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亀井郵政改革担当相の、郵政改革法案に国家的戦略などあるのか?。

2010-03-25 19:46:06 | Weblog
3.23、亀井静香・郵政改革担当相は、郵政民営化路線を転換する郵政改革法案が固まったと発表した。
ゆうちょ銀行の預け入れ限度額、かんぽ生命の保険金上限額をそれぞれ引き上げる内容となっており、巨大官営企業の“肥大化”による「民業圧迫」と、閣内からも批判の声がでている。
1992.12月の初旬、キャピトル東急ホテルで金融問題関係団体との朝食会があった。
座長は小泉純一郎で、銀行協会を始めとする各金融団体の代表が、(当時も)議論の的となっていた郵便貯金の預け入れ限度額の引上げに対し総じて、「官業による民業圧迫」との反対の声を上げていた。
小泉座長は、団体総意の申し入れに対して、郵貯の限度額引上げ論を歯切れよく非難して、異見に沿うように党内で議論していく旨を述べて散会した。
その3~4日後くらいだったと記憶するが、宮沢改造内閣が発足し、小泉は郵政大臣として入閣(12.11、宮沢首相の深謀があったと思われるが)する。
小泉と郵政族議員(郵政省)との『郵政改革戦争』が勃発することになる。
たいていの政治家は立場を異にすると持論を控え、折合いをつけて要領良く立ち回るのが常であるが、小泉純一郎に限っては敵陣に単騎で乗り込んだ風でも、決して自論を曲げなかったことに、ブログ子も正直驚いたものである。
飯島秘書官とのタッグで、郵政官僚と対峙できたのも強烈な個性によるものであろう。
郵政民営化論議は小泉内閣誕生まで鎮静化するが、(2001.4)内閣発足と同時に、不良債権の最終処理と財政構造改革のなかで、郵政民営化は小泉政権の最重要課題として浮上することになるが。
この直前に、現大臣・亀井静香との総裁選挙での、その後の長い命運をかけた政治家同士の絡み合いがあった。
亀井は総裁選挙に臨んだが、予備選後に本選を辞退して小泉に協力することで(小泉総裁誕生で)自身の有力ポストを期待した。
ところが、小泉が一本釣りしようと声をかけたのは、亀井の片腕・平沼赳夫の三役入り(政調会長)であった。平沼は兄貴分亀井の手前辞退する。
政調会長ポストは麻生太郎に流れて、当時最大派閥であった橋本派(経世会)も党三役を外れる人事となった。
これが、結果として小泉による「旧田中派(経世会)つぶし」の始まりとも言われるようになる。
その後の経緯を見れば、この人事の発端から、麻生は政権に辿りつき、亀井に気を使った平沼(亀井自身も)は郵政選挙で離党を余儀なくされた。
亀井としては、小泉の郵政解散は積年怨讐の思いがあるのだろう。
現在の郵政改革担当相として、郵政改革見直しは私怨を持って臨んでいるように感じる。
攘夷か開国かで争った明治維新の様相でもあるが、民営化と金融安全保障をリンクさせようとしている論には違和感を感じている。
民営化(開国維新)で、漸進開国を具申した長井雅樂(長州)、吉田東洋(土佐)、佐久間象山(松代)などは、攘夷論噴出のなかで自刃、暗殺によって死を迎えた。
徳川倒幕時に生き残ったものだけが、結果オーライの維新達成で論功行賞を得て現在の評価に至っている。
勝者の歴史のみが謳われることにスッキリしないものがある。
金融安全保障策は別途に講じることで、資源少国の日本はグローバル時代に対処すべきものと思う。
亀井の郵政改革見直し法案が、国家的戦略に基づいた国益に沿い後世に語れるものとはとても思えない。
国民資産の官権による利権争奪の様相だけが見えてくる。

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