遮光カーテンで日光を遮って引きこもるほど暑かった何日かを経て、夜にスコールが降ったら・ちょっと気温が和らいだので・美容院と映画に行ったりしました。
ずっと観たかった・世界No.1のレストラン、nomaのドキュメント。
映画『ノーマ、世界を変える料理』予告篇
以前、やはりレストランのドキュメント映画、『エル・ブリ』を観た時と違って、ヴィーガンとなって3年にもなると:「オイシソー」とは全然・思えませんでした。
感想は:男社会のヒエラルキーに葛藤しつつ・(味的にも評価でも)頂点を目指す男性シェフのドキュメンタリー。辛いのは男だけじゃないし、頑張ってる方向が違う。また近いうちにノロ・ウィルスで話題になるゾ。
ということかなー
食材のムール貝からノロ・ウィルス感染者を63名出してしまったnoma。二枚貝は水を浄化してくれる役割があるから、たまたま運が悪かったというわけじゃない。海で何が起こっているのか、よく考えたほうがいい。ムール貝の代わりに今度はウニを使うというのも・・・ 同じ鉄をまた踏むことになる。 北欧にナマコはいないのか ナマコにしなされ
「業界の常識は世間の非常識」という言葉が頭を過ります。もうこの業界ヒエラルキーにハマってしまうと、間違った方向で突っ走ってしまう。誰にも止められない。そのまま行くしかないのか。
食べる物が:身体と精神を作ると思っているので、食べてゲップが出たり、胃もたれしたり、眠くなったり怠慢になるような食事は摂りたくない。肥満や病気になるような料理が「世界No.1」という評価なら、麻薬だって娯楽としてNo.1のはず。
唯一、救われたのは:「地産地消」にこだわっているということでしょうか。これが「食で世界を変える」というシェフの信念で唯一、共感できました。
ただし現時点で「江戸前の穴子の寿司の産地を東京湾にこだわる寿司職人」のようなことになると、非・常識人とカウントしてしまうけど。
シェフの提供したい:「食べ物で人をハッピーにしたい」ということが、健康を害しても:「食べた時は間違いなくハッピーだっただろ」ということではイケナイと思うんだよなー
「美味しい」「新しい味」ということだけにこだわっていること自体が、もうインじゃない。古くさい。ミシュランの星を決める審査員だって、妊婦のような腹の・食い意地の張った・爺とか婆に違いないだろうから、その評価にプレッシャーやこだわりを感じるということも、ヤザワ的には:「みっともないなー ブタ(審査員)のために料理してるのか・・」という幻滅感がある。
専門バカ極まれり。どうして「食べ合わせ」「下痢をしない組み合わせ」を、「美味しい」の前に考えないのか。栄養学はどうでもいいのか
「肉や魚を調理するな」とは言わないけど、単体で食べないと下痢をしがちなフルーツを使った「料理」、炭水化物と動物性タンパク質という胃もたれの原因の組み合わせは避けるべきじゃないだろうか。
そんなことには考えも及ばない「モーツァルトのような天才シェフ」は、やはり小太りの体型。そういう身体になりたくなければ、そんな料理は食べないほうがいい。
「斬新さ」にこだわると、常軌を逸脱することが才能だと勘違いしてしまう。「前衛」思想だけど、それが既に40年前とかの思想なのだよ 。 音楽とか芸術界でも、そういうムーブメントは確かにあった。史実として残ってる。今も「歴史」として、おさらいはする。ミュージック・セリエルみたいなものかなー。アレはアレで構成が焦点となるから、知的に倒錯した達成感はある。絶対音感がある人しか理解できない世界。もしくは:絶対音がなくても構成が理解できるインテリジェンス。「自分は賢い」というアイデンティティの確立を促してくれるのだよ。
けっこー長い時期、ソレでやってきたからワカる
ヴェジタリアンになって、睡眠時間も少なくてすむし、体力もある。と、かつてフツーに肉とか食べる友人に自慢したら:「そんなに起きててナニするの」と、心底・不思議そうに聞かれたことがあるんです。
その友人には家庭があって、日々のホーム・クリーニングと家族の(美味しい)食事を作ると、他には仕事も趣味もする時間がないので、時間がそんなにあったら、ナニをしたらいいのか分からないと本気で思ったみたいだった。
私もずっとそう思ってたから分かる。自分がこんなに健康で時間があると、食事が人生で最大の喜びには成り得ない。そんなブタのような人生ではなくなるんです。自分の人生を邪魔するような食事を摂るのがイヤになる。ごくごく・たま〜になら、そんな「美味しい食事」を食べてもいいのかもしれないけど、その後3日は体調が良くないのは目に見えてるので、3日ロスしても食べる価値があるかということになる。
そうは言っても 元来・食いしん坊 なので、「天才」シェフに、栄養学(ナチュラル・ハイジーン)に基づいた身体に良い料理を手がけてもらいたいのは山々
ヤザワの料理を食べた人は:「お店出来るね 」と言ってくれるんです。
それくらい、ヴェジ料理の名店がなかなかないんですよ
「身体に良いから食べる。特に美味しくはない」というレベルが多数。
あでも、インド人のやってるインド料理店は、たいがいヴェジ・カレーのほうが美味しいですよ
タイ料理も本場のタイではヴェジタリアン食のほうが美味しいらしいです。日本ではヴェジ仕様のタイ料理はほとんど見かけないですけどね。
音楽でも料理でもそうなんですが、単純なありふれたものを上手にやることは本当に難しい。もちろん、プロ・レベルの話です。アマチュアの話じゃないですよ。
それに:斬新さを追求しすぎて:「闇鍋」というのも前衛すぎて笑えない。
1週遅れで「トップを走っている」と勘違いしてるランナーみたいで・・
氷の花火 予告編 劇場情報無
ちなみに先月観た山口小夜子さんの映画は・・「日本(オリエンタル)を売り物にしすぎて日本でなかなか評価されなかった作曲家の佐藤聡明」さんのモデル版のような感じがしました。モデルとしては最高峰の人でしたね。改めて。マリア・カラスとかオードリー・ヘップバーンとかマリリン・モンローのレベルで、ファッション・スタイルを確立した、これまでのところ唯一の日本人ではないでしょうか。
彼女の「表現したい」という情熱の、年齢を超えて始めたダンスと演劇の痛々しさに、観ていて気恥ずかしくなりました。もしかしたら年齢のせいじゃなくセンスのせいかもしれないけど。身体の動きは明らかに運痴だったから。。
当時はトップモデルでも、今ほどの収入じゃなかったんでしょうね。紹介されていた遺品が、テイストはあるにしても質素でした。今のスーパーモデルならハイ・ブランドだらけでしょうからね。逆に質素だったから、ネコババする人もいなくて保管されていたのかもしれない。
小夜子さんのデザイン画とデザインした高校の制服がとても良かった。やはり表現者としてよりファッション界がふさわしいと思いました。
備忘録にまで・・