山形の森 保守醒論

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菅直人の靖国禁足令に英霊(先人)は怒り、「罰当たり政権」を見放した!。

2011-05-17 17:40:26 | Weblog
3.11の大震災発生から2ヶ月を経過しながらも遅々として進まない復興計画、原発事故の安全宣言もなされず、被災地関係者は苛立ちと心労から究極状況となっている。
科学的社会主義(マルクス主義)とやらを信奉する菅民主党政権ご一同にはまったく気にも留めないことであろうが、1995.1の村山政権時の「阪神・淡路大震災」と重ね併せて、神々(先人)の怒りを買ったのではとの思いがするのはブログ子だけであろうか。
これまでも靖国神社参拝は閣僚それぞれの信条に照らして自己判断で行ってきている。
が、菅政権発足にあたり、首相の指示として全閣僚に靖国神社参拝を控えるようにとの実質靖国禁足令を発した形となっている。
その結果ひとりも閣僚参拝のない事態となった。
(1994.6発足の)村山富市政権では、村山首相の靖国参拝は無かったが、閣僚全員に禁足を指令することはなく、個々の信条に従って参拝する自民党の閣僚はいた。
ところが、村山首相は毎年1月4日頃に歴代首相が詣でた、(1995.1)伊勢神宮の参拝を、(社会党内の「政教分離の観点から問題視する声があり」)風邪を引いたとして参拝をしなかったのである。
そして、(風邪を引いたと言訳しながら)同日、身内の社会党関係の会合に出席していたことが後に判明した。
その後は国民ご記憶のように、2週間後の1月17日に阪神・淡路大震災が発生(M7.3)、死者6,433人、負傷者43,773人の大災害と化したのであった。
さらには、3月20日にはオウム教団による地下鉄サリン事件が発生、首相の伊勢神宮参拝回避に「(皇祖皇宗の)祟り」かとの声もあがり、翌4月の三重県知事選挙の応援を兼ねて、遅ればせながらも、投票日2日前ギリギリの4月7日午後に伊勢神宮参拝を行った経緯があった。
村山首相は、翌年(1996.1.4)には伊勢神宮を参拝し、それをけじめとして翌日(1.5)に退陣を表明した。
菅直人には届くことはないであろうが、首相として全閣僚を引き連れて靖国の英霊に対して日本人としての(先人への)非礼を詫び敬意を表して、震災復興と国民の安寧を心から祈願しなければ、復興への着実な進展はさらに遠のくのではと思いつつ、被災民の神々にもすがる悲鳴の気持ちが響いてくる。
先人に礼を尽くさない現政権への天上からの怒り声が聞こえるようだ。
菅直人の靖国禁足令に英霊は見放した!。
このような、「罰当たり政権」の誕生を許した現世国民への先人からの叱声にも思えてくる。

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