テロに合い、絶命した政治家は歴史に名を残す。その点で、加藤はまだまだと言えよう。堀米容疑者は不在を確認したうえで、放火を実行して、覚悟の割腹自決の行動に及んだ。加藤に、これだけの腹の据わった行動ができたなら、「加藤の乱」成就の可能性はいくらかあったかも知れない。行動にあたっての戦略戦術のなさが、加藤の闘う政治家失格を決定的にした。加藤は堀米容疑者を見習わなければならない。紘一の名前は父精三が、「八紘一宇」から名付けたと言われる。しかし、加藤は、中華帝国による「八紘一宇」実現と解釈したのか、シナの工作員として政治活動を続けてきた。我が国には、「スパイ防止法」が制定されていないから、院内も含めて堂々と工作活動可能である。かつて、「スパイ防止法制定」が昭和60年の中曽根内閣時に成立直前まで行ったことがあるが、靖國神社公式参拝とともに頓挫した。この時、加藤は閣内(防衛庁長官)で成立阻止に動いたとされる。自らに降掛かる法案阻止は、シナ工作員として面目躍如の活躍をした訳である。戦前なら、スパイは尾崎秀実のように銃殺刑となるが、いまの日本にはそう言った罰則法はないのだ。メゲルな加藤工作員、もっともっと媚中朝の発言・行動をしないと歴史に名は残せない。「加藤の乱」のような腰折れでは、中朝にも評価されなくなるぞ。
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