日本大学文理学部社会学科・後藤範章ゼミナールの日誌☆

社会学科後藤ゼミナールの実態とゼミ生の生態が一目で分かるゼミ日誌! しかと見れ!!!

5月30日 4年ゼミ

2023-05-30 17:50:00 | 2023年度
こんにちは、こんばんは。
後藤ゼミ4年の玉井康文です。
5月30日のゼミナールの活動様子の報告をしていきます。



今回のゼミで行った事は、5月19日に行った街歩き(ニコライ堂・聖橋・湯島聖堂・神田明神・湯島天神)の振り返り+欠席者の街歩き報告を行いました。
私は5月19日の街歩きを欠席させてもらったので、19日に行けなった寛永寺・アメ横・秋葉原も街歩きしました。
普段は遊び等の用事で訪れる事はありましたが、展示会に使う写真探しという視点で観ると違った街の様子が観る事ができ歩いていてとても満足出来ました。
ゼミブログでは湯島天神までしか載っていなかったのでついでに載せておきます。









ゼミの時間では、欠席者の報告と、前回のゼミブログで各々を担当した担当者が欠席者の報告以外の部分を補足しながら共有してもらいました。
私は、街の様子ばかりに気を取られ、歴史的な部分を深堀していなかったので、その部分の話を聞くことができ、より理解を深めることが出来た事と共に、そういった話をどう展示会に使うのか悩んでいる所です。





これから写真展に出す写真候補達を撮影していきます。
様々な視点から、いろんな角度から写真を撮り、いい作品を作りたいです。

今週のゼミブログはこれで終わりになります。

文責:後藤ゼミ4年玉井康文


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5月24日 3年ゼミ

2023-05-24 16:10:00 | 2023年度
こんにちは! 三年仲嶋駿です!
今週のゼミでは前回に続きドキュメンタリーマスタークラスの読み合わせを行いました。先週も行ったため、今週は一人一回ずつ気になった点を発表しました。


今週は特に企画書の書き方やドキュメンタリーのフローチャートなどについて深い議論が交わされました。6月7日に「下高井戸桜上水物語」の企画コンペが行われるため、今回学んだことを役立てていきたいですね!!

ゼミの後半では社会学科で貸し出される撮影機材を触れました。今まで触れたことのない大きなカメラに我々のテンションは爆上がり!昨年社会学科で4Kの新しいビデオカメラが導入されたため、きれいな映像をとることができます
私たちの取材もはかどりそうです


これらの機材を使って取材をする日が待ち遠しいです!
→ 実際に背負ってみるとこんな感じです!!雰囲気が出ています!!

来週のゼミはお休みで、再来週は待ちに待った企画コンペが開催されます!実りのある企画コンペとなるように全力を尽くしていきましょう!!
それではまた!                 文責:仲嶋駿(2023年度3年ゼミ生)
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5月19日 4年ゼミ 街歩き①

2023-05-19 17:50:00 | 2019年度
① ニコライ堂(担当:日野慎之助)
5月19日に街歩きを行いました。集合場所は東京都千代田区の東京復活大聖堂でニコライ堂の名で知られています。300円を払って中に入りろうに火をつけお話を伺いました。教会の中では帽子やカバンは身に付けないこと、正面にお尻を向けてはいけないことなど注意を受けました。私自身高校生の時に正教会というキリスト教会を勉強したものの実際なにを信仰していてどの民族で形成されているのか知らないことばかりだったので直接中に入り目で見て勉強できたのはとてもいい経験になりました。また、教会に訪れる人々は信徒の方ばかりなのかなと思っていたのですが建物を写真に収めたり、パンフレットを興味深々に読んでいる様子が見られたので観光客が多いのかなという印象を受けました。




② 聖橋(担当:細田遼) 
聖橋を担当いたします。4年ゼミ細田遼です。聖橋は、東京都千代田区神田駿河台にあり、ニコライ聖堂と湯島聖堂を結ぶ「聖なる橋」です。関東大震災の復興事業として、大正13年(1924年)に着工し、昭和2(1927年)年7月に完成しました。神田川を渡るアーチ部は開腹アーチと呼ばれる構造となっていて、長さが36.3mあります。このアーチは鉄筋だけでなく、鉄骨も使用されています。

上記の写真は橋の中央あたりから左を見た景色です。路線、工事現場、神田川、高層ビル、堀を一度に見ることができます。この神田川はかつては山でした。そこが掘削されて、水を引っ張りました。理由として、私たちの飲料水や荷物の運搬、そして最も大きな役割として皇居を守るための堀のもう一つ外の堀であり、攻めにくくしています。江戸幕府が指示し仙台藩が伊達堀という掘削を行い、初代藩主伊達政宗から四代藩主伊達綱村に完成しました。写真を見ても人口だとは思えないほどの大規模な掘削だったことがわかります。そんな歴史的なものを見ることもできる聖なる橋は、土木学会から平成29年選奨土木遺産に認定されるほどの建造物であり、世代を超えて引き継がれていくのでしょう。

③ 湯島聖堂(担当:松田恋)
湯島聖堂は、徳川五代将軍綱吉は儒学の振興を図るため、元禄3年(1690)湯島の地に聖堂を創建して上野忍ヶ岡にあった幕府儒臣・林羅山の邸内に設けられた孔子廟(先聖殿)をここに移した。先聖殿を大成殿と改称して孔子廟の規模を拡大・整頓し、官学の府としたのが始まりである。この時からこの大成殿と附属の建造物を総称して「聖堂」と呼ぶようになった。

「湯島聖堂」


「大成殿」
その後、およそ100年を経た寛政9年(1797)幕府直轄学校として、「昌平坂学問所(通称『昌平校』)」を開設した。「昌平」とは、孔子が生まれた村の名前で、そこからとって「孔子の諸説、儒学を教える学校」の名前とし、それがこの地の地名にもなった。

「孔子像」

明治維新を迎えると聖堂・学問所は新政府の所管するところとなり、当初、学問所は大学校・大学と改称されながら存置されていたが、明治4年(1871)これを廃して文部省が置かれることとなり、林羅山以来240年、学問所となってからは75年の儒学の講筵は、歴史を閉じた。そして、この年博物館(現在の東京国立博物館)が置かれ、翌年5年(1872)には東京師範学校、わが国初の図書館である書籍館が置かれ、7年(1874)には東京女子師範学校が設置され、両校はそれぞれ明治19年(1886)、23年(1890)高等師
範学校に昇格したのち、現在の筑波大学、お茶の水女子大学へと発展した。
明治5年3月10日、湯島聖堂大成殿を会場として文部省博物局による最初の博覧会が開かれた。陳列品は、水槽に入れた山椒魚、大きな黄金の鯱、絵画・書跡・珊瑚・金工品、剥製・骨格見本・額画、染織品・漆器・楽器・陶器類などが網羅的に並べられ、当時の観覧者に新鮮な印象を与えた恒久的な展示を行なう博物館の誕生であった。このように、湯島聖堂は維新の一大変革に当たっても学問所としての伝統を受け継ぎ、近代・日本の教育発祥の地としての栄誉を担った。
 
 湯島聖堂に足を運び、日本の学校教育発祥の地であることから、湯島聖堂の周りには東京大学を始めとして学ぶ場所が多く存在することや多くの受験生が訪れるなど意味を知ることができた。その場所についての歴史や意味を知っているのと知らないとでは、建物の見方や感じ方は異なると思う。
 実際、大成殿の屋根にある動物について、街歩きではわからなかったが、調べてみると大成殿をしっかり守る守護獣であることがわかった。



上の二つ「鬼狂頭(きぎんとう)」、下の二つ「鬼龍子(きりゅうし)」

鬼狂頭は一種の鯱(しゃちほこ)で、頭を外側に向けて取り付けられており、龍頭から鯨のように水を噴き上げている。鬼狂頭は想像上の魚神であり、鯱が水を噴出して火災から建物を守る目的で置かれたことがわかる。鬼龍子は、狂犬に似た姿で、顔は猫科の動物と似ており、牙を剥き、腹には鱗があり蛇腹龍腹となっている。想像上の霊獣で、孔子のような聖人の徳に感じて現れるという。関東大震災で焼失したものの、現在の改装しより存在を保ち続けることができている大成殿・湯島聖堂はこの鬼狂頭がいることで守られているのではないかと感じた。

④ 神田明神(担当:松原拓)
神田明神編を担当します、ゼミ4年の松原です。
私は今回の街歩きで初めて神田明神を訪れました。神田祭や年末年始の混雑の様子をテレビでよく見ていたので、年中賑やかな神社なのではと思っていたのですが、予想に反して境内はがらりとしていました。雨が降っていなければもっと参拝客も多く、違った様子だったのでしょうか…。さて、神田明神は一の宮「大己尊命(大黒様)」、二の宮「少彦名命(えびす様)」、三の宮「平将門命(まさかど様)」の三祭神が祭られていますが、なぜ平将門が祭られているのか知っていますか?平将門は平安時代の武将であり、東国で親王を名乗り西の朝廷に対して反乱を起こした人物です。反乱は鎮圧されさらし首となりましたが、当時圧政に苦しんでいた民衆からは英雄視されていたそうです。そうして打ち取られた将門ですが、疫病の流行や役人が倒れるなどの不幸が相次いだことから、怨霊として恐れられ、江戸城から鬼門の方角に当たる神田明神で霊ではなく守り神として祭るようになったそうです。また関ケ原の戦いの際、家康が戦勝の祈祷をしたところ見事勝利し天下統一を果たしたということから、平将門命は除災厄除だけでなく、勝負事やスポーツの神様としても参拝されています。あいにくの天気でしたが、それでもビジネスマンと思われる人が数人お参りしているところを見ることができ、当日は「商売繁盛の神田明神」の一面を感じとることができました。
神田明神は毎年30万人以上が初詣に来るそうですが、個人的には今日のような人があまり来ない日に参拝した方が、神様も祈りごとを聞いてくれそうな気がしています。自分が神様だったらそのほうがありがたいなーと思った次第です。ちなみに後藤先生は、神様も信じず神社やお寺にも一切お参りはしない無信仰派だと言っていました。あまり詳しくは語ってくれなかったので、機会があれば後藤先生の宗教事情も聞いてみたいところですね。



⑤ 湯島天神(担当:山本柚季)

後藤ゼミ4年の山元柚季です。

湯島天神では雨が本降りになってしまったのであまり観察することはできませんでしたが、後藤先生のお話と共に湯島天神について考察することができました。


湯島天神は学問の神様、菅原道真を祀った神社です。菅原道真は当時天皇のブレイン的存在でしたが、藤原氏の怒りに触れ、九州太宰府に左遷、そのまま非業の死を遂げてしまいました。それからというもの朝廷内では不吉なことが多々起こるようになり、菅原道真の怨霊による祟りだとおそれられるようになります。そこで藤原氏は京都に北野天満宮を作り学問の神様として菅原道真を祀ることで祟りをおさめようとしました。

徳川家が江戸に都を移した14世紀に湯島天神を新たに作りました。こらを利用して徳川家は江戸を統治しようと考えたようです。湯島天神の装飾には青色などあまり普通の神社では見かけない鮮やかなものがありました。これらは朝鮮からの影響を受けたそうです。2年生の時に韓国の美術、文化の授業を受けましたが、その時にみた建物はとても鮮やかで、確かに似ていると感じました。また、沖縄の首里城などにも似てるなと思い、調べたところ琉球王国と朝鮮は長い間貿易などで繋がりがあったようで、朝鮮からの影響というものはさまざまなところに見られるのかもしれないと考えました。

今はありませんでしたが、絵馬を大量に積み、燃やす文化もあるそうです。その文化のルーツを知りたくなりました。

また、後藤先生のお話の中で興味深いと感じたのは神社の近くにあるホテルはもともと連れ込み宿だったということです。性と聖は一見真反対と思われがちですが、実は裏と表になっていて、聖があるということは性もあるということを知りました。

最後本降りの雨になってしまったので上野方面には行けませんでしたが、後藤先生のお話を聞いて想像を膨らませることができました。

御茶ノ水駅から湯島天神まで歩いていると坂が多いと感じます。台地と低地を意識して歩くと尚更です。


土地の高低差は社会階層と同じで、高いところに住む人は高い地位、低いところに住む人は低い地位というように自然と住み分けがされています。上野駅を出ると公園や、動物園、美術館や博物館、芸大など広い学問の施設がたくさんあります。しかし、上野公園口の改札を出て左に曲がり、ずっと坂を下っていくとアメ横にたどり着きます。そこは坂の上とは違い外国人や、飲み屋などが広がる下町となっています。

これは上野だけに過ぎず、さまざまな場所で見られると思います。

これから東京を歩く際は土地の高低差に注目して歩くと、発見が増えるなと思いました。次歩くときはぜひ晴れてたらいいなと思います。
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5月17日 3年ゼミ

2023-05-17 17:50:00 | 2023年度
初めまして。3年井上芽愛です。

今週は教科書購読ということでこちらの本の読み合わせでした。
予習もばっちりです◎



1人ずつ気になる箇所をピックアップし発表しました。
時間の都合上2周は回らず発表は次回へ。



ちなみに今回は、先日行われた後藤日のお土産を食べながらの購読となりました。
カフェのようですね^^ 美味しかったです。

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5月16日 4年ゼミ

2023-05-16 17:50:00 | 2023年度
みなさまこんにちわ。後藤ゼミ4年の細田遼と申します。
5月16日、街歩きを2日前に控えたゼミの活動報告になります。
パネル展示を今年はやることになり、昨年は「東京の地下空間」という全体としてのテーマが設けられていましたが、今年度は違います。
「2023年の東京」ということで幅広いテーマで各々が思う「東京」を写真で写し、キャプションで内容を補填し完成させる形になりました。

↑急遽、「各々が思う2023年の東京を発表してください」と後藤先生に言われ、身構える4年ゼミ生

ということで、なんの告知もなく、いきなり始まった「あなたが思う2023年の東京を代表するもの」発表会。
一斉にゼミ生全員は携帯に目を落とし、過去の自分の写真を見返しヒントを得たり、最近あった時事問題を漁っていました。
↓こちらは一人一人発表していった内容です。


客観的に出た意見を見直して感じる事は、コロナ関連の多さでしょう。最近マスクの着用が本人次第になるほどコロナが緩和されました。緩和された事によって元に戻ったものもあれば、今後の感染拡大防止対策のため、残ったものがあったりと、大きく社会が変わりました。大きく社会が変わったなと感じるほど、コロナというものは社会に大きな影響を与えていたんだなと改めて実感しました。
コロナの他にも、「転売」「ジェンダーレストイレ」「脱炭素化に伴う木造オフィスビル」など大きな時代の転換点になりうる2023年を代表するようなキーワードが多く出ました。今回上がった現象に出会った人が、6月13日にある写真セレクションに向けて、バシバシ写真を撮影していく予定です。

【本日のサービスショット】
6月9日に公開する実写映画「リトルマーメイド」ならぬ「オールドマーメイド後藤」


                                                             文責 後藤ゼミ4年 細田遼
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5月13日 後藤日

2023-05-13 13:00:00 | 2023年度
4年ぶり開催、後藤日🎉


こんにちは、後藤ゼミ4年のトドリキです。
本日は4年ぶりに開催となった後藤日の様子を皆様と共有出来たらと思い、カタカタ文字を打ち込んでいきます。
お手隙の際にちょっくら覗いてってください。

4年ぶりの開催だと後藤先生は張り切っていらっしゃいましたが、私たち現役生はそもそも初参加のためどうにも盛り上がりきることが出来ていませんでした。
なんなら新宿から1時間ちょっとくらい電車に乗って休日に先生の自宅に、、、とやや億劫な気持ちでした。
しかし、タダ飯タダ酒、見たことない後藤先生の奥さん、滅多に会う機会のない卒業生の方々と色々な角度からの餌を引っ提げられたため参加を決意しました。

会のスタートは13時からを予定していました。
後藤先生と奥さんでは支度が終わらないとのことで数名が開始時刻の30分前くらいに集合となりました。
しかし到着してみると大体の準備は終わっていました。朝早くから用意ありがとうございました。
玄関に夫婦揃って同じエプロンをして出迎えてくれた時は、仲良すぎて見てるこっちがキュンでした。
あと、かぼちゃサラダマジで美味かったです。ずっと食べてました。ご馳走様です。

(2人揃ったエプロン姿、撮り忘れました。)

13時になる頃にはあらかた支度を終え、後は皆さんの到着を待つのみとなりました。
何度か足を運んだ事があるだろう卒業生はもちろんのこと、初参加の4年生も寝坊などを除き、迷わず到着していました。
これも全て事前にメーリングリストで後藤先生が自身の連絡先や住所、最寄りからのバスルートなど事細かく載せてくれたおかげです。
私個人としては、あんなにも個人情報ダダ漏れでいいものなのか疑問です。
3年生はバスが1時間に一本しかないことを後々知ったようで、集団遅刻でした。
これにより、後から人が来るたびに乾杯する流れが生まれた気がします。分からないですが。


後藤日が開催されるということで、参加するみなさんから色々な差し入れを頂きました。
最初の乾杯は20年卒の大浜さんお手製のビールを片手に、02卒の三文字さんの乾杯の音頭でスタートです。
挨拶の経緯よりも三文字さんの名前を十文字と間違えていた後藤先生が印象的でした。
どうしてプラス「七」をしたんでしょうか。

(乾杯って掛け声がいつ来るのかと、ウズウズしている後藤先生)


(差し入れ乾杯ビール。飲みやすくて美味しかったです。)

乾杯してからは無礼講?な感じでみんなでわいわいとしていました。
主に台所側、ソファ付近、居間と3つのエリアに分かれていました。
私は初め台所側で座ってご飯を食べていました。


テーブル席で印象的だった話は「服装」についてです。
着物をどうしていつも着ているのか三文字さんに尋ねたところ、相手に強い印象を与えるためだとのことです。
また着物でいることで自分の価値を高く見せることが出来ると仰っていて、埋没しないことの利点や自分の魅せ方の重要性を実感しました。
私の隣にいた朝鮮?出身の(ごめんなさい、名札の名前読めません)方はチマチョゴリを持っているとのことで、その格好でくればよかったと一言。
着物に民族衣装。。。すごい華やかな食卓になりそうです。

開始時の他の卓は卒業生は卒業生、在校生は在校生で固まっていました。
卒業生は久しぶりの卒業生同士で積もる話もあったのでしょうか。
在校生は、卒業生に萎縮していたんでしょうか。

(一箇所に固まる4年男たち)

しかしそんな固定状態もお酒が入り、皆が場に馴染んでいけば崩れていきます。
学年、卒業年にこだわらずそれぞれがなんとなく気になっている人と話を始めていきます。
その間にもどんどん新しく人はやってきて、何度も乾杯が行われます。



私個人が後藤日で特に印象に残ったことは以下の二つです。

やはり最初は、後藤先生夫婦が毎日お風呂を一緒にしていたことです。社会に出て、それぞれが役割を果たす中で毎日面と向かって話す時間を確保するという合理的な理由がありましたが、それでも毎日一緒に入るというのは驚きです。先生夫婦の両親が当たり前にそれをしていたことが、この日常が日常たる所以だと後藤先生の奥さんが仰っていて、自分の暮らしてきた環境は生涯に渡り大きな影響を与えるのだということをひしひしと感じました。これだけプライベートなことをブログに記載していいのかとも思いましたが、卒業生の結婚披露宴の挨拶で伝えているとのことらしいので大丈夫なはずだと思うので書きます。

二つ目は卒業後の進路についての話題です。
卒業生の方、全員と個々に話を出来たわけではありませんが、クリエイティブディレクターとして活躍する方、IT業界で活躍する方、子育てをしながらフリーランスで自分のライフスタイルに合わせて働く方、学校の先生をしている方、鉄道会社を何社か転々としている方、ブラック企業に勤めていると仰る方と色々な「先」があり、それぞれがそれぞれの納得いく現在を生きているのだなと感じます。もちろん現状に不平不満一つもないということではありません。紆余曲折を経て今の自分を受け入れているように感じます。それだけ色々な経験をした先輩たちだからこそ、だいぶラフに接する現役生を懐深く受け入れてくれているのかなと。

後藤日を通じて、色々な方達とラフな交流を持てて非常に楽しかったです。
会に明確な目的意識がないからこそ、ただ酒を飲みたい人、将来について先輩から話を聞きたい人と雑多な感じになっているのが後藤ゼミらしいなと思います。



「また12月には3年生は映像製作、4年生は写真展があります。
映像発表は12月9日土曜日、写真展の期間は12月5日火曜日〜12月9日土曜日です。
そしてそのまま冬のゼミ会が開催されますので、ぜひお越しください。」


あまり長々と書いても、読むのも大変ですのでこの辺りで閉じさせて頂きます。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
あとは適当に撮った写真載せていきます。

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓


(まずは完全には打ち解けきれていない後藤先生とゼミ長から。)


(新旧。社会人一年目大変だと思いますが、先輩たちも冬のゼミ会来てくださーい)


(人様の家だぞ。Part1)


(人様の家だぞ。Part2)


(3年生と一番打ち解けている松原くん、ヨネンセイ。)


(痛ネイルの話題になり、なんか撮った写真。絨毯と相性いいですね(適当))


(ヨーグルト、大好き。)

もしかしたら、写真追加するかもしれませんが、一旦はこんな感じで終わります。
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