山形の森 保守醒論

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一億円は関係悪化にあった日歯と橋本派との手打ちの和解金

2006-04-02 10:28:14 | Weblog
平成12年、日本歯科医師会の会長選で4選を目指した中原爽を破り、臼田貞夫は4月に新会長に就任した。
日本歯科大創設者の系譜を引き自民党参院議員でもある中原は「厚生族のドン」と呼ばれる橋本元首相の支援を受けていた。
中原の長期会長批判勢力を結集した形として臼田会長は誕生した。
さらに直後の6月に行われた衆議院選挙の神奈川8区で、地元事情優先として、現職で民主党推薦の中田宏を地元歯科医師会(横浜市青葉区・川崎市宮前区)が推薦。
自民党候補で橋本龍太郎内閣当時の首相秘書官で元通産官僚の江田憲司と対峙することになる。
「なぜ、江田ではなく、中田なのか」、後で中田は「自民党を刺激したくない。歯科医の皆さんは大変な圧力と戦っている」と答えている。
結果は中田の当選となるが、国政の政権交代とはならなかった。
面子を潰された人一倍鼻っ柱の強がり橋龍は、臼田日歯に徹底的に背を向けた。
明けて参議院選挙を控えた13年7月、自派の中原の再選を計りたい橋本派、日本歯科医師会としても、組織代表を国政に送りたい。
この双方の思惑から、拗れた関係修復のため事務総長の野中は料亭・口悦での会談をセットして和解金一億円の受領となった。
会長の橋本が受取、同席の青木・野中も礼を述べる。 橋本は派閥の金庫にそれを差出すことで会長として顔が立つ。
ヤクザの手打ちみたいなものだから、表には出せない。 ウラ処理せざるを得なかった。
事件が発覚したので、「毒饅頭」とののしり、村岡に恨みを持つ野中が滝川事務局長に「村岡に負わせろ」としたのが真相である。
小渕元首相の秘書だった滝川を小渕亡き後に、平成研(橋本派)の事務局長に引き取ったのは野中だから、真面目な滝川は恩人の言うことを聞かざるを得なかった。

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