走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

キイチゴのジャム

2007年01月27日 21時04分57秒 | その他
 久しぶりに、スウェーデン在住の訓覇訓子(くるべのりこ)氏とお話をする機会を得た。
女史はもともと福祉分野の仕事を目指しておられたが、挫折して(本人の弁)さまざまな経験をされ、最後は都倉大使についてスウェーデン大使館で仕事をし、そのままスウェーデンに居ついて(?)しまった人である。
そして、今は複数の大学で教鞭をとられている学者(この表現をあまり好まれない)である。
 女史は、おそらく日本の福祉とスウェーデン福祉の比較論やスウェーデン福祉については第一人者といっていい。
学者ゆえの気難しさはあるものの(こんなことを平気で言わせてもらえるのは私だけかもしれない。)、物事の本質や理論を明確かつ端的に伝授いただけるという点では、私の師匠である。(女史には何の許可も得ず、勝手に弟子と思っている。)
正直言って、苦手意識をもったこともある。
 しかし、今日は不思議と自然体で女史に向き合える自分がいた。
会話の中で、女史から「なぜ、意思の疎通が図れない時があったのかしら?あなたのことは狸だとはわかっているけれど、なぜかしらね。」
「そうですね、多分、訓覇さんの言っていたことが十分理解できていなかったせいではないでしょうか。物事には、『理論』があってそれを形にするための『応用』という行動が必要です。訓覇さんは、常に『理論』の大切さを語っておられました。そのことは、頭で理解していたのですが、果たして私の中では十分に理解できていなかったと思います。」
「なぜ、それが理解できるようになったのかしら?」
「スウェーデンから帰ってきて、自分なりに学んできたさまざまなことを昇華(しょうか)しようといろいろと取り組んでみました。でも、それは、自分の穿(うが)った思い上がりに近いものだと気づきました。何でもわかってやろうという、(知識に対する)貪欲な自分がいましたが、わからんことはわからんと割り切れるようになりました。そして、大事なことは、そのわからないことを忘れ去るのではなく、いつかわかる時まで温めておこうと思える自分を発見してから、ものごとが非常に理解できるようになりました。そして、そう考えると、訓覇さんの言うことは、その場ではわかっていると思っていたのですが、本当は理解できなかったんだろうと。訓覇さんの理論は、単純明快に説明されるから、スッーと入ってくるんだけれども、それを応用に移すと、これが結構厄介なのです。なぜだろうと、すごく悩み、ジレンマで押しつぶされそうになったこともあります。なぜか、その答は冷静に考えると簡単でした。訓覇さんが言われる理論は、本当に奥深く、そのロジックを組み立てるだけでも半端なことじゃないと悟ったのです。そして、それを実現するためには、人的資源やタイミングが必要なんだと。そして、政治的な活動も含めて、さまざまなことを屈指しながら、的確な状況判断能力がないと形にはできないと。このことに至るまでに、私はすごく時間をかけたような気がします。」
「ふ~ん、成長したんだね。でも、私が言っていることって、そんなに難しい。」
「難しいですよ。恐らく、訓覇さんの言うことを表面的に理解できても、その裏にあるもの、つまり理論構築に裏打ちされた言葉が、実は含蓄のある言葉であると理解できる人は、そんなにいませんから。」
「そうかしら、でも、あなたもその分、引き出しが増えたんだから、よかったじゃない。でも、私も理論構築はできるけど、応用できないと思ったから学者になったのよ。」

 私は、こんな訓覇さんの洒脱なセリフが好きである。そして、小難しい本を書くかと思ったら、スウェーデンの四季を折々に紹介したエッセイも書かれる。その文章も好きである。

 ランチミーティングは、3時間あまり続いた。内容について、大変有意義な話を聞かせていただいたので、別に記すことにする。

 そして、別れ際に写真のようなキイチゴのジャムをいただいた。
恐らく手づくりだろう。忙しいのに、よくつくれる時間があるものだと感心する。
ジャムを作るためには、どれだけたくさんのキイチゴを採ってくれたのだろう。
そして、ジャム作りがどれだけ手間隙かけてつくられるものか、その裏に隠れているものすべてを語らず、いとも簡単に『ハイ』と手渡される女史のジャムは、なんだか女史が説明いただくいつもの『理論』のように思えた。

ちなみに、スウェーデンは肉料理などのソースにもジャムを使う。