山形の森 保守醒論

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稚児・永田寿康で証明された、GHQの戦後幼稚化政策

2006-03-12 01:31:24 | Weblog
大東亜戦争後、GHQの占領政策で、後に(米上院で)マッカーサーは45歳の(おとなの)アメリカに立ち向かった(日本は)12歳の少年だと形容した。この勇猛な少年を成長させてはならない。二度と大人に挑むことのないよう、さらなる幼稚化教育せよ!。が、占領政策の狙いであった。その後の朝鮮戦争・米ソ冷戦など国際事情は変遷を辿るが、このたびの、「永田ガセメール問題」は、国内政治の一端での政治家の資質を問う、極めて単純なことであるが、国会は騒然・マスコミの取材合戦に発展した。いまだ、すべては解明されていないが、このような稚戯が公然と現れるほど、国民全体が12歳より劣るほど、幼稚化したのだろうか。なにより、東大・財務省と言う経歴を持った永田が主役だったことがより深刻にさせる。民主党の渡部恒三国対委員長は10日、衆院懲罰委員会に付託されている永田議員について「政治家は出処進退が大事だ。国民の信頼を取り戻せる時は腹を切る覚悟がいる。政治家は侍なんだから」と述べ、自ら議員辞職すべきだとの考えを示した。また、渡部はラジオ番組で「僕は会津(出身)。16歳の白虎隊は腹を切った。今の若い人も覚えて欲しい」とも語った。「政治家は誰から言われることでなく、本人が判断することだ」は、16歳の少年白虎隊は自決したのに、決断できないようでは、それ以下の幼児そのものだ。渡部は「永田は辞職すべきだ」という党内や世論の根強い声を意識して発言したと見られる。メール問題が長引けば、国民の政治不信をさらに深くさせる。もし、党内に永田の辞職を思い留めたものがいたならば、罪はさらに大きい。

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