走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

無縁社会

2010年04月14日 00時54分58秒 | つぶやき
 先日、NHKでショッキングな番組を見た。
その番組は「無縁社会」。放映後、様々な人たちにセンセーショナルな影響を与えた。

 そして、週間ダイヤモンドでは2010/04/03号でこのテーマを取り上げている。
地域コミュニティの現場にいる者として、その現実を突きつけられた思いである。
同号のサブタイトルは「おひとりさまの行く末」。
他人事ではなく少子化、晩婚化、高齢者世帯の行く末でもある。

 記事の中にNHKの制作スタッフのインタビュー記事が掲載されていたので、その一部を紹介しよう。


 世の中が「無縁社会」へと進展している。
 このことが、人の心に「不安」という暗雲をたちこませることになっており、明るい社会を見出せないため、閉塞感に満ち満ちてしまっているような気がする。

(私見)未来を明るいものに感じさせれない私の仕事に責任がある。

 「無縁」とは、自分の支えになるような縁を感じづらい社会、自分の暮らしや命を支えてもらっているとなかなか実感できない社会のこと。
 また、近所や親戚づきあいもあるのに、その人が本当に望む生き方ができない、老後をどう過ごし、どこで死を迎えたいかという自由が保障されていない。

(私見)介護制度など社会保障制度を根本的に見直す時期にきていると思う。
    そういえば、スウェーデンではそのほとんどが自宅で最期を迎えられる
    ようになっていたなあと思い出した。

 頑張って生きてきた人たちが、自分の証を残せずに死んでいく社会なんておかしい。

(私見)そのとおり

 今の「無縁」というのは、親族や故郷はあるんだけど、それらが機能していない。
 縁がないのではなく「縁が機能していない」ということ。

(私見)なるほどである

 「縁」の意味としては、2つあると思うのです。
 1つは安心感という心のつながり。
 もう1つは、例えば介護が必要なときにシグナルが出せて、なんらかのサービスに引っかかるという社会の救済システムです。
 このうち、公的なシステムは完全に欠落しています。
 しかし一方で、公的機関はその認識に欠如している。

(私見)痛いお言葉

 本来、公が担うべき社会保障システムをこれまでは家族や企業などに一部分を負わせてきた部分がある。
ところがここにきて、その仕組みから排除されている人がどんどん出現してきて、救済システムが追いついていない。

(私見)近年、この排除されている人が本当に増えていると感じる。
    おそらく公だけでは追いつけなくなっている。
    今一度原点に立ち返り、地域社会全体で協力し合う仕組みづくりと
    行動が喫緊の課題だと改めて感じた。