ピアニスラー

ゴールド・フィンガー、ハイパー・ピアニスト矢沢朋子のブログ

那覇の『パリの花屋』さんーフルール

2017年02月18日 | 日常

久しぶりにフラワーアレンジを習ってみました。やっぱりプロに習うと違うわ〜

 

花が家にあると気分が晴れやかで、イライラしたり落ち込んだりすることが激減するということに4年前に気がついてから、なるたけ欠かさず飾るようにしてます。ヘンな薬飲んだり自己啓発本を読むより美的で実用的。生け花は「実用」なんだよ〜ん

 

どうせ飾るなら美しく飾りたいもの。ちょっと習って少しは進歩したものの、ワザも少なくマンネリ化気味。

以前に習ったアレンジが「琉球フラワー」だったせいか、エキゾチック系が多いんです。

「また習おうかなー」と思ったアレンジ

習ったワザは色々使ってるけど、違う雰囲気にしてみたい。でも分からない

と・いうことで・「パリのフラワーアレンジメント」なるクラスに申し込んでみました

新都心にある花屋さん、『フルール』が教室。

入り口から期待感が

確かにチョイスがパリっぽい

いつも市場でシーズンの沖縄花を買っていたけど、高級輸入花もたまにはプチ贅沢でいいわ〜

新都心なのでお値段はちょっと高め。でもチョイスがいいから自分で選んでも外さなさそう。この色合いならどれを組み合わせてもカワイイし、フローリスト作のはパリから空輸したようなブーケやアレンジが並んでました。こんなステキなブーケやアレンジをもらったら嬉しいし、自分でも作って人にプレゼントできるようになりたいなぁ

ステキ〜

桜坂劇場で申し込みましたが、ここの教室の直弟子と一緒に作りました。来週の26日、27日が首里のラ・フォンテというレストランで2日間、発表会だそうで、フローリストの方も制作してました。

アトリエは蛍光灯(LED)ではなく白熱灯。花の色がキレイに見えないから。蛍光灯は花の保管の冷蔵庫だけ。

フローリストが白熱灯製造中止に反対運動を起こさないかな?

トイレもそこかしこオシャレ

レジ横のアレンジ

自分のカメラで撮ったのに、家と全然・違う。やっぱり照明は大事

華道家とかみんなLEDの世の中に大反対なんじゃないだろうか。LEDはブルーライトでパソコン見てるのと変わらないと言うから、健康にも悪いはず。

帰ってきて花瓶に挿して再調整してみました。写真で見るとやっぱり色が・・カメラのせいじゃなくて蛍光灯のせいだったのね。

でもカワイイ

「バレンタインは過ぎたけど、ハートの形のブーケ」が1回目のテーマでした。

猫が葉っぱを食べてしまうのが難ですが 、自分が外出する時は隠して、しばらく眺めながらお茶を飲んだり食事ができるので嬉しい

今回は6回コースなので、6つほどワザを増やします

 

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映画『未来を花束にして』

2017年02月18日 | 世の中のこと

桜坂劇場で観てきましたよ〜

 

邦題と宣伝文が・すでに・セクハラであると評判。確かに。この邦題と宣伝文を英訳やら仏訳にして拡散したら、抗議のツイートとか世界各地から来ると思いますよ?

 

それでも・あえて・この邦題なのは:日本での女性の地位の低さ(世界で下から数えるほど)と、「女性が怒りを表現するのは・・ちょっと・・」という世間的な抑圧状態に日本女性自身が慣らされているのでしょう。原題を訳したら腰が引けてしまうんでしょうね。

 

沖縄に住んでいるので、セクハラは日常茶飯事です。電車がないので痴漢被害は都会のようにはないだろうけど、誰かの家で食事会やら飲み会があれば、働くのは女。男は座りっきりで何もしないという田舎ながらの風景。田舎の(中年以上の)女性は細々とよく働きます。男女の賃金格差も上位か1位のはず。日本の中でのさらに格差。離婚率も高い。

そして・「女性がさぁ〜〜をするなんてさぁ〜」というセクハラ発言をフツーに女性の前で堂々とする。

「それはセクハラですよ?男がしても女はしてはイケナイ、と言うことはセクハラですよ?」と教えて、初めて我に帰るというか恥を知るというか。沖縄の女性はこういうことを男性に教えてあげないので、都会で恥をかくまで知らないまま人生を過ごします。東京に観光に行ったり移住した時にバカにされないように、ヤザワは親切に教えてあげるようにはしてますが、怒ってしまって教育にならないことも多い。犬も怒ると芸を覚えないのと一緒。

 

そんな土地柄なので、学生時代以後の男女の交友というのは皆無らしく、知り合いの男とたまたま一緒に歩いてたり、立ち話をしてるだけで「カレシ」とか聞かれるので固まるんですよ。

ワタシは都会育ちなので:「どう見てもカップルに見えるはずがない」と油断してるんでしょうね。特に紹介する必要がなければ紹介もしないし。「はあ どう見てもアタシの下男だろ」と言うワケにもいかず、意表を衝かれてフリーズしてしまうわけです。

 

そしてまた・その「カレシ」と言われた下男風情の男が、いかにも迷惑そうに・困惑した表情をしてるのが目に入って、ハッと「ナゼこんな侮辱を受けなきゃいけないんだ」と、怒りの表情がワタシの顔に現れたのを見て、「カレシ」と聞いた、やはり見るから〜に下男が・「可哀想に。カレシじゃないんだ・・」的な視線でワタシを眺めるに及んでは、あまりの屈辱に合気道ワザで・こらしてめてやろうかと頭に血が上るんですが、そんなことをしたらますます「不倫だったに違いない」という噂を立てられるかもしれないので、ぐっとこらえるということになる。これもセクハラだよね

チャタレイ夫人じゃあるまいし。ヘンなこと聞かないでよ。と言って通じるかね?

まあそんなことばっか考えてっから沖縄は「子沢山」なんだよなー

関西みたく挨拶が「儲かってまっか?」でカネのことばっか話すのもなんだがなー

 

なんだか映画の話から遠くにきてしまったけど、「男より3割余計に働いて3割賃金が安い」だったっけな?主人公の労働条件は。そして家に戻ると、先に帰ってる旦那にメシを作って茶を入れるという。3割少なく働いて先に帰ってんだから、メシは旦那が作ればいいと思うのは現代の文明国家の話。

 

東京でも、同級生の友人の家に呼ばれてゴハンにお邪魔すると、何もしない旦那とテーブルで向き合って友人の作るゴハンを待ってたなーというのを思い出した。旦那は当然・日本人のカタギ。今でこそ言うけど・うっとーしかったな〜

アタシは別にアンタ(友人の旦那)を訪ねて来たワケじゃないんだよ?と不思議に思ったものだった。帰国子女だったから。フツー旦那が「キミは友達とおしゃべりしてて」とお茶入れてくれたり料理を作って、自分も食事に参加するものだと思ってたから。だってゲストのヤザワは旦那と友人でもないんだからね。だいたい友達の旦那なんてタイプでも話が合うわけでもないから呼ばれてるワケで:笑。サシで向き合ってメシを待ってるというのは辛いよな〜。なんで呼んだんだ?と思った。フェミニズム以前の問題とも思うんだが。

 

あ。また映画から逸れた

 

1545年のトリエント公会議で、初めて・公式に・「女性にも魂がある」と認められてから400年。欧米に30年ほど遅れて日本でも女性参政権が認められたけど、まだ「女性にもプライドがある」というのは、現代の日本でも公式に理解されていないのかもですね。。

ちなみにトリエント公の会議で「女性にも魂があることを認めるのか」の賛成票と反対票の差は、たった3票だったそう

欧米で動物保護活動が盛んなのは、人権意識が確立されてからの歴史が長いから。家畜と同じ扱いだった女性の地位を確立したら、次は当然・動物への虐待を許すわけにはいかない。必然ともいえる。放置したら元の中世の時代に戻るということを感じているからだと思う。

 

映画自体は、主人公はカワイイし、登場する男役もヤな人は少ない。警官以外:笑。辺野古を思い出したな。

あらゆる世代の女性と、男子に観てほしい。長男教育なんてしてはイケナイし、そう育っても疑問を持って欲しい。

エンディングの音楽が特に良かったです。サントラが欲しいほど

 

映画『未来を花束にして』予告編

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