以前の自分と今の自分を比較した時にずいぶんと変わったなと思う時がある。
自分の中ではそんなに変わった意識はないのだが、いい意味、歳を重ねたせいか。
それとも考えるのが煩わしくなってきたせいか。
いずれにしても、自分は自分と思えるようになった。
別に利己的になったというわけではない。
人のやることにあまり腹が立たなくなった、それだけである。
きっと、私の中で「人の心は弱いもの」と悟ったせいかもしれない。
別に排他的になったわけでもない。
人は、相手の肩書きや地位で阿(おもね)ることはよくあること。
だからといって一々取り上げていても詮無いことだとわかるようになった。
そして、以前の自分はどうだったかと問いかける。
そうたいして変わったものじゃない。
まっすぐ前をみて歩きたい。
邪心をもって生きる人がいてもそれはそれ。
人を追い落とすことでしか生きられない人もそれはそれ。
地域の活動やボランティア活動に参加することで、初めて会った人から心からお礼を言われる。
感謝される。
そのたびに自分のプライドが高まるような気がする。
そして、いかに高邁に生きるか、それだけでいいような気がする。
別に欲が消えたわけではないが、所詮この世は空蝉(うつせみ)なのだ。
大切にすることは、自分が高まれば高まるほど謙虚でいられるかということ。
人に「変わったねェ」といわれたことがある。
いい意味で、枯れてきたのである。
素敵な人生を送れたかどうかは、所詮自分で決めるもの。
思う存分やってみて、周りの人の心を動かすことができた時、カタチになる手ごたえを感じる。
そんな時、この仕事をやってよかったと思う。
振り返れば周りの人たちに恵まれて、仕事を愉しむことができた。
きっと、どこで、どんな仕事をしようとも、周りの人たちを巻き込んで仕事を愉しむ自分しか想像できないのは、きっと変態のせいか...