山形の森 保守醒論

山形から発信する内外の時評ブログ!

河野談話破棄の前に、河野洋平に「腹斬り勧告」で主権回復の烽火

2012-08-25 19:05:34 | Weblog
尖閣諸島、竹島不法占拠問題に於ける日本の外交姿勢について、石原慎太郎東京都知事、橋下徹大阪市長ともに、(1993.8)河野洋平官房長官談話の(政治判断)愚かさを批判している。
方や中国、方や韓国が相手で別問題として語るコメントがあるが、根っこには共通項があることを忘れてはならない。
1992.8(江沢民・盧泰愚が)中韓国交樹立を果たした。1994.6(自社さ連立)村山政権が発足、河野洋平は外相に就任する。
(8.15村山首相が戦後50年談話発表)1995.10江沢民総書記は公式初訪韓し、(当時の)金泳三大統領との首脳会談で「反日歴史認識戦術で一致」、以後、反日共闘を進めることになる。
河野外相(河野談話)を狙い撃ちする対日外交戦略統一戦線が結ばれた瞬間である。
このことが韓国が河野談話を盾に歴史問題を重ね続ける実践の根拠とされている。
日露の北方領土、日韓日中問題はすべて、河野一郎・洋平父子による私利優先の棚上げ外交が発端となっている。
また一族の河野謙三、田川誠一(従兄弟)の宇都宮徳馬と連なる北朝鮮宥和姿勢(スパイ)など河野一族の売国政治行動は尽きない。
いまさらではあるが、懸念する外交問題払拭にあたり、河野談話破棄は当然とするも、まずは河野洋平にプライドを失わない日本人らしく「いさぎよい腹斬り」を勧告する。
さらに子息太郎の政界追放と、河野洋平在任を支えた(故宮沢喜一・後藤田正晴)森喜朗、加藤紘一(前年に露払い)、山崎拓らも共犯に価し政界引退を同様に求める。
宮沢喜一は叙勲を辞退したが、洋平は何の恥入ることなく勲章を受けた。
国民に謝罪のうえで返上すべきであろう。このような国賊政治家を歴史に留めて後世の教訓とせねばならない。
宮沢は(鈴木善幸内閣)1982.8の「歴史教科書」官房長官談話での失態(近隣諸国条項)もある。
大平死去後の1980.7善幸内閣を仕掛けたのは田中角栄、1991.10「3者小沢面接」を経て宮沢内閣は誕生している。
金丸信・小沢一郎による推挙で、経世会が支える宏池会政権のときに特亜外交が後退してきている。
「保守理念を忘れたリベラル自民党の正体」。河野洋平に「腹斬り勧告」で主権回復の烽火を期待する。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 奸国・虫国の変わらぬ民族性... | トップ | 日朝協議で拉致問題の完全解... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事