カウンターサービスが終了してしまいました。

何か違う企画でうき特製のお菓子をお送りします♪



パパの話なり~



しばらくお休みして申し訳ありませんでした。
その間に20000人を突破していたようです。
今からでも遅くありませんので、該当の方はご連絡くださいませ。

何から話していいかわからないのですが・・・。
それは突然やって来ました。
20日の12時頃(正確には21日か)パパの手を握りながら携帯からブログを更新しました。
1時頃、看護師さんが来て「娘さんも大変でしょうから、いつもの半量くらいを睡眠薬を点滴しましょうかね。1時間くらいは眠ってもらえますよ」
と点滴をしてくれたんです。
パパは、おとなしく眠り始めました。
↑パパは1時間どころか、朝までおとなしく眠ってた。
私はそれを見ながら、ボーッとしながら朝を迎えました。
不思議なんだけどね、病室にはパパと私しかいないのに、私たちでないもう1人、誰かの気配がしたんだよね。
姿は見えないし、普段なら怖いはずなのに・・・まったく怖くなかったの。
言葉では上手く言えないけど、何となく予感はあったんだよね。
7時半頃、主治医が採血にやって来て、午後の耳鼻科の診察(鼻が詰まって鼻から呼吸が上手く出来なくなっていた)を部屋で受けるか、ベットのままで出向くか、とか午後からの手術のスケジュールを聞いたりした。
8時、食事の時間で病棟がバタバタしてきたので、ちょっと外の空気が吸いたくなって1階にコーヒーを買いに行ったの。
外来の人たちが来始めてるロビーで「この人たちはどんな病気なんだろう?治るのかな?」なんてしょうもないことを考えながらボーッとしてたら、携帯が鳴った。
看護師さんが「どこにいますか?今すぐ戻ってください!!」
すごく慌てた様子で言う。
もうエレベーターも待っていられなくて、1階から6階まで必死に階段を駆け
上って病室に向かう。
普段の私なら持病のこともあって、絶対にそんなことは出来ないし、しないと思うんだけど、やれるもんなんですねぇ。
6階に着いたときには、息が上がってマトモに話せない、まっすぐ歩けない
状態にはなっていましたけどね。
病室に入ったら、主治医と看護師さんが心臓マッサージをして慌しく動いていました。
「何?何?どうしたの?5分前までは何事もなかったじゃん!」
事態が飲み込めずにゼェゼェ言いながら、彼らの様子をボーッと見てたら
主治医が「お母さんに連絡して下さい!」と叫ぶ。
急いで携帯電話が掛けれれる所まで走り「パパの容態が急変した。急いでゆっくり来て!」と訳のわからない電話をする。
再び病室に戻ったら、主治医が挿管をしようとしてた。
私、とっさに「先生、挿管するんですか?止めて下さい」と言った。
主治医「わかりました」と言って、心臓マッサージを続けてくれる。
すぐに後悔がやってきた。
「本当にいいのか?私1人で決めていいのか?パパ死ぬんだよ」
そんな私を察して、看護師さんが言ってくれた。
「大丈夫。今までお父さんもご家族も本当に頑張ってんだもの」
15分くらいでママが到着した。
ようやく涙が出てきた。
ママはパパの最期に立ち会うことが出来た。
9時5分、パパは、逝っちゃった。
あんなに辛い治療を続けていたのに、最期は静かに苦しまずに逝けた。
それが何よりの救いです。

病院で何人も死んでいく人を見てて、その度にママは暗い気持ちにさせられてたから、ママと私は、「絶対騒がないでいよう」と以前からと話し合ってた。皆、ただでさえ病気で不安な生活を送っているから、声を出して泣き叫ぶことだけは止めようと。
パパを静かに家に帰したかった。
ママパパを迎えるために先に家に戻って、私は帰る準備をしてもらってるパパを1人で待った。
↑主治医が傷口を縫合してくれ、看護師さんたちは、パパをとてもキレイにしてくれた。
1人で待ったこの時間のことは、たぶん一生忘れないと思う。
何とも言葉には出来ない気持ちだった。
途中で叔母が駆けつけてくれて、一緒に待ってくれたことはありがたかった。パパが帰る車に一緒に乗って、家に戻った。

そして、仮通夜、通夜、葬式・火葬・初七日法要、納骨と怒涛の4日間が
過ぎていった。
ママは途中で壊れて大暴走をし始めた。
↑もちろんママだけが悪いわけじゃない。どこにでも口だけ出すおばはんはいるでしょ?
誰も彼女を止められなくなった。
ただパパがいなくなったことを悲しみたいのに、そうはいかない状況になってしまったの。
パパがいなくなったことと同じくらい、クレイジーになってしまったママを見るのは悲しかった。
でも、こんなバタバタがあったからママは、悲しみに暮れる時間だけを過ご
さずに済んでいるのかもね。
そう考えると葬式で揉める、ってのは悪くないのかなー。

何だかねー、パパが止まっちゃってからも、変な言い方だけど、「形」があるときには、実感って湧かないのね。
骨になったのを見て、「あー、本当にいなくなったんだ」って。
闘病中パパが不機嫌なときに「早く終わって欲しい」思ったこと、挿管を断ったこと、次から次へと後悔が出てくる。
パパ、優しく出来なくてごめんね。
でも、たぶんもう一度同じシチュエーションになっても、私は同じことをするんだろうけどね。
私がいるときをわざわざ選んで逝ってしまったパパ
何か意味があったんだろうか?
私に看取って欲しかったのかなー。
何だかいろんなことがまだ整理できなくて、気持ちはぐちゃぐちゃのまま。
きっと時間が解決してくれるんだろうなー。
しばらくこちらでゆっくりパパのことを想っていたい、と思います。
↑と言っても・・・すぐに引き戻されるんだろうな。

皆さんにも心配いただいて、本当にありがとうございました。


コメント ( 2 ) | Trackback ( )




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コメント
 
 
 
おひさです。 (陣。)
2007-02-27 13:14:45
こんにちは。ご無沙汰しております。

このたびは、お父様の件、謹んでお悔やみ申し上げます。

人間いつしか別れは訪れると頭の中では判っているつもりでも、いざその時になると気が動顚してしまいますね。

陣の母の時も「挿管」はしませんでした。
気持ちはうっきーさんと通じるところです。

まだまだ忙しい日々が続いているとは思いますが、体調に気をつけてご自愛下さい。
 
 
 
陣。様 (うっきーマウス)
2007-02-27 20:46:32
いろいろご心配いただいてありがとうございます。

わかっていたこととは言え、あまりに突然でまだ整理出来ておりません。
陣さんのように優しく出来なかった私は、尚一層の後悔が残ります。
あれでよかったのか、たぶん一生思うのでしょうね。

忙しいことが救いなのですが、どうやら処理能力を超えたようです。
何事も時間が解決してくれることを期待しています。
 
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