ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

好天に感謝の念 江戸時代の運河と見沼田んぼ

2018年04月20日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2018年4月20日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成30年度第3回(2018年第13回)、「江戸時代の運河と見沼田んぼ」を巡るウォーキングに参加した。

荒川沖駅7時59分発の電車を待つ。


柏駅で常磐線各駅停車に、


新松戸駅で、武蔵野線に乗り換え、


9時22分、この日のスタート&ゴール、東浦和駅に到着。


この日は20名ちょうどの参加者が集まった。
駅前でめいめい準備を整え、


9時34分、いつものようにTKさんを先頭に出発!


県道235号~県道103号を進む。


『今日は暑くなりそうだね~っ』


東浦和駅を出発して数分、県道103号に面した見沼通船堀公園入口に到着。
竹林の中へ続く遊歩道があった。


『筍がいっぱい生えてるよっ』
『ちょっと大きくなりすぎてるんじゃないっ』


竹林を通り抜けると、
見沼通船堀の碑前に出た。


見沼通船堀は、灌漑用水の見沼代用水(東縁・西縁)と
芝川を結ぶために開削された閘門式(こうもんしき)運河である。
芝川と見沼代用水には高さ3mほどの水位差(代用水の水位の方が高い)
があるため、水門を造り水位を調整して船を通した。
享保十六年(1731)に作られた。


通船堀に沿って進む。
『桜の木が日陰になってくれるから助かるわ~っ』


通船堀の桜並木に沿って進む。
この桜並木は、さいたま新都心の方まで、数キロに渡って続き、
大勢の花見客で賑わうそうである。


史跡 通船堀西縁(にしべり) 仮締め切り
通船堀を使った船の運行は、江戸期には10月末から翌年の彼岸頃まで、
明治期以降は12月から2月までの、冬の農閑期だけであった。
冬に通船堀を使用する期間は、代用水から通船堀側に水が流れるように、
代用水を仮仕切りで封鎖した。
逆に、通船堀を使用しない農繁期においては、通船堀に水が流れないように
通船堀を仮締め切りで封鎖した。
それぞれの仮締め切りは土俵を積み上げて作られた。


通船堀の対岸には竹林が続いていた。
対岸にも遊歩道があるようだ。


通船堀西縁に沿って進む。


史跡 通船堀西縁第一の関(閘門)
享保十六年(1731)に開通した閘門式運河の見沼通船堀のうち、
見沼代用水西縁と芝川を結ぶのが見沼通船堀西縁である。
芝川に近い一の関が復元されている。
見沼代用水西縁に近い二の関は、残っていない。


見沼通船堀は、東西二つに分かれており、東縁側が390m、
西縁側が約650mある。
見沼通船堀西縁は、2つの関(閘門)が設置され、
芝川に近い方を一の関、代用水側に近い関を二の関と称していた。
東西の堀全体で4つの関を持ち、閘門式運河では日本最古の部類に入る、
とのこと。


9時51分、通船堀公園橋を通過


通船堀の説明
東縁用水、西縁用水とその中央を流れる芝川を結んで作られたのが
見沼通船堀である。
芝川の東側を通船堀東縁、西側を通船堀西縁という。
通船の時は、堀の土手から船に付けた綱を引いて船を通した。
この時船頭はもちろんのこと、近所の人々の大きな助けが必要だった。
水位を調節する様子を再現する「閘門開閉実演」を
毎年8月に実施する、とある。


通船堀西縁に沿って進むと・・・


芝川に突き当たった。
見沼通船堀は見沼代用水西縁と東縁が最も距離が近づく、
八丁堤の北側に享保十六年(1731)に造られた。
通船堀の開通により、水運の範囲が広がり、芝川を経て荒川・隅田川を通り、
この周辺の村々と江戸が結ばれた。
江戸へは見沼周辺で採れた農作物や薪・渋柿・味噌・醤油などを運び、
江戸からは肥料や油・日用品などが村々にもたらされた。


八丁堤は、関東郡代の伊奈半十郎忠治が築いた人工の堤で、
長さが八町(約870m)ほどあるのでその名が付けられた。
寛永六年(1629)、伊奈忠治は、両岸の台地が最も接する
浦和市大間木の附島と川口市木曽呂の間に八丁堤を築き、
灌漑用水池「見沼溜井」を造った。
その面積は1,200㌶に及ぶ広大な溜井だった。
見沼通船堀が開通する100年ほど前のことである。


かつては広大な沼だった見沼。
芝川の上流で新田開発を行うために、見沼は八丁堤という堤防で堰止められ、
見沼溜井と呼ばれる大貯水池が造られた。
徳川家康の関東入国後、伊奈氏は累代治水事業に力を尽し、
利根川や荒川の流路を替えたり灌漑用水池を作るなど、
関東地方の治水事業を次々に完成させた。
見沼溜井もその一つである。


芝川に架かる八丁橋を渡った所に水神社がある。
通船掘を利用する舟は、代用水の河岸で荷物を積んで江戸へ運び、
帰りは肥料・塩・酒などを積んで来た。


荷物を積み下ろしする河岸場は、ここ八丁にもあり、八丁河岸周辺には
河川輸送に携わる人々が住んでいた。
水神社は、通船掘の完成翌年に、通船掘で働く船頭や船子・積荷人夫などが、
舟運の安全や水難防止などを祈願して作ったものである。


水神社を後にして、見沼通船堀東縁へ。


見沼通船堀東縁一の関


見沼通船堀東縁二の関


見沼通船堀東縁二の関


通船堀東縁
V字形になっているのは、少ない水で船が通れるためだとか。


通船堀東縁の先には運河(見沼代用水東縁)があり、
通船堀東縁とはここで繋がっている。


木曾呂の富士塚の案内標識


見沼新田橋を渡って木曾呂の富士塚を探したが、
富士塚への道がなかなか見つからない。


近くをうろうろと探し周り、何とか富士塚の登り口を見つけた。


富士塚の頂上を目指す。
かなりの急こう配である。


高さはおよそ5.4m、直径20mの富士塚は、
寛政十二年(1800)、盛土をして築いたそうだ。
富士山信仰の史跡である。


別の登山口から登頂して待っていると、皆さん一足遅れて登って来た。


10時18分、全員が富士塚の頂上に参集出来たことを称えあい、
ここでお茶タイム。


富士塚の麓に厳島社の鳥居があった。
厳島社には「弁天様と馬子」の伝説が伝わっている、とか。


富士塚は、かつては胎内潜りも出来たというが、
今は塞がれて中には入れない。


見沼代用水東縁を遡上。
見沼代用水東縁は、灌漑用水で、埼玉県行田市付近の利根川から
東京の足立区まで流れている。
利根川から引かれた水は、見沼に代わる用水なので、
「見沼代用水」と呼ばれた。


見沼代用水東縁に沿って進む。


小手鞠の花が見事である。
『いやぁ これはすごいねっ』


緑のヘルシーロード
利根大堰まで49Kmの標識


前方に武蔵野線の電車が見えた。


10時39分、頭上を気にしながら武蔵野線の下を潜り、


見沼代用水東縁に沿って進む。


右側に住宅街が見えて来た。
新しく個性的な家が多い。


10時49分、川口自然公園に到着


”まむしに注意”の注意書きが。
『こんな所にまむしが棲んでるんだぁ』


藤棚下のベンチは先客で占められていた。


ベンチは諦めて、木陰などで小休止。


先客にこの先の大崎公園への道順を訊ねているところ。


川口自然公園内を通り、大崎公園へ。


池の周りでは、大勢の釣り人が釣り糸を垂れていた。
無料の釣り堀である。


見沼代用水東縁に架かる橋を渡ると、


11時2分、東沼(とうしょう)神社の鳥居前に到着した。


悠仁(ひさひと)様御誕生記念 富士山復元 の説明板が。
「見沼の東に富士山あり」
いつ頃富士山が造営されたかは定かではないが、天保十一年の絵馬に
富士山が描かれている。
風雨により崩れた富士塚を五百分の一の富士の山に復元した。
(中略)
近隣川口市・さいたま市・越谷市・草加市で唯一の富士山であり、
頂上からは富士山、秩父連山を望み、日の出を拝むことができる。
(以下略)


鳥居を潜ると、正面に見沼富士の登山注意書きが。
五百年前からの信仰の山
何と、次の人は”登山禁止”と書いてある。
・参拝しない人 ・中学生以下の子供(親がいても)
・団体は登らないこと
『さっき木曾呂の富士塚に登ったからばかりだし、
ここは登らなくても良いんじゃないっ?』
ということで、東沼神社の富士塚は見送ることにした。


東沼神社本殿への途中、復元された富士塚と思しき土盛りが見えた。
『あれじゃ団体は登れそうにないよねっ』
個人的にまた来る機会でもあれば、その時は富士塚登山してみるか。


東沼神社に参拝し、旅の安全を祈願した。
(賽銭はしっかりと投げ入れておいた)


御祭神は、木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、
素盞鳴命(すさのおのみこと)など4柱を祀る。
木花咲耶姫命は、『安産・子育て』の神様である。


東沼神社を後にする。
”参拝目的以外立入らないこと”の注意書きが。


”鎮守の森を守る為、又条例により、アイドリングしないこと”
やたら注意書きが目立つ神社ではある。


見沼代用水東縁に沿って進む。


代用水の水量は多く、水位も高い。
田植えに備えてのためなのだろう。


緑のヘルシーロード
利根大堰まで47Km付近を通過。


国道463号でいったん道が途切れるため、橋を渡る。


国道463号を過ぎると、
今度は右側に見沼代用水東縁を見ながら進む。


国道463号から100mほどで、再び橋を渡り、見沼代用水東縁の右側を進む。
右手には、のどかな畑や、


植木苗の栽培園などの風景が広がる。


大崎公園南東端の公園橋を左手に見ながら、緑のヘルシーロードを進む。


あまり見慣れない大きな木の下を過ぎると・・・


11時50分、大崎公園に到着した。


約38,000㎡の敷地に芝生の大広場などが広がる大崎公園。


こども動物園では、レッサーパンダ、アメリカアカリス、
チリーフラミンゴ、ガンカモ類などを展示しているほか、
ニホンジカ、マナヅル、ヒツジなど約45種類の動物を
見ることが出来る、とのこと。


今の時期は、メタセコイアの緑が殊の外美しい。
紅葉を凌ぐ美しさである。


弁当タイム(1)
新緑に包まれて食べる弁当は美味しい。


弁当タイム(2)
『今日は参加して本当に良かったですよっ』


弁当タイム(3)
『いやぁ 今日は最高の弁当日和だねっ』


弁当後に園内を見て回る。
園内には池もある。


2015年春に完成したという、新しい遊具「森の冒険砦」


花文字
OOSAKI KOENと描かれている。
(ドローンからじゃないと、分らない?)


花時計
7時5分で止まっている。


ベンチでゆっくりと寛ぐ女性陣


12時26分、ゴールの東浦和駅を目指して出発!


東浦和駅を目指す。


『今日のウォーキングは天気も良いし、最高だよねっ』
『他の皆さんも、来れば良かったのにねっ』


大崎橋を渡り、ここで見沼代用水東縁と分れ、


田園風景の中を進む。


右手は「ブルーベリープラザ浦和」のブルーベリー畑
6月中旬~9月中旬まで摘み取りが出来る、とあった。


左手に廃棄物処理施設「クリーンセンター大崎」が見える。
1日に150tのごみを燃やせる焼却炉が3基ある、そうだ。


各種苗木が植えられている畑の中を進む。


12時44分、浦和中央自動車教習所前を通過


国道463号を横断し、
12時48分、自動車教習所向かいにある「浦和くらしの博物館民家園」に
寄り道して行くことにした。
さいたま市内に伝わる伝統的な建造物を移築復原し、その保存をはかり、
あわせて過去の生産・生活用具を中心とした民俗資料を展示している。
江戸時代後期に建てられた旧高野家住宅。


旧高野家住宅内部の展示品(1)


旧高野家住宅内部の展示品(2)


旧高野家住宅内部の展示品(3)


旧高野家住宅内部の展示品(4)


こちらは蔵造りの旧綿貫家住宅
綿貫家は、主に肥料と荒物を扱う商家であった。


旧綿貫家住宅展示品(1)


旧綿貫家住宅展示品(2)


少し離れた所に別の古民家(農家)もあった。


旧中島家穀櫃(こくびつ)
穀類を保存する倉庫である。


旧蓮見家住宅
建築年代は、江戸時代中期と考えられ、市内最古の民家。


旧蓮見家住宅の向かいに建つ茅葺屋根造りの倉庫。


民家園の前を通り、


門を潜ると、


旧野口家住宅が。
野口家は、代々安楽寺の住職を務めた家で、この建物は、
庫裏として使われていたもの。
この地方の典型的民家の特徴である茅葺寄せ棟造りである。


古民家の近くには竹林があり、


どこか懐かしさを感じさせる。


庚申塔や


旧丸山稲荷社本殿などが。
『これも展示品なんでしょうねぇ』


「浦和くらしの博物館民家園」を駆け足で観て回り、
13時5分、芝川を渡って、


国道463号を進む。


国道463号沿いの両側には、田園風景が広がる。
『都心に近い割にはのんびりした景色だよねぇ』


国道463号と交差する見沼代用水西縁で左折し、


見沼代用水西縁を右手に見ながら進む。
見沼代用水西縁にも桜並木が続いている。


左手に「クリーンセンター大崎」が見える。


右手には高層住宅が立ち並ぶ。


見沼代用水西縁の流れが続く。
『桜の時期に歩いてみたい所だねっ』


流れに沿ってさらに進むと、


左手にAKENOHOSHI UNDOJYOと書かれたアーチ門が。
浦和明の星女子中学・高等学校のグラウンドだ。


子供たちの声が聞こえる。
右手の小高い所に浦和明の星幼稚園が見える。
浦和明の星女子中学・高等学校は、その裏手にあるようだ。


塀越しの小手鞠や、


ドウダンツツジの花などを愛でながら、東浦和駅を目指す。


武蔵野線が見えて来た。


武蔵野線の電車が通り過ぎ、停車のためスピードを緩めた。
ゴールの東浦和駅は間もなくだ。


最後の緩やかな坂道を上り切ると、


県道235号に出た。


正面は東浦和駅である。


13時49分、ゴールの東浦和駅に到着した。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』

この後、武蔵野線・常磐線各停・常磐線快速を乗り継いで帰路に就いた。

この日は、東浦和駅を発着とする見沼通船堀西縁・東縁から芝川を渡り、
見沼代用水東縁・西縁を歩いた。
初めてのコースだったが、見沼通船堀の関(閘門)や木曾呂の富士塚、
東沼神社、浦和くらしの博物館民家園など見どころもあって楽しめた。

天気に恵まれたこともあるが、美しい緑に囲まれた大崎公園での弁当は、
いつもより美味しかった、と思う。

見沼通船堀西縁や見沼代用水西縁の桜並木は、見応えがありそうなので、
桜の時期に訪れても面白いのでは、と思った今回の例会であった。

この日の万歩計は、19,000歩を少し超えていた。

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