2018年4月6日(金)
毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成30年度第1回(2018年第11回)、「雨引観音の桜を愛でる」ウォーキングに参加した。
今年度(2018年度)最初の例会である。
この日の第一集合場所、乙戸沼公園には13名が集まった。
乙戸沼の周囲に植えられているソメイヨシノは既に散ってしまっていたが、
東大通りに面した駐車場付近に植えられている八重桜は、
間もなく満開を迎えようとしていた。
こうやって見ると八重桜の花もなかなか良いものだ。
車4台に分乗して、第二集合場所のりんりんロード雨引休憩所へ。
雨引休憩所の桜もほとんど散ってしまい、葉桜の状態である。
雨引休憩所に直行した人は、5名。
『雨引観音の桜も、もう散っちゃってるよねっ?』
『今年は異常気象だから、仕方がないんじゃないっ』
結局この日は、合計で18名の参加となった。
新年度の最初の例会としては、やや少ない人数である。
号令を掛ける人の逝去や退会が続いたため、しばらく準備体操が途絶えていたが、
『何とかしましょうよっ』という人たちの協働により、準備体操が復活することに。
『大きく背伸びをして~っ』
『肩を入れま~すっ』
『最後に深呼吸をしましょう』
やはり準備運動をすると気持ちが良いし、身体もしゃきっとする感じだ。
準備運動を終え、
10時37分、雨引山楽法寺(雨引観音)目指して出発!
先頭を務めるのは、TKさんである。
りんりんロード雨引休憩所近くの雨引小学校校門前を通過し、
小学校の塀に沿って県道41号へ。
雨引小学校南門前の県道41号を横断し、
細い路地を抜けると・・・
のどかな田園風景が広がった。
前方右手に筑波連山の加波山(709m)が見える。
田んぼのあぜ道を進む。
『舗装された道より歩き易いわよねっ』
前方に雨引山(409.3m)を見ながら進むと、
雨引休憩所を出発して20分弱で、千勝神社一之鳥居に到着した。
鳥居の傍にご神木の欅(ケヤキ)の大木が。
樹齢520年と推定されており、当時の藩主が植えたものと伝えられている。
『いやぁ 太くて立派な幹だよねっ』
参道を進み、千勝神社へ。
二之鳥居の先の石段を上ると、
御手洗の傍にご神木の椎(シイ)の大木があった。
樹齢は不明だが、数百年相当の樹齢と思われる。
10時59分、千勝神社拝殿に到着
千勝神社は、大同二年(807)の創建で、祭神は道案内の神様・産業の神様・
勝負に強い神様として知られる猿田彦命を祀り、千勝大明神と呼ばれていたが、
明治六年(1873)神社の名を雨引千勝神社と改められた。
この日の無事安全を祈念した。
神社の紋章(菊水)は、常陸の国に来た楠木氏が戦勝祈願のため、
菊水の紋を木に彫り、奉献したもの。
雨引千勝神社を後にして、雨引山楽法寺(雨引観音)への道(右)へ。
前方の一段高い山が雨引山(409.3m)だ。
雨引観音への道を進む。
芽吹いたばかりの新緑が美しい。
雨引観音への参道脇に、桜(江戸彼岸桜?)が咲いているのを見ることが出来た。
『まだ見れるねぇ 雨引観音の桜も期待したいけどねっ』
11時14分、後続との距離調整と水分補給のため、一休み。
『どうぞっ』 『ごちそうさま~っ』
一息入れた後、雨引観音を目指す。
雨引観音へ。
一般自動車道から逸れて、ゲンジボタルの生息地とされる水辺を抜けると、
旧参道の上り口に出た。
旧参道は、古い石段が続いている。
段差のある石段を上る。
緩やかな坂道の所もある。
旧参道の途中に1本の大きな杉があった。
龍が空に昇って行くような杉で、「龍杉」と呼ばれる。
別名「玉体杉」とも称される、推定樹齢400年の霊木である。
聖武天皇の天平年間、当山では光明皇后の安産祈願をした折り、
奈良の皇后を指向するこの杉を目標にして祈祷したと伝えられている。
(この杉は孫杉)
旧参道の最後の石段だ。
段差が高いので、足に負担が掛かる。
会長にとっては、かなりきつそうだ。
『頑張って あと一息ですよっ』
旧参道の石段を上りきると、その先に薬医門(俗称黒門)が続いている。
元は楽法寺の表門であり、麓の集落中央に位置していたものを移築したもの、だそうだ。
薬医門を潜り、仁王門への石段を上る。
先ほどの旧参道の石段に比べると、段差は半分程度と低いので楽に上れる。
会長は、少し遅れてゆっくりと石段を上る。
鐘楼堂
仁王門への石段を登りながら右手を望むと、鐘楼堂が見える。
この建物は、建長六年(1254)宗尊親王の御願によって建立し、
その後天和二年(1682)雨引山第14世堯長が再建したが、大破したため
文政十三年(1830)第24世元盛が再度建立したもの、とのこと。
仁王門
建長六年(1254)宗尊親王の建立した門で、
鎌倉時代の仏師康慶の彫刻した仁王尊を祠っている。
現在の建物は、天和二年(1682)十四世堯長が再建したものであり、
茨城県指定文化財になっている。
仁王尊像(阿像)
仁王門を潜ると、目の前に満開の枝垂れ桜が迎えてくれた。
『いやぁ これは実に見事な枝垂れ桜だね~っ』
宿椎
樹齢推定1000年の椎の霊木。
文明四年(1472)本堂・諸堂が炎上した際、御本尊がこの椎の大木にて
難を避けたところから「宿椎」と称されるようになった。
力を振り絞って最後の石段を上ると・・・
11時51分、本堂前の桜も満開状態で迎えてくれた。
今年の桜開花は例年より1週間以上も早いため、期待はしていなかったが、
このような満開の桜(江戸彼岸桜?)を見ることが出来るとは・・・
本堂
雨引山楽法師は、雨引観音とも呼ばれ、中国から帰化した法輪独守居士が、
飛鳥時代の用明天皇二年(587)に開山したと伝えられる古刹である。
聖武天皇、光明皇后の帰依が厚く、その後弘法大師によって真言宗の道場となった。
現在は安産子育ての霊場として広く知られる関東屈指のお寺である。
「一に安産、二に子育てよ、三に桜の楽法寺」と読まれている。
坂東33観音霊場の24番札所としても知られている。
境内には聖なる鳥・孔雀などが放たれている。
多宝塔
天平年中(730)聖武天皇の后、光明皇后の造建したものが嚆矢とされる。
嘉永六年(1853)元盛暢光両師協力して十万人講を勧進して、
三重塔を改め多宝塔としたのが現在の塔である。
東照山王権現社殿
社殿内からは、徳川家康神像(本像)一躯と徳川将軍歴代(十四代)の位牌や
東照大権現宮と山王大権現宮の棟札も発見された。
東照大権現と山王大権現は別々に祀られていたが、腐朽甚だしくなったので、
享保十二年(1727)一堂に合祀して新しく造営した。
このため、名称も東照山王権現宮と呼ぶようになった。
茨城県指定文化財
御供所の建物は安政年間(1854~1860)の建立であり、
江戸時代の楼閣として特色のある建造物である。
御供所の前のベンチで弁当にする人たち。
本堂前には無料休憩所もある。
少し風が出て来たので無料休憩所で弁当タイムにしよう。
12時57分、少し時間があったので、雉(キジ)の仲間を見に行った。
『珍しい雉を飼ってるんだね~っ 知らなかったぁ』
尾長雉(オナガキジ)
中国の中央部から北部の標高300~1800mの森林地帯に生息する。
ハッカン
中国南東部の原産で、ベトナム、タイ、ミャンマーインドなどの
海抜1500mぐらいの草地や開けた林などに生息している。
銀鶏(ギンケイ)
主に中国南西部からチベット、ミャンマー北部にかけて分布しており、
標高の高い山岳地帯の藪や竹林に生息している。
金鶏(キンケイ)
主に中国中央部の標高900~1300mの山地に生息している。
低木林や竹林、森林などに棲み、地上を歩きながら植物の種子や小動物を捕って食べている。
黄金金鶏(オウゴンキンケイ)
キンケイを品種改良して、1952年にイタリアのChigid氏により作り出された。
従って、自然には生息していない。
こちらは孔雀の仲間
境内で放し飼いにされているのとは種類が異なるようだ。
12時37分、雉の仲間の小屋を後にする。
『今日は良いものを見れたわね~っ』
再び本堂前に戻り、多宝塔の前で記念撮影をして・・・
12時47分、雨引観音の本堂を後にする。
石段の途中から満開の枝垂れ桜に包まれた仁王門を望む。
仁王門を潜り、
薬医門への石段を下る。
12時50分、薬医門を潜り、雨引山楽法寺を後にする。
帰りは車道を下ることにしよう。
車道を下り、
旧参道の上り口手前を旧道へ。
旧道を下る。
旧道を下り、本木の集落を目指す。
二丁と刻まれた石や、石像がひっそりと佇み、
かつての参道の面影が感じられる。
左前方に筑波山を望む。
『昔と景色は変わってないんでしょうねっ』
麓の本木集落に入ると、立派な長屋門が。
『凄く立派な門だね~っ』
ただ、扉は硬く閉じられており、中を見ることは出来ない。
ゴールの雨引休憩所を目指す。
雨引休憩所へ。
この頃になると、風が強くなって来た。
後方に雨引山、
前方に筑波山が見える。
『ほんとにのどかな風景だよねっ』
『癒される景色だねっ』
『芝桜がきれい~っ』
『今年は芝桜も今が見頃なんだねっ』
旧家の長屋門前を通過
『いやぁ この家の門も立派だよね~っ』
『大黒様が似合ってるよねっ』
旧家の長屋門の先を左に折れ、雨引休憩所へ。
間もなく雨引小学校の筈だが・・・
13時24分、雨引小学校南門前の県道41号に合流した。
『道は間違ってなかったんだぁ』
校舎の塀に沿ってゴールの雨引休憩所を目指す。
雨引小学校正面門を通過し、
13時29分、ゴールのりんりんロード雨引休憩所に到着した。
整理運動(1)
整理運動(2)
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
平成30年度(2018年度)第1回目の例会「雨引観音の桜」が終わった。
1年前に企画していたのが、雨で中止になったため、今年にスライドしたものである。
中止になった1年前の4月7日に一応雨引観音を訪れてみたが、その時はソメイヨシノは、
7分咲で満開には少し早いという状態だった。
しかし、今年は異常気象とも言えるほどの天気が続いたため、1年前のスライド企画が
大きく外れる結果となった。
ただ、枝垂れ桜や江戸彼岸桜を観ることが出来たことにはホッとしている。
花の時期を予想して、1年以上前から企画することの難しさを改めて感じた。
この日の万歩計は、11,000歩を計測していた。
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毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成30年度第1回(2018年第11回)、「雨引観音の桜を愛でる」ウォーキングに参加した。
今年度(2018年度)最初の例会である。
この日の第一集合場所、乙戸沼公園には13名が集まった。
乙戸沼の周囲に植えられているソメイヨシノは既に散ってしまっていたが、
東大通りに面した駐車場付近に植えられている八重桜は、
間もなく満開を迎えようとしていた。
こうやって見ると八重桜の花もなかなか良いものだ。
車4台に分乗して、第二集合場所のりんりんロード雨引休憩所へ。
雨引休憩所の桜もほとんど散ってしまい、葉桜の状態である。
雨引休憩所に直行した人は、5名。
『雨引観音の桜も、もう散っちゃってるよねっ?』
『今年は異常気象だから、仕方がないんじゃないっ』
結局この日は、合計で18名の参加となった。
新年度の最初の例会としては、やや少ない人数である。
号令を掛ける人の逝去や退会が続いたため、しばらく準備体操が途絶えていたが、
『何とかしましょうよっ』という人たちの協働により、準備体操が復活することに。
『大きく背伸びをして~っ』
『肩を入れま~すっ』
『最後に深呼吸をしましょう』
やはり準備運動をすると気持ちが良いし、身体もしゃきっとする感じだ。
準備運動を終え、
10時37分、雨引山楽法寺(雨引観音)目指して出発!
先頭を務めるのは、TKさんである。
りんりんロード雨引休憩所近くの雨引小学校校門前を通過し、
小学校の塀に沿って県道41号へ。
雨引小学校南門前の県道41号を横断し、
細い路地を抜けると・・・
のどかな田園風景が広がった。
前方右手に筑波連山の加波山(709m)が見える。
田んぼのあぜ道を進む。
『舗装された道より歩き易いわよねっ』
前方に雨引山(409.3m)を見ながら進むと、
雨引休憩所を出発して20分弱で、千勝神社一之鳥居に到着した。
鳥居の傍にご神木の欅(ケヤキ)の大木が。
樹齢520年と推定されており、当時の藩主が植えたものと伝えられている。
『いやぁ 太くて立派な幹だよねっ』
参道を進み、千勝神社へ。
二之鳥居の先の石段を上ると、
御手洗の傍にご神木の椎(シイ)の大木があった。
樹齢は不明だが、数百年相当の樹齢と思われる。
10時59分、千勝神社拝殿に到着
千勝神社は、大同二年(807)の創建で、祭神は道案内の神様・産業の神様・
勝負に強い神様として知られる猿田彦命を祀り、千勝大明神と呼ばれていたが、
明治六年(1873)神社の名を雨引千勝神社と改められた。
この日の無事安全を祈念した。
神社の紋章(菊水)は、常陸の国に来た楠木氏が戦勝祈願のため、
菊水の紋を木に彫り、奉献したもの。
雨引千勝神社を後にして、雨引山楽法寺(雨引観音)への道(右)へ。
前方の一段高い山が雨引山(409.3m)だ。
雨引観音への道を進む。
芽吹いたばかりの新緑が美しい。
雨引観音への参道脇に、桜(江戸彼岸桜?)が咲いているのを見ることが出来た。
『まだ見れるねぇ 雨引観音の桜も期待したいけどねっ』
11時14分、後続との距離調整と水分補給のため、一休み。
『どうぞっ』 『ごちそうさま~っ』
一息入れた後、雨引観音を目指す。
雨引観音へ。
一般自動車道から逸れて、ゲンジボタルの生息地とされる水辺を抜けると、
旧参道の上り口に出た。
旧参道は、古い石段が続いている。
段差のある石段を上る。
緩やかな坂道の所もある。
旧参道の途中に1本の大きな杉があった。
龍が空に昇って行くような杉で、「龍杉」と呼ばれる。
別名「玉体杉」とも称される、推定樹齢400年の霊木である。
聖武天皇の天平年間、当山では光明皇后の安産祈願をした折り、
奈良の皇后を指向するこの杉を目標にして祈祷したと伝えられている。
(この杉は孫杉)
旧参道の最後の石段だ。
段差が高いので、足に負担が掛かる。
会長にとっては、かなりきつそうだ。
『頑張って あと一息ですよっ』
旧参道の石段を上りきると、その先に薬医門(俗称黒門)が続いている。
元は楽法寺の表門であり、麓の集落中央に位置していたものを移築したもの、だそうだ。
薬医門を潜り、仁王門への石段を上る。
先ほどの旧参道の石段に比べると、段差は半分程度と低いので楽に上れる。
会長は、少し遅れてゆっくりと石段を上る。
鐘楼堂
仁王門への石段を登りながら右手を望むと、鐘楼堂が見える。
この建物は、建長六年(1254)宗尊親王の御願によって建立し、
その後天和二年(1682)雨引山第14世堯長が再建したが、大破したため
文政十三年(1830)第24世元盛が再度建立したもの、とのこと。
仁王門
建長六年(1254)宗尊親王の建立した門で、
鎌倉時代の仏師康慶の彫刻した仁王尊を祠っている。
現在の建物は、天和二年(1682)十四世堯長が再建したものであり、
茨城県指定文化財になっている。
仁王尊像(阿像)
仁王門を潜ると、目の前に満開の枝垂れ桜が迎えてくれた。
『いやぁ これは実に見事な枝垂れ桜だね~っ』
宿椎
樹齢推定1000年の椎の霊木。
文明四年(1472)本堂・諸堂が炎上した際、御本尊がこの椎の大木にて
難を避けたところから「宿椎」と称されるようになった。
力を振り絞って最後の石段を上ると・・・
11時51分、本堂前の桜も満開状態で迎えてくれた。
今年の桜開花は例年より1週間以上も早いため、期待はしていなかったが、
このような満開の桜(江戸彼岸桜?)を見ることが出来るとは・・・
本堂
雨引山楽法師は、雨引観音とも呼ばれ、中国から帰化した法輪独守居士が、
飛鳥時代の用明天皇二年(587)に開山したと伝えられる古刹である。
聖武天皇、光明皇后の帰依が厚く、その後弘法大師によって真言宗の道場となった。
現在は安産子育ての霊場として広く知られる関東屈指のお寺である。
「一に安産、二に子育てよ、三に桜の楽法寺」と読まれている。
坂東33観音霊場の24番札所としても知られている。
境内には聖なる鳥・孔雀などが放たれている。
多宝塔
天平年中(730)聖武天皇の后、光明皇后の造建したものが嚆矢とされる。
嘉永六年(1853)元盛暢光両師協力して十万人講を勧進して、
三重塔を改め多宝塔としたのが現在の塔である。
東照山王権現社殿
社殿内からは、徳川家康神像(本像)一躯と徳川将軍歴代(十四代)の位牌や
東照大権現宮と山王大権現宮の棟札も発見された。
東照大権現と山王大権現は別々に祀られていたが、腐朽甚だしくなったので、
享保十二年(1727)一堂に合祀して新しく造営した。
このため、名称も東照山王権現宮と呼ぶようになった。
茨城県指定文化財
御供所の建物は安政年間(1854~1860)の建立であり、
江戸時代の楼閣として特色のある建造物である。
御供所の前のベンチで弁当にする人たち。
本堂前には無料休憩所もある。
少し風が出て来たので無料休憩所で弁当タイムにしよう。
12時57分、少し時間があったので、雉(キジ)の仲間を見に行った。
『珍しい雉を飼ってるんだね~っ 知らなかったぁ』
尾長雉(オナガキジ)
中国の中央部から北部の標高300~1800mの森林地帯に生息する。
ハッカン
中国南東部の原産で、ベトナム、タイ、ミャンマーインドなどの
海抜1500mぐらいの草地や開けた林などに生息している。
銀鶏(ギンケイ)
主に中国南西部からチベット、ミャンマー北部にかけて分布しており、
標高の高い山岳地帯の藪や竹林に生息している。
金鶏(キンケイ)
主に中国中央部の標高900~1300mの山地に生息している。
低木林や竹林、森林などに棲み、地上を歩きながら植物の種子や小動物を捕って食べている。
黄金金鶏(オウゴンキンケイ)
キンケイを品種改良して、1952年にイタリアのChigid氏により作り出された。
従って、自然には生息していない。
こちらは孔雀の仲間
境内で放し飼いにされているのとは種類が異なるようだ。
12時37分、雉の仲間の小屋を後にする。
『今日は良いものを見れたわね~っ』
再び本堂前に戻り、多宝塔の前で記念撮影をして・・・
12時47分、雨引観音の本堂を後にする。
石段の途中から満開の枝垂れ桜に包まれた仁王門を望む。
仁王門を潜り、
薬医門への石段を下る。
12時50分、薬医門を潜り、雨引山楽法寺を後にする。
帰りは車道を下ることにしよう。
車道を下り、
旧参道の上り口手前を旧道へ。
旧道を下る。
旧道を下り、本木の集落を目指す。
二丁と刻まれた石や、石像がひっそりと佇み、
かつての参道の面影が感じられる。
左前方に筑波山を望む。
『昔と景色は変わってないんでしょうねっ』
麓の本木集落に入ると、立派な長屋門が。
『凄く立派な門だね~っ』
ただ、扉は硬く閉じられており、中を見ることは出来ない。
ゴールの雨引休憩所を目指す。
雨引休憩所へ。
この頃になると、風が強くなって来た。
後方に雨引山、
前方に筑波山が見える。
『ほんとにのどかな風景だよねっ』
『癒される景色だねっ』
『芝桜がきれい~っ』
『今年は芝桜も今が見頃なんだねっ』
旧家の長屋門前を通過
『いやぁ この家の門も立派だよね~っ』
『大黒様が似合ってるよねっ』
旧家の長屋門の先を左に折れ、雨引休憩所へ。
間もなく雨引小学校の筈だが・・・
13時24分、雨引小学校南門前の県道41号に合流した。
『道は間違ってなかったんだぁ』
校舎の塀に沿ってゴールの雨引休憩所を目指す。
雨引小学校正面門を通過し、
13時29分、ゴールのりんりんロード雨引休憩所に到着した。
整理運動(1)
整理運動(2)
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
平成30年度(2018年度)第1回目の例会「雨引観音の桜」が終わった。
1年前に企画していたのが、雨で中止になったため、今年にスライドしたものである。
中止になった1年前の4月7日に一応雨引観音を訪れてみたが、その時はソメイヨシノは、
7分咲で満開には少し早いという状態だった。
しかし、今年は異常気象とも言えるほどの天気が続いたため、1年前のスライド企画が
大きく外れる結果となった。
ただ、枝垂れ桜や江戸彼岸桜を観ることが出来たことにはホッとしている。
花の時期を予想して、1年以上前から企画することの難しさを改めて感じた。
この日の万歩計は、11,000歩を計測していた。
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