山形の森 保守醒論

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新党報道で、山形県も渦中入り。

2010-04-10 09:03:33 | Weblog
昨8日は、記者や友人から多くの電話をいただいた。
新党結成に湧く政界事情のなかで、前山形県知事の斎藤弘が、“首長新党”に参加表明の一部報道がなされたことによる。
さしずめ党名は(山田・中田・斎藤で)「新党HIROSI」では、などと洒落た思いをうかべたのだが。斎藤と初めて相対したのは、平成16.11.25である。
「やまがた夢未来機構」代表と名うったパソコンでの手作り名刺を(いま手元で)見ながら思い起こしている。
10日ほど前(11.14)の自民県連選対会議(グランドホテル)で、加藤紘一は「かならず、良い知事選の候補者が出てくるから(それまで)期待しよう」と言い切った。
そして突如の出馬表明したのが斎藤弘であり、加藤が背景にあるとのこと。
機を狙った隠し玉であろうと素直に期待したもので、「それでは、逢ってみたいものだ」となったのが、11.25であった。
以後数日間、斎藤との遣り取りのなかで、「チョッと、おかしいな。本当にこの人物で大丈夫なのか?」との思いがつのり、加藤系県議に「加藤代議士は、しっかり人物評価したのか?」と問えば、「ダメだったら、4年で代えればいいじゃないか」と言う。
某代議士秘書にも同様に懸念を訴えたら、(加藤に任せきりで、斎藤をよく知らないのに)「すでにうちの先生は、『すばらしい人物が名乗り上げた』と後援会に告げてある。支援集会の計画も進めてある。いまさら、待ったは掛けられない」と言う有様。
さらに判明したのは、今井幹事長は2ヶ月以上前から(それも県外で)密会し、出馬潰しに(断念を勧め、現職サイドで)動いていたことである。
そのうえで「斎藤なる人物が名乗りあげたようだが、まったく知らないことだ」と、約3ヶ月間も知らぬ存ぜぬを通していたのである。
ブログ子は当時のA記者にその情報を与え、詰問した結果、しぶしぶ密会を認めたと報告を受けた。
県民の知らないなかでの130万県民のトップリーダーを選ぶ選挙戦前での(現職4選派と、(この際)だれでもいいから擁立派の)ふざけた内輪の舞台裏模様であった。
結果は現職批判の風が功を奏し、新人斎藤の僅差での勝利となったが、再選を目指した平成21.1の知事選では、攻守立場が代わり現職批判に晒されて吉村女史に敗れた。
斎藤陣営は財政健全化などの政策は評価されていると県政運営の実績を訴えたが、県民過半の理解は得られなかった。
斎藤の言行を見てきているものとして、「政策は評価されたが、性格(手法)が否定された結果」と見ている。
このたびの行動も、解からないものではないが、先にやるべき手順が蔑ろにされている感がする。
性格(人間性)はそう変わるものではないものだ。
斎藤はジュンズ・ホプキンス大に学んでいるが、新渡戸稲造の「武士道」への理解は薄いようだ。

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