山形の森 保守醒論

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渡辺喜美・河野洋平に見る、“脱党DNAの父子相伝”

2009-01-05 17:23:11 | Weblog
自民党の渡辺喜美元行革担当相が麻生首相に、早期の衆院解散や定額給付金の撤回などを求めた上で、「麻生内閣に心の底から怒りを覚える。できないのなら、自民党を離れる」と述べ、離党に踏み切る意向を明らかにした。
1994.4、父の渡辺美智雄は小沢一郎(新生党)の誘いを受けて離党に踏み切るか悩んでいた。
4.14から15日にかけての院外での引抜き政治抗争は、派閥領袖のミッチーを含む集団離党工作に及んでいた。
小沢とのメッセンジャー役は変態・山崎拓だった。
この夜、本県の鹿野道彦に「渡辺美智雄が同志を率いての離党を決断した」との情報が齎され(小沢側の工作人は中西啓介)、「それでは、高く売れるうちに(渡辺より先に)離党しよう」とばかりに、急遽4.15午前に離党会見、「新党みらい」結成へと一夜にして進展することになる。
揺れた渡辺ミッチーだが、党幹部の慰留に結局思い留まる。
1976.6河野洋平は自民離党、新自由クラブを結成したが、父河野一郎も1960.5の岸内閣・新安保条約採決で河野派議員を率いて欠席行動をとる。
岸首相退陣表明を受けての党総裁選挙(60.7池田勇人総裁選出)後の二ヶ月間ほど、離党・新党結成を模索した時期があった。
両父君はともに離党断念に至るのだが、子息達は父の思いを晴らすかの如く思い切りの行動をとるものだなと写る。
渡辺美智雄との慰留会談をした党総裁が、脱党出戻りの河野洋平であるのも、実に皮肉な巡り合わせである。
先に触れた新安保条約採決で党議拘束に反して欠席・棄権をした議員が40数名にのぼる。
(河野一郎・石橋湛山・三木武夫・松村謙三・宇都宮徳馬・古井嘉実などの面々)なのだが、その後の政治活動で親ソ・親中・親朝派議員として社会主義勢力と通じた党内活動を展開しているが、この自民党のウイングの広さが逆に有象無象を醸していると言えよう。
渡辺喜美・河野洋平に見る、“脱党DNAの父子相伝”。果たして、政治理念を旗印にした行動なのかが問われる。

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