日本大学文理学部社会学科・後藤範章ゼミナールの日誌☆

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東京探検団(7月9日) 新旧の入り混じった街 北千住・山谷・吉原

2016-07-13 14:00:00 | 2016年度

私たち東京探検団は今回、北千住・山谷・吉原へ行きました。
参加メンバーは、
後藤先生
4年生:相原さん、恩田さん、河合さん、佐藤さん、森崎さん
3年生:上野くん、桑原くん、小林、佐々木くん、鈴村さん、番さん、西山くん
卒業生:岸本さん
です。

私たちはまず、東京メトロ日比谷線「三ノ輪」駅に14時に集合しました。
鈴村さんと岸本さんは後から合流することになったので、全員揃ったところで
駅から明治通りを通り、吉原(現在は千束4丁目)へ向かいました。


吉原へ向かう途中、山谷を通りましたが、吉原へ行った後へ向かう事になっていたので、
入口だけ見ました。


山谷商店街の入口


十字路を曲がり、しばらくすると交番の名前や看板に吉原の文字が見られました。


吉原の入口 「よし原大門」の文字


吉原は、昔は遊郭として有名な場所の一つでした。
現在ではソープランド街となっており、全体で百件以上のソープランドが
軒を連ねています。
散策していると、送迎の車と、入口でそれを待つ人々の姿が目立ちました。


送迎車を迎えに行く人

散策していると、上野君と西山君がキャッチに遭い、お店の中がどうなっているか
見て来ました。
そこで後藤先生が、全員が少しづつお金を出し合って、佐々木君に体験してもらい、
後日話を聞こう、という事になりました。
しかし結局佐々木君は行かず、他に行く人もいませんでした。


その時の様子

吉原を回っていると、後藤先生がいい写真を撮れる所を見つけました。
その場所からは、道路の右側にソープランド、左側は普通の店舗も見える、
そして奥にはスカイツリー、という構図で写真が撮影出来ました。


そこからの写真


みんなで撮影

吉原を後にした僕らは山谷へ向かいました。
山谷は涙橋が近い事から「あしたのジョー」を商店街のキャラクター
に使用していました。


入口にはジョーの姿

商店街の中はほとんどのお店が閉まっていました。
商店街のお店の中には、名前は呉服屋なのに台所用品や家電、隣の店舗の前にも
台を置き、食料品を売っているお店もありました。
おそらく、商店街の中である程度補えるように様々な種類の商品を取り扱う
のだろう、と推測しました。
私は商店街で自転車がたくさん停まっている事が気になりました。
そして私たちがいる時、3人の自転車に乗った人にすれ違いました。
道路に広がっていた私たちへ注意するときはもちろんの事、
別の自転車の人とすれ違う時、あいさつ代わりにベルを鳴らしていました。
そこから、この山谷は自転車社会なのではないか、と思いました。


商店街の様子

商店街の出口では、山谷の街を守るための旗が掲げられていました。
これはキリスト教団の建物で、この先にあるキリスト教団の建物でも、
炊き出しなど労働者支援を行っていました。


山谷の再開発に反対する旗。扉には自分たちの結束力を高める言葉が

商店街を抜けると、そこは俗にいうドヤ街でした。ドヤとは、格安で宿泊できる
宿のことで、1泊で2500円以内で泊まれる所が多いようです。


ドヤの建物 異常な量の室外機

最近では外国人旅行者も利用しているようですが、その多くは大きな道路沿いにある
「ドヤ風」ホテルに泊まるようです。


「ドヤ風」ホテル

ドヤ街を抜けた私たちは、南千住駅に向かいました。
南千住駅の近くには広い操車場が在り、その光景をみんなで撮影しました。
なぜ操車場はマンションなどにならずに存在しているか、という議論に
なりましたが、景観が全く違う南千住と北千住を分けるためではないか、
という意見が出ました。また、南千住を浄化しようとする動きに対抗
するために南千住側が操車場を残す努力をしている、との意見もありました。


南千住の操車場

線路を渡った先で、岸本さん、鈴村さんと合流しました。
合流後、北千住はどのような所か確認しました。
北千住は昔は宿場町で、日光街道の1つ目の宿場町であった、
距離にして日本橋から大体7キロ半であること、松尾芭蕉が
通った事などを確認しました。


合流した人を含め、北千住について確認

その後私たちは北千住駅へ向かいました。


千住大橋

その後しばらく行くと、松尾芭蕉が奥の細道を始めた場所に
来ました。



そこから先へ進んでゆくと、昔やっちゃ場があった通りへ出ました。



家々の前には昔の屋号や何を売っていたかなどが書かれた表札が
掲げられていて、通りの中には市場もありました。
さらに、この通りにも松尾芭蕉の俳句が残されていました。
この辺になると、街並みは吉原や山谷と違い小奇麗な雰囲気に
なり、観光客向けの看板なども目立つようになりました。

北千住は今、学生街にもなりつつある、とのことで大学を
見てみよう、という事になりました。
まず東京芸術大学へ向かいましたが、残念ながら開いていませんでした。
次に東京電機大学へ向かいました。


東京電機大学 背後から

休憩を挟んでいなかったため、電機大学のカフェテリアへ行こう、
という話になりましたが、残念ながらカフェテリアは開いていませんでした。

時間も探検団終了の時間だったため、電機大学の中で
今日の振り返りを行いました。


その時の様子

そこで出てきた意見として、
・それぞれの地区で線引きされているわけでは無いのに雰囲気が違う事
・山谷の商店街には一つもチェーン店が無かった事
・南千住にはランドマークと呼べるものが少ない事
・吉原では女性とすれ違わなかった事
・昔の地名が一度、新たに塗り替えられた事
・労働者の立ち振る舞いが我々と違う事
などです。
さらに、岸本さんが
・日々変わってゆくものに目を向ける。
 そして、不思議だが通過してしまう光景へ視線を向ける事が必要だ。
というまとめをしてくださいました。

ここからは私の感想になります
今回の東京探検団で巡った、吉原、山谷という街は今まで行ったことが
無い街だったため、改めて「東京」という街の多様さを感じました。

書きたいことが多いためこんなにも長くなってしまいましたが、ここまでで終わりです。
つたない文章ですが、最後まで見て頂きありがとうございました。
                           
文責:小林誉英(2016年度後藤ゼミナール3年)

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