雫石鉄也の
とつぜんブログ
続・ラストシネマ
午後6時。鏑木は壁に設置されたスイッチを入れる。店の入り口の「海神」のランタンに灯が点る。この季節の夕方の6時は黄昏というには暗い。もう夜といってもいい。鏑木はだいたいこの時間に店を開ける。
カラン。入り口のカウベルが鳴った。客が入ってきた。初老の男。60は超えているだろう。初めて見る顔だ。少し顔色が悪いかな。
「山崎。ロックでください」
「はい」
サントリーの山崎のニューボトルの封を切ってグラスに注いだ。客は静かにグラスに口をつけた。山崎が「世界一のウィスキー」になってから、オーダーする客が増えたが、この客は「山崎」クラスの酒は飲みなれているような人物と見える。
「あの、マスター、鏑木さんですね」
「はい」
「私は井原といいます」
「井原さん、この街は初めてですか」
「はい。初めてですが、いつか来たいと想っていた街です」
この街。H県S市。H県の県庁所在地K市から電車で30分。内陸部のごく普通の街である。O市やK市のベッドタウンとして人口は多いが、市の中心部S駅周辺はさびれている。この海神があるS市駅前商店街もシャッターが目立つ。観光客を呼ぶような名所旧跡もない、K市O市の衛星都市である。平凡な街である。
「井原さん、どちらからですか」
「東京です」
「東京からですと。新幹線で新Kまでこられると、ここまでは簡単に来れますが」
「何度も来ようと思ってたのですが、忙しさにまぎれて今日になってしまいました」
「目的のものは見れましたが」
「実は私の恋人はもういません。永遠にあえないでしょう」
「井原さんの大切な人がこの街にいたのですね」
「はい。おかわりください」
山崎をグラスに注ぐ。
「私の恋人がいた所には行って来ました」
鏑木は井原の前にグラスを置く。井原の想い人はこの街の女性だ。だれだろう。
「恋人がいた所は更地になってましたよ。さみしいです」
「この近くですか」
「この商店街です」
S市駅前商店街で更地は一ヶ所。映画館のスワ名画座があったところだ。あの映画館の関係者の女性は切符売り場のおばさんだけ。井原のような男があこがれるようなタイプの女性ではない。
「鏑木さん。オードリー・ヘプバーンご存知ですね」
「もちろん。私もファンでした」
「ヘプバーンの初来日はいつかご存知ですか」
「いいえ。知りません」
「1983年です」
なぜ井原はとつぜんヘプバーンのことに話題をかえたのだろう。鏑木は不思議に思った。
「ところが1970年に来日していたかも知れないんです。しかも映画を撮りに」
鏑木は3ヶ月前に見た映画を思い出した。
「私の恋人はオードリー・ヘプバーンです。この街のスワ名画座という映画館でヘプバーンの映画が上映されていることは知ってました。いつか見に来ようと思ってたのですが。とうとう見れませんでした。なにせ海外出張が多かったので」
「スワ名画座をご存じなんですね」
「はい。オードリーのファンたちの間では名の知れた映画館です。館主の諏訪瓢一郎さんは私たちにとって伝説の人物です」
鏑木は3か月前のことを思い出した。あの時、スワ名画座で最後の上映会をやった。鏑木も参加した。瓢一郎の息子博が昔の常連を50人ほど呼んだ。博は井原を知らなかったのだろう。知っていたら呼んでいたはずだ。
「1970年。私は20歳でした。『ローマの休日』を初めて見た年です。あの年私は東京でオードリーを見ました。浅草の鮨屋に入って行く外国人の女性。あれは絶対オードリーに違いありません。オードリー・ヘプバーンの初来日は1983年ではなく1970年だったのです。だれにも知られていないオードリーの映画の存在が都市伝説のようにオードリーファンたちの間で噂されているのです」
ここまでいわれると鏑木もさすがに黙っていられない。
「あのう、井原さん実は・・・」
「おかわりください」
井原は3杯めの山崎のロックを飲みながらいった。
「ほんとは私は医者に禁酒をいわれているのですが。私はオードリーの映画は全てフィルムやDVD、VHSのテープ、レーザーディスクなど考えられる限りの媒体で持ってます。映画館でオードリーの映画が上映される万難を排して見てます。もちろんスワ名画座のことも知ってました。あいにくそのころは海外に赴任してました。実は数年前ここに来たことがあります。スワ名画座はポルノ映画をやってました」
「井原さん、3ヶ月、スワ名画座最後の上映会があったのです」
「知ってます。参加した友人から聞きました。私の人生で一番の痛恨事です」
「どうしてました」
「女房の臨終に立ち会ってました」
「それは、どうも、なんといっていいか」
「鏑木さん。お願いです。諏訪さんの息子さんに会わせてもらえないですか」
「男はつらいよ 葛飾の休日」の上映が終わった。
「どうもありがとうございました。博さん。これで、私、オードリーの映画はすべて観ることができました」
井原の自宅のホームシアター。井原の顔色は鏑木と初めて会ったときから比べて、かなり悪くなった。
「これで心置きなく手術に臨めます」
それから1カ月後、井原の訃報を鏑木は聞いた。
カラン。入り口のカウベルが鳴った。客が入ってきた。初老の男。60は超えているだろう。初めて見る顔だ。少し顔色が悪いかな。
「山崎。ロックでください」
「はい」
サントリーの山崎のニューボトルの封を切ってグラスに注いだ。客は静かにグラスに口をつけた。山崎が「世界一のウィスキー」になってから、オーダーする客が増えたが、この客は「山崎」クラスの酒は飲みなれているような人物と見える。
「あの、マスター、鏑木さんですね」
「はい」
「私は井原といいます」
「井原さん、この街は初めてですか」
「はい。初めてですが、いつか来たいと想っていた街です」
この街。H県S市。H県の県庁所在地K市から電車で30分。内陸部のごく普通の街である。O市やK市のベッドタウンとして人口は多いが、市の中心部S駅周辺はさびれている。この海神があるS市駅前商店街もシャッターが目立つ。観光客を呼ぶような名所旧跡もない、K市O市の衛星都市である。平凡な街である。
「井原さん、どちらからですか」
「東京です」
「東京からですと。新幹線で新Kまでこられると、ここまでは簡単に来れますが」
「何度も来ようと思ってたのですが、忙しさにまぎれて今日になってしまいました」
「目的のものは見れましたが」
「実は私の恋人はもういません。永遠にあえないでしょう」
「井原さんの大切な人がこの街にいたのですね」
「はい。おかわりください」
山崎をグラスに注ぐ。
「私の恋人がいた所には行って来ました」
鏑木は井原の前にグラスを置く。井原の想い人はこの街の女性だ。だれだろう。
「恋人がいた所は更地になってましたよ。さみしいです」
「この近くですか」
「この商店街です」
S市駅前商店街で更地は一ヶ所。映画館のスワ名画座があったところだ。あの映画館の関係者の女性は切符売り場のおばさんだけ。井原のような男があこがれるようなタイプの女性ではない。
「鏑木さん。オードリー・ヘプバーンご存知ですね」
「もちろん。私もファンでした」
「ヘプバーンの初来日はいつかご存知ですか」
「いいえ。知りません」
「1983年です」
なぜ井原はとつぜんヘプバーンのことに話題をかえたのだろう。鏑木は不思議に思った。
「ところが1970年に来日していたかも知れないんです。しかも映画を撮りに」
鏑木は3ヶ月前に見た映画を思い出した。
「私の恋人はオードリー・ヘプバーンです。この街のスワ名画座という映画館でヘプバーンの映画が上映されていることは知ってました。いつか見に来ようと思ってたのですが。とうとう見れませんでした。なにせ海外出張が多かったので」
「スワ名画座をご存じなんですね」
「はい。オードリーのファンたちの間では名の知れた映画館です。館主の諏訪瓢一郎さんは私たちにとって伝説の人物です」
鏑木は3か月前のことを思い出した。あの時、スワ名画座で最後の上映会をやった。鏑木も参加した。瓢一郎の息子博が昔の常連を50人ほど呼んだ。博は井原を知らなかったのだろう。知っていたら呼んでいたはずだ。
「1970年。私は20歳でした。『ローマの休日』を初めて見た年です。あの年私は東京でオードリーを見ました。浅草の鮨屋に入って行く外国人の女性。あれは絶対オードリーに違いありません。オードリー・ヘプバーンの初来日は1983年ではなく1970年だったのです。だれにも知られていないオードリーの映画の存在が都市伝説のようにオードリーファンたちの間で噂されているのです」
ここまでいわれると鏑木もさすがに黙っていられない。
「あのう、井原さん実は・・・」
「おかわりください」
井原は3杯めの山崎のロックを飲みながらいった。
「ほんとは私は医者に禁酒をいわれているのですが。私はオードリーの映画は全てフィルムやDVD、VHSのテープ、レーザーディスクなど考えられる限りの媒体で持ってます。映画館でオードリーの映画が上映される万難を排して見てます。もちろんスワ名画座のことも知ってました。あいにくそのころは海外に赴任してました。実は数年前ここに来たことがあります。スワ名画座はポルノ映画をやってました」
「井原さん、3ヶ月、スワ名画座最後の上映会があったのです」
「知ってます。参加した友人から聞きました。私の人生で一番の痛恨事です」
「どうしてました」
「女房の臨終に立ち会ってました」
「それは、どうも、なんといっていいか」
「鏑木さん。お願いです。諏訪さんの息子さんに会わせてもらえないですか」
「男はつらいよ 葛飾の休日」の上映が終わった。
「どうもありがとうございました。博さん。これで、私、オードリーの映画はすべて観ることができました」
井原の自宅のホームシアター。井原の顔色は鏑木と初めて会ったときから比べて、かなり悪くなった。
「これで心置きなく手術に臨めます」
それから1カ月後、井原の訃報を鏑木は聞いた。
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