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さようなら。おとうさん

 ドアが開いた。桜の花びらが1枚、風とともに店内に舞いこんだ。男が入ってきた。老人だ。
「こんばんは。マスター」
「いらっしゃい。長塚さん」
「お、桜の花びらが。こんな商店街の中なのに、どこに桜の木があるのかな」
 長塚が花びらを拾って手のひらにのせた。カウンターに座る。先客が1人いる。先客は若い男だ。
「また、この季節が巡ってきたな」
「はい。あれから3年です」
 マスターの鏑木が棚からボトルを出した。白いラベルに木の葉のイラストのラベルだ。
イチローズモルトだ。あいつが初めて飲んだウィスキーだ。あいつが大好きだった」
「ぼくもこのウィスキー好きです」
「ストレートですね。お二人とも」
 鏑木がイチローズモルトのキャップを開けた。二つのティスティンググラスに注ぐ。
「どうぞ」
 チェイサーの水とともに二人の前にグラスを置く。淡い琥珀色が輝いている。鏑木が手に持っているイチローズモルトのボトルが空になった。そのボトルには「智美」と書かれたタグが下げてある。
「乾杯」
 二人はグラスを軽く鳴らす。
「博之くん」
「はい」
「会うのは、これで終わりにしよう」
 博之は長塚から視線をそらし、しばらく下を向いていた。
「はい」
 博之の瞳は潤んでいる。
「さ、飲もう。智美の酒を」

「おとうさん。ここです」
「ここか。君が智美とよく行ったバーは」
「はい」
「それから、私は君のおとうさんではない。君のおとうさんになりそこなった男だ」
「長塚さん。いや、長塚部長」
「君の部長でもない。もうずいぶん前に退職した。今はただの隠居だ」
「いや。長塚さんは私の生産管理の師匠です。ぼくに生産管理の仕事を教えてくれたのは部長です」
「で、なんだ」
「はい。谷口精工、ご存知ですね」
「よく知ってるよ」
「あそこの社長が会社を閉めたいといって来ました。なんでも大病を患っていて、会社に資産があるうちに、従業員に給料と退職金を支給し、取引先に支払いを済ませて、各方面に迷惑をかけないうちに会社を解散したいそうです」
「あの社長は高齢の上に子供がいない。会社は自分の代で終わりだといってたな」
「困りました。ITVの筐体の製作ではあそこが一番なんですが」
「うううむ。君が継げ。あそこの社長はどうも君にほれ込んでいるぞ」

 博之と長塚は、その後もここバー海神で何度かあうようになった。幼いころ父を亡くした博之は、仕事のこと、人生のことなんでも年長の長塚に相談した。息子がいない長塚も博之を自分の息子のように思っているのか、親身に博之の相談に乗っていた。
 二人が海神で飲む酒は必ずイチローズモルトだ。タグの名前はなぜか「智美」だった。

「おいしい。智美さんのようですね。やさしくって、早春の野をわたるそよ風のような人でした」
「きみも谷口精工の社長になるんだろ。君に教えることはもう何もない。智美は3年前に逝ってしまった。君も新しい人生を歩め」
「はい。最後におとうさんと呼ばせてください」
「断る。もう一人のお義父さんを見つけろ」
 二人はグラスを空けた。
「じゃあな。オレはもう、君の部長でも師匠でもない。もちろんお義父さんでもない」
 長塚は立ち上がって、博之の肩をポンとたたいた。
「たっしゃでな」
 店から出る長塚の背中に博之はふかぶかと頭を下げた。座りなおして鏑木にいった。
「マスター。ぼくはしばらくここで飲んでいたい」
「なににします。イチローズモルトですか」
「いや。バーボンがいいな。バッファロートレース
 新たなボトルキープをしない海神にプレミアム・バーボンのバッファロートレースのボトルキープが1本入った。名前のタグには「谷口博之」と書いてある。
 

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トラキチ酒場せんべろ屋 4月6日

「あかんな」
「そやな。藤浪。なんべん同じようなことやっとるねん」
「ファームへ落としてじっくり鍛え直すしかあらへんな」
「うん。メンタル面をな」
「そや。このままじゃ未完の大器で終わるな」
「藤浪もあかんけど打線もあかんな」
「貧打ちゅうてもええやろ。ちょっとだけ先取点を取るねんけど、追加点がとれへん」
「あ、大将。おもやんは」
「え、休み。ビールはもうええな。チューハイくれ。あて?そやなパリパリサラダや」
「6回の絶好のビッグイニングのチャンスを拙攻でつぶしてしもたな」
「そや。あそこで点が取れるようにならなあかんわな」
「お前、ロサリオをどう思う?」
「まだ判らんわ」
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