山形の森 保守醒論

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第三極新党構想が入り乱れる中で、政界再編に期待。

2010-04-10 12:41:15 | Weblog
第三極新党構想が入り乱れる中で、いま冷静に振り返って見ると、自民党政治(日本政界事情)の劣化崩壊は約20年前から始まっていたんだな、と深く感じ入っている。
繰り返される「政治とカネ」の問題が起きるたびに、(選挙・政治資金の)制度論にすり替えて小手先の改正で政権延命を図ってきた。
もっとも無責任野党などは、話の端にもならないものなのだが・・・。
とくに、1993.7の野党転落時に、河野洋平を総裁に選出したことは、いま振りかえると自民党にとって致命的であった。
この野党に下った時こそ、保守政党の再構築をすべきチャンスであったのに、政治改革優先の美名のもとに「選挙制度論」に舵を切り、政治家自身の信条・理念による政治結集論議がまったくなかったことである。
むしろ、宮沢・後藤田などのリベラル派は、小沢一郎が憲法と自衛隊の海外派遣を整合させる「小沢調査会」の報告書答申、自署「日本改造計画」で発表された、安全保障基本法構想などに対して、(河野自民党が)対抗軸として、より左に路線を修正したことで、現在の(社会主義)民主党政策にすぐに反応できる保守思想を喪失した党現状を作りだしてしまった要因となっている。
先頃の人事で河野太郎を幹事長代理に起用したが、谷垣禎一(要職ならまだしも)を党総裁に選んだことや、河野太郎が(20人の推薦人を以って)総裁選挙に挑戦できる党内事情は、もはや保守政党とは言えない状況である。
河野一族について述べてみると、河野一郎(当時農相)は己の北方漁業利権を優先させて北方領土問題を棚上げさせた。 戦後60余年、いまだに解決をみていない。
田川誠一(元朝日記者)は中国の言うがままに日中記者交換協定(1964.4)を取り決め、親中議員として従兄弟の河野洋平と被対日工作ルートとして国交回復以前から活動している。
伊藤忠兵衛の娘を娶った、洋平と(伊藤忠商事の)親中売国行為はいまさら言うまでもないだろう。
吉田茂はガンで病床にあった池田首相に、「河野(一郎)のような容共政治家を許すな」と書簡で説き、後継禅譲(1964.10)を佐藤栄作に導いている。
河野一族が三代にわたり行ってきた国を売る政治行動に対して、何の指摘することもなく容認し、勝手な言動を許しているのは保守政党の自壊を表すものである。
宮沢喜一は資本主義体制を維持することを、自身の「保守政党(観)」と述べ、歴史や伝統による総体的な国家観を備えた保守には一切言及していない。
宮沢は、戦後政治のなかでもっとも長く与党政治の中枢で与してきた政治家であるが、大平首相急逝で誕生した鈴木善幸内閣(1980.7)の官房長官となったときから、自民党政治は軸足が左に少しづつ移動してきたように思われる。
リベラル派は、戦後日本の永劫指針として「吉田ドクトリン」を持ち出し、軽武装(米国依存)で経済優先策を自民党の中心に据えようとの論調(朝日新聞や岩波など)を定着させようとしてきた。
吉田自身が反省の弁として述べているが、「吉田ドクトリン」は経済復興までの当面の政策指針であって、長期的展望を論じてきたものではない。
吉田は佐藤内閣誕生(1964.11.9)にあたって、自らが安全保障政策課題に十分に取り組んでこなかった責任を痛感して、直弟子の佐藤に「再軍備問題や憲法改正を政治課題にする必要性」を申し伝えている。
(翌1965の日米協会での晩餐会挨拶で、吉田は核武装検討の問題提起発言もしている)
中国が初の原爆実験成功(10.16)、米の原潜シードラゴン号が佐世保に入港(11.12)し、左翼の抗議行動に覆われていた時期である。
日本共産党は、中国の原爆実験直後の第9回党大会(11.24)で、臆面もなく中国共産党路線(毛沢東思想)を確認しているのだから、(共産党が)核廃絶運動などと言い張るのはペテン紙朝日新聞と同じ狂った思考集団(単に反米親中)と言える。
11.17、朝日新聞は広岡知男が代取専務となり、中共の対日工作紙としてアクセルは全開過程に入る。
このような中で、黄砂ならぬ赤化に塗られたスパイもどきの親中リベラル議員が、自民党に正面玄関から次々と侵入してきたわけである。
いま日本人としての誇りと矜持を以って行動できる政治家がどれだけいることだろう。
馬鹿ポッポ首相はすでに浸透工作完了のように思えてならない。蘆武鉉のように自殺する覚悟さえ持ち合わせていないだろう。
新党「たちあがれ!日本」は齢70歳の政党として、国民の受け取りはあまり芳しくない。
ただ、全学連~全共闘世代に重なる60歳代の左傾化した体たらく議員(鳩山兄弟・小沢・菅・加藤・中川秀・・)に引導を渡し、人生最後に立ち上がれの気概を示し、講和後の若い世代にカツを入れ呼び掛けていることには違いない。
(みんなの党・首長新党との)第三極の争奪合戦が政界再編につながっていくように思えてならない。
民主党の中には与党の一員として口を噤んでいるが、正常な安保感覚を持った議員は半数ぐらいはいるはずである。
幾ばくかの期待感を持って見つめていたい。

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