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西宮八園虎日記 4月10日

「あら。こんばんは」
「お、女将。こんやはワシひとりか」
「そうです。玄白さんは急患だとかで、大あわてで医院にもどられました」
「ところで、女将。阪神勝ったか。ワシちょっと見れなんだ」
「勝ちましたわ」
「へー、広島相手に。こりゃ甲子園初戦でさいさきがええな」
「なんなさいます」
「ウィスキーやな」
「それではバーボンなど」
「ええな」
「メーカーズマークをハイボールにしました」
「うん。うまい」
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月亭可朝師匠が亡くなった

 月亭可朝師匠が亡くなった。破天荒で型破りな噺家であったが、人間国宝桂米朝師匠の総領弟子であった。もともとは三代目林家染丸師匠の(今の染丸師匠は4代目。ニコニコ顔のえべっさんのような噺家。弟子に酔っぱらって車とケンカしたるゆうて、ほんまにケンカして死んだ4代目林家小染。可朝さんといい4代目小染といい、この師匠には型破りな弟子がいるなあ)弟子であったが、女でしくじり破門米朝師匠に拾われた。
 小生は可朝師匠の高座を生で見たことはないが、昔はよくテレビで拝見した。カンカン帽に眼鏡、ギターを抱えて「ボインは赤ちゃんが吸うためにあるんやで」と歌ったりしてた。
 笑福亭鶴光師匠とならぶエロ落語家であった。こういうエロ落語家は上方落語独特のモノで江戸落語界にはいないのではないだろうか。
 可朝師匠はたんなるタレントではなくちゃんと古典落語も演じられた。いつぞや見た「住吉駕籠」は絶品であった。弟子に月亭八方師匠を持ち、ひ孫弟子までいて月亭一門の総帥であった。
 バクチに女に選挙出馬となにかと武勇伝の多いひとであった。今や絶滅危惧種である破滅型芸人の貴重な生き残りの1人であった。
小生の落語コレクションにあれば可朝師匠の高座を見ようと思ったがなかった。NHKの「上方落語の会」ででも追悼企画をやってくれないかな。お願いします。小佐田先生。
 月亭可朝師匠のご冥福をお祈りします。

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