山形の森 保守醒論

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アカン政権・県議選・赤プリ閉館の同時到来で回顧する

2011-04-04 17:15:16 | Weblog
アカン政権・県議選・赤プリ閉館の同時到来で回顧されたことがある。
(1994)4月下旬、ゴールデンウィークを間近に控えた頃、A県議からの電話「M君、どうなっているんだ。(4.15の事前事後も)いまだに代議士からは何(の連絡)もない。若手(議員)から突き上げられて立場がないよ。」と、A県議は県議会K派議員団のリーダーである。
(この頃、Yは市長選出馬で県議会を離れており、7名のK派のまとめ役はAだった)4.15の離党、新党立上げ会見からすでに2週間近く経っていた。
新聞・テレビのメディアは連日、与野党絡めた政局報道で溢れ、政治に関心ない間でも挨拶代わりに会話されるほどのときであった。
1~2回の若手議員は支持者などから問われたときに応えようがないと、自分には何の連絡もないが(代表である)A県議には事情経緯の電話ぐらいはあっただろうと突き上げられたことで、Aは困り果てて電話してきた様子だった。
Kにその旨を伝え、「野々村(山形市七日町)」に席を設けて経過説明するに至ったのは、実に半月以上経過した5月の連休に入ってからであった。
ドタバタの離党劇、4.14夜に渡辺美智雄グループが集団離党を決意したとの情報(結局、渡辺一派は留まる)から、先んずることで高く売り込めるとの判断から、これといった準備もなく、(キャピトル東急で)翌4.15の自民離党、新党立上げ会見となった。
ドロナワの新党準備(綱領・政策起草など)のために急遽確保したのが、赤坂プリンスホテル新館・高層階の一室(皇居側)であった。
何の用意もないので、麹町(新宿通り)の文房具店に駆け込み一万円分ほどの文房具類を買い求め、寄せ集めスタッフで作業開始となった。
元赤坂のパレスビルに新党の事務所を構えたのは連休直前、お披露目は連休明けとなった。
Kの手順も指示も何もない中で(取り繕いで手一杯)、会見直前に自民党県連のE事務局長に「(まもなく)離党会見します。お世話になりました」と電話をいれた。
翌日の地元新聞(山新)に「(会見前に)秘書から連絡があった」とのE局長のコメントが載り、最低限の仁義を切ることができホッとしたものだった。
その後、いまは亡きN県議からは、「(何の事情も知らされないまま)勝手に家出した親に捨てられた『捨て子』みたいだ。冗談じゃないよ!」と言われ、返す言葉がなかった。
未曾有の大災害でオロオロする菅政権、基本手順すら自己認識出来ないままに進行しているさまが感じ取れる。
行動規範に欠けた脱兎のような政治家が多分にいることは否めない。
政治家資質とは忘却の忍なのか。 国民世論も風と共に去りぬの結果オーライで沈んでしまう。
政権延命だけに馳せる政治闘争のなかで、国民の記憶も、また失せて行くだけなのかも。
混迷政局に赤プリ閉館(3.31)が重なり、つい恥ずべき裏舞台を回顧してしまった。

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