田原総一朗の、4.24「朝まで生テレビ」での発言問題が後を引いている。
田原は、家族会・救う会からの抗議に対する回答として、「まことに乱暴な言い方だった」との謝罪の意を含んだ返事を寄せた。
外務省幹部の誰が言った、言わないを論じることより、総体的な田原総一朗なる人物のメディア論、ジャーナリスト観について、その品性の無さに日頃から疑問を募らせていたものである。「乱暴な言い方」がジャーナリスト?に許される免罪符の如く、「インチキ、デタラメ、いい加減」などの言葉を浴びせ、これがジャーナリスト然として振舞うさまに、見るに堪えない日本全体に覆う「メディアの品格?、腐敗堕落」を感じとってきた。
報道に類する番組がこれだから、娯楽バラエティなどはこの比では無い。西のバカタレ(吉本)、東のジャリタレ(ジャニーズ)が騒々しい低俗番組のオンパレード。田原は、大宅壮一が評した“白痴化の先導役”のひとりとして充分果たしてきたことだろう。
田原とのコンビ役・高野孟の父高野実は、(隠れ共産党員として、1950.7の)総評結成に参加、事務局長役を得て、総評組織を急速な左旋回にミスリードした。
労農党結成(1948.12)に潜り込み、社共両党との統一戦線を画策した(隠れ共産党員)松本健二事務局長とともに戦後の組織潜入の赤化政治工作として特筆される両人である。
高野孟は父実と中国共産党による一家まるごと招待の滞在旅行などを受け、中共ベッタリから親子で共産党除名(1968)となる。
1996.9最初の民主党結成(鳩山・菅共同代表)で、高野孟は理念・綱領執筆に参加したとされる。
共産主義・社会主義が染付いたDNAを狡猾に織り込んで、思い半ばで旅立った父実の革命思想を現民主党に期待しているようだが、田原とコンビで、品性を欠いた左翼偏向報道の尖兵では困り者である。
田原総一朗に見る、「品格無き腐敗堕落、偏向メディア」の怠惰現状。
田原は、家族会・救う会からの抗議に対する回答として、「まことに乱暴な言い方だった」との謝罪の意を含んだ返事を寄せた。
外務省幹部の誰が言った、言わないを論じることより、総体的な田原総一朗なる人物のメディア論、ジャーナリスト観について、その品性の無さに日頃から疑問を募らせていたものである。「乱暴な言い方」がジャーナリスト?に許される免罪符の如く、「インチキ、デタラメ、いい加減」などの言葉を浴びせ、これがジャーナリスト然として振舞うさまに、見るに堪えない日本全体に覆う「メディアの品格?、腐敗堕落」を感じとってきた。
報道に類する番組がこれだから、娯楽バラエティなどはこの比では無い。西のバカタレ(吉本)、東のジャリタレ(ジャニーズ)が騒々しい低俗番組のオンパレード。田原は、大宅壮一が評した“白痴化の先導役”のひとりとして充分果たしてきたことだろう。
田原とのコンビ役・高野孟の父高野実は、(隠れ共産党員として、1950.7の)総評結成に参加、事務局長役を得て、総評組織を急速な左旋回にミスリードした。
労農党結成(1948.12)に潜り込み、社共両党との統一戦線を画策した(隠れ共産党員)松本健二事務局長とともに戦後の組織潜入の赤化政治工作として特筆される両人である。
高野孟は父実と中国共産党による一家まるごと招待の滞在旅行などを受け、中共ベッタリから親子で共産党除名(1968)となる。
1996.9最初の民主党結成(鳩山・菅共同代表)で、高野孟は理念・綱領執筆に参加したとされる。
共産主義・社会主義が染付いたDNAを狡猾に織り込んで、思い半ばで旅立った父実の革命思想を現民主党に期待しているようだが、田原とコンビで、品性を欠いた左翼偏向報道の尖兵では困り者である。
田原総一朗に見る、「品格無き腐敗堕落、偏向メディア」の怠惰現状。
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