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とつぜんコラム №173 モノには限りがある

 日本の人口が減ってきている。少子化に歯止めが効かない。人口はその国の国力の基礎となる数字ではないだろうか。ということは日本の国力が、これからは低下するということだ。
 生産力を有する青年壮年中年の人口が減り、高齢者が増え、福祉に国の予算を多く費やす必要があろう。
 1980年代のバブル期以前のように、日本の経済が右肩上がりであることを前提として、国の活動、国民の生活を考えることは、現実問題として、夢物語であるといってもいいだろう。それでも安倍首相は経済の上昇を一番に考えている。また、国民が現政権に望むことも経済の安定だ。ところが現実問題としては、上昇どころか日本の経済は下降していくだろう。そのことを、聞きたくない/いいたくない。だから上昇とまでいわなくても、水平線であるということだろう。
 いわゆる文明の利器、電機製品、自動車、工作機械、その他、第2次産業で生産する製品は、質も量も限界点に達しているのではないか。たとえば白物家電。冷蔵庫、洗濯機、炊飯器、掃除機といった家電製品は、ほとんどの家庭にいきわたっているだろう。食品は氷冷蔵庫に保管し、洗濯板で洗濯し、へっついとおくどさんで飯を炊き、ほうきで掃除している家が今あるだろうか。これらの製品は必要とされる量は充足している。人口が増えるのであれば、必要数が増えるだろうが、冒頭でいったように日本の人口は減っているのだ。海外に販路を求めたとしても、地球上の人口は限りがある。それにこれら白物家電はかっては日本のお家芸であったが、今は韓国中国に後塵をはいしている。
 では買い替え需要はどうか。冷蔵庫はモノを冷やして保管する。洗濯機は洗濯する。炊飯器は飯を炊く。掃除機は掃除する。これらの機能は、いずれの製品も満足できる性能を持っている。基本性能は行き着くところまで行ったわけ。きれいに洗濯できる洗濯機。おいしく飯が炊ける炊飯器。どのメーカーのモノでもこれらの条件は満たしてお釣りが来る。と、なると、あとは付加価値をいかに付与するかだ。
 これは白物家電以外の工業製品も同じ。例えば工作機械。昔は、熟練の職人が旋盤やボール盤を操って、金属加工していた。それがNCマシンという工作機械が出来た。機械にデータをインプットするだけで、自動的に望みどおりに機械が金属を切断加工してくれる。この切断はガスと酸素で切断していたのが、レーザーで切断できるようになった。ガスと酸素の残量を気にすることもなく、スパッタも出ず、実に快適にきれいに金属を切断できる。
 自動車にしても同じだ。原動力に内燃機関を使い人が運転する自動車は近い将来無くなって、完全自動の自動車になるであろう。
 ことほど左様に、工業製品は量も質も機能も、完全に行き止まりといっていい。今は行き止まりではなくても近い将来には行き止るだろう。
 このように、新規の需要も買い替えの需要も大きな期待はできないのではないか。モノを作って売って経済を回していくという事を根底から考える時期がきているのではないか。モノには限りがある。パイの大きさも限りがある。そのことよく考えた上で、国の政策を行い、これからの生活を営む必要があると考える。
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