山形の森 保守醒論

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福田首相の、「自分自身のことは客観的に見ることができる」に異議あり。

2008-09-02 16:48:41 | Weblog
福田首相は1日夜、緊急記者会見を開き突然の辞意を表明した。
「一番いい時期」を選んだ決断であると述べ、政権を投げ出すことの「弁明」を繰り返した。
確かに国会休会中のこの時期は、任期満了まで一年と迫るなかで、今後の政治日程からすると「一番いい時期」ではある。
しかし、国民目線をことあるごとに枕言葉にしてきた首相には、辞任表明で国民の批判の声がどう出て来るのかまでの含みは無かったことだろう。
「首相の言葉は国民には人ごとのように聞こえるが」との記者質問には語気を強め、「私は自分自身のことは客観的に見ることができるんです。」と切り返した。
ならば、一年前の自民党総裁選挙になぜ出馬の決意をしたのか。
かつては政治家になることすら忌避していたはずで、著書でも、「政権を4年堅持できない人はやらないほうがいい。」とまで自ら主張している。
議席を確保するだけのヒラ議員ならまだしも、国政の最高指導者を目指すのなら、まずもって自らが適任であるのかどうかを(客観的に)問うて欲しいものだ。
「自分自身のことは客観的に見ることができる」と言い切る福田の眼力は、如何ほどのものかと見えるに等しい。
政治空白を最小限に“この時期”との言葉に一理はあるが、常々ミスキャスト首相と述べてきたブログ子には、「(日本にとっての)政治空白は就任以来一年間に及ぶもの」と切り捨てたい。
福田政権発足以来の外交路線の転換は、外務省チャイナスクールの復権を許し、“パクリ国家(中国)との媚中外交”“狂気国家(北朝鮮)との宥和路線”は独立国家としての威信を著しく後退させ無形の大きな損失となった。
ともあれ、無能無策の福田首相を擁立した国会議員諸侯、それら議員を選出した国民有権者の軽薄近視眼的な意思表示があってのことであることを忘れてはならない。
これまで既載ブログでも批判してきた最低な福田首相は消えたが、最悪の小沢民主党代表はまだまだ蔓延る気配だ。
“民主党支持者もなんとか覚醒してくれ!”、と叫びたい。
小沢一郎的政治性の存在こそが、与野党共通の日本政治発展の元凶であることを(田中角栄・闇悪の)政治史からシッカリと知るべきである。


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