小沢一郎は、父・小沢佐重喜の死去を受けて、昭和44年の第32回衆議院選挙で初当選、27歳の若さだった。司法浪人を重ねていた小沢は大学院生から直ぐに国会議員となり、いわゆる世間知らずの代議士として、当時権勢を振るっていた田中角栄の愛弟子として可愛がられ、永田町人のタイトな人生を歩むことになる。「数とカネこそ権力の源泉」と田中政治の哲学を携えながら、常に政権中枢で政治権力を発揮していく。田中がロッキード事件で失脚したあとは、金丸信を嵩に権力の横暴の限りを尽した。選挙は土建屋選挙そのもので“東建協”総出のゼネコン選対が仕切り、関連業界まで及ぶ恫喝選挙戦だ。「旧い自民党の金権田中政治」の象徴、口下手で都合悪ければ“引き篭り”、こんな肌合いの違う小沢を党首に頂く民主の若手には、違和感を感じない得ないものなのだろうか、不思議である。「密室談合政治の権化」に国民も騙されっぱなしだ。民意、民意と口を揃えて言うが、所詮、国民のほとんどは、自分の足元しか眼にしない狭小人。微風に泳ぐ“風船”のような民意である。小沢にとっては、深い戦略を踏まえての高度な政治判断の一里塚(庇を借りて母屋を取る)であろうが、民主幹部にさえ、単純な連立参加としか受取れないのだろう。かつて、二大政党による政権交代可能にするため「(小選挙区制に)選挙制度を変える。」と言ったが、今度は「(連立して、その後に)中選挙区制だ。」との変節。庶民は“生活が第一”は“永田町生活(政治権力)が第一”の政治屋判断と見る訳だ。メディアでは、「小沢は説明(責任)不足だ。」と述べているが、小沢に説明能力は無いし、説明する意志もない。謝罪の仕方が解からない亀田父と同じ不適性な人間と映る。勝って気ままなだけの“オザワる”パフォーマンス。素人からすれば、「イチロー、いいかげんにしろ!」と言いたいのも解かる。
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