
「甘酒茶屋」までのゆるい坂道の名称、だそうだ。
『新編相模国風土記稿』のふりがな(万葉がな)をみると、
フッコミ坂と言ったのかも知れない、とのこと。


県道732号に沿った坂を通り、


急階段の猿滑坂(さるすべりざか)を下りる。


途中、川崎市から来たと言う30人ほどのグループとすれ違った。
箱根旧街道は、今でも多くの人に人気があることを実感。


猿滑坂
『新編相模国風土記稿』には、
「殊に危険、猿猴といえども、たやすく登り得ず、よりて名とす」と
難所らしい坂の名の由来が書かれている、とのこと。


13時38分、甘酒橋を渡る。
畑宿まで1.8Kmとある。
『畑宿に着くのは14時過ぎだねっ』


山根橋を渡ると、


左手に「見晴し茶屋」への急階段があった。
「ここが箱根の樫の木平、下に見ゆるは畑の茶屋」と馬子唄にも歌われた
「見晴し茶屋」は、猿滑坂とは別の道だったようで、既に通り過ぎて
しまったようだ。


石段を下ると七曲りの道(県道732号)に出た。


石段を下る旧東海道の道が続いている。
『これを上るのって大変だよねっ』


樫木坂の石段を下る。
橿木坂は、かつての急坂の殆どが崩れ落ち、今は石段の連続となっている。
『新編相模国風土記稿』には、
「峭崖(高く険しい崖)に橿樹あり、故に名を得」とあり、
『東海道名所日記』には、
けわしきこと道中一番の難所なり、おとこ、かくぞよみける。
”橿の木の さかをこゆれば、くるしくて、どんぐりほどの涙こぼるる”
と書かれている、そうだ。
『今日は下りで良かったよねっ』
『昔の人は本当に大変だったんだろうねっ』


再び七曲りの道(県道732号)だ。


七曲りの道に沿って下る。


13時55分、国道1号(箱根新道)下を通過


県道732号を道なりに進み、


「箱根旧街道」の標柱で右に折れて石段を下る。


石段の先に急坂の西海子坂の石畳が続いている。


箱根八里は東海道最大の難所である。
標高800mを越える山中であることに加え、ひとたび雨や雪が降ると
旅人はすねまで泥につかる有様で、 歩くことが大変困難なところだった。
そこで、旅人の便宜を図るために造られたのが石畳の道である。
当初は箱根山に群生している「箱根竹」を使ったが、腐ってしまうため
毎年敷き変えなければならず、多くの人手と費用がかかることから、
竹に代えて石畳にした、とのこと。


石畳の西海子坂を下って行くと・・・
こじんまりとした一里塚が現れた。
江戸日本橋から数えて23番目にあたる畑宿の一里塚だ。


畑宿一里塚を過ぎて畑宿へ。


14時8分、畑宿一里塚入口に到着した。
「甘酒茶屋」からおよそ50分かかった。
バスの運転手さんに電話して、畑宿寄木会館で合流することにした。


2人が待つ畑宿寄木会館へ行き、バスの到着を待つ。


14時22分、バスが到着した。


帰りのバス車内
『今日は大変お疲れさま~っ』


帰りは、小田原厚木道路から東名高速・圏央道を通ることにしている。


15時5分、大磯PAで最初の休憩を摂り、


厚木JCTから東名道に合流。
さらに海老名JCTから圏央道へ。
流れはいたってスムースで、渋滞などのストレスは全く感じない。
いつものように後部座席は、盛り上がっている様子だ。
後で移動して、ご相伴に預かることにしよう。


16時40分、圏央道菖蒲PAで最後の休憩を摂る。
後は1時間も走れば三中公民館に到着するだろう。


バスは、利根川を渡り、


快調に圏央道を走る。


筑波山が見えて来た。


17時50分、牛久・つくばICに到着


イオンモールつくばを過ぎ、


18時ちょうど、三中公民館に到着した。
想定していたより1時間ほど早く着き、皆さん大満足。
『やっぱり圏央道を使った方が早いし、正解だったねっ』

『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』

平成30年度第1回目のバスハイクが無事終了した。
当初は、畑宿から箱根関所を目指すコースを考えていたが、
上りは苦手という人もいたことから、箱根関所から畑宿へ向かう
逆のコースを企画した。

天気は申し分なく、箱根関所を始め、箱根杉並木や石畳の旧街道など、
旧東海道の面影が偲ばれる箱根の雰囲気を存分に味わった。
甘酒茶屋での甘酒は、今までで一番美味しかった、と思う。
東名高速から見えた雪を被った富士山も印象的だった。

この日の万歩計は、15,000歩を少し超えていた。

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