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肩書きの威力

 テレビ番組で、司会者がコメントを求める人がいる。それに応じてコメントする人物の肩書きがテロップで出る。「作家」という肩書きの人が時々こういう場で発言する。発言はいい。だれでも、どんな発言でも自由にできることは、この国では保証されている。不思議なのはその人の肩書きだ。作家とある。ところが、その人はもう何年も作品を発表していない。これで作家といえるだろうか。元作家ではないのか。作家のコメントが欲しくば、現役の作家のコメントをとるべきだと思うが。また、大きな事件が起きたとき、よくコメントする「作家」がいる。その人の作品は最近とんと見ないが、その人のコメントだけはよく新聞で目にする。しかし、新聞紙上では「作家××××氏」と肩書きは「作家」になっている。この場合は正確に「コメント作家××××氏」とすべきではないのか。
 大学教授なる人種もよく、テレビなどでコメントを発する。「この件に関して凸凹大学の△◇教授は」とアナウンサーがふって、画面が切り替わり、背後に本が並んだ研究室に、そのおっさんがいる。で、そのおっさんが、こう、おごそかにいう。「ここは、こうなった原因を究明し、しっかり今後の対策を講じる必要がありますね」
 アホか。そんなことは「凸凹大学の△◇教授」でなくても、だれでも判っていること。小生でもそんなコメントはいえる。ところが、小生がテレビに出て同じことをいっても、「なんや、このおっさん」と思われるだけで、だれも聞いてくれない。
 肩書きの威力だ。肩書きの威力に惑わされず、真実を見る目が肝要ではないだろうか。
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