加藤紘一は、11日の自民党山形県連大会の挨拶で、自民党及び福田内閣に対する支持率低迷について、昨今の政策遂行への国民批判と併せ、共産党(主義)に対抗する政党としての立党意義が完遂して無くなったからと断じた。しかし、そうだろうか。日本共産党や社民党に対しての優位性は揺ぎ無いものとしても、日共除名・離党などを経て統制枠を外れた(新左翼などの)無軌道活動分子が社会党・民主党に移行潜入を果たし、支援関係を構築して、現在も継続した思想活動を展開していることは明白である。また、(ソ)中朝工作に乗り活動する“左翼主義者”も多岐にわたる。自民党内にも党基本綱領(レゾンデートル)を逸脱した政策実現に走る、加藤をはじめとしてリベラルと称する(?容共)親中朝議員が多く見える。国家戦略を抱いた政治論よりも、只々、多数派民主主義のもと数合わせの論理を優先して、木を見て森を見ない足元民主主義が横行している。小さな政府大きな政府の選択議論がある。社会主義の大きな政府論は結果として自立心を萎えさせ、管理統治側の手の内に入ることになる。民主主義が浸透している国家では国民の判断(責任も)に帰せられるが、独裁政権下では労働搾取の駒でしかない。中国の現状はそういうことではないのか。世界で最も死刑が多い国は中国とされ、(国際的な)裁判審理制度も発達していない中にある。チャイナに精通する中共代理人の加藤が、超党派の議員連盟「量刑制度を考える会」の会長になったそうな。加藤は挨拶で「裁判員制度では一般市民が重い刑の判断をしなければいけない。人間の倫理観や死生観にもかかわるので超党派で考えたい」と述べ、鳩山法相発言(死刑執行手続き)を非難している。人権無視国家の中国に対してこそ、友人気取りで意見開陳すればと思うのだが、杳としてそんな素振りは見えない。相変わらずの説得力のない空振りの論でしかない。加藤の爛れた意地ましさだけを感じる。
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