過労死予備群の「食から笑顔になる生活」

夜討ち朝駆けで仕事する日々。忙しくとも自分なりの手間をかけて、美味しく笑顔になる生活を志します。

医療は逼迫していない、ではなく、人を見てほしい (コラム)

2020-07-15 17:00:00 | 曇り空に旗をたてる
★食に関わる記事ではありません。★



雨を避けることもなく、咲く露草は、この時期の励ましの花です。
恵みの雨とも、破壊の雨ともなる梅雨。

この梅雨と同じように、誰もが避けられない厳しい試練が、COVID19であり、現在も続いています。

東京都の陽性者が200人を越え、7月に前倒しでGo to キャンペーンを始めると発表があって、やっと「今、大丈夫?」と気にする声が上がりだしています。
観光を起爆剤にして、各地の経済を回そうとする試みは、大切です。間に合ううちに、何とかして!と、応援したい方々、たくさん居ます。

人が集まることでの感染拡大と、経済効果のバランスは、とても難しい。
少しだけ試して、うまく行くなら、もう少し増やす。そんな注意を払って、行きつ戻りつしながら、我慢できる妥協点を探し出すのが、よいと、私は思っています。

今日、私が書きたいのは、感染と経済の妥協点を探すのに、他者の犠牲をあてにするな、という点です。


複数の政治家が、「感染は増加傾向にあっても、医療は逼迫していないから(大丈夫)。」「感染症対策用を千床から三千床に増やすよう要請した(から大丈夫)」と、話しておいででした。

どれほど多くの医療者が、脱力したか、政治家は気づいていないのでしょう…。
ベッドは、数字に過ぎません。それを機能させる人間をこそ、見てほしいのです。
高い注意力とモチベーションを維持した、チーム医療が切れ目なく続けられてこそ、初めての感染症と対峙することができるのです。
その不断の努力と、感染者の治癒力の全てを引き出して、二十日を越える過程を歩むものを、「逼迫していないから」で片付けてほしくはないのです。
誰かの犠牲の上に、未来の計画を語って欲しくはないのです。


波状攻撃のように、感染症は繰り返す。さらに力を増して来るだろうと、考えない医療者は居ません。あの時、解らなかった、できなかったスキルを、次はやり抜く、と思う方も、多いはずです。

ですが、医療者も、勤労者であり、一人づつの人間です。チームを組み、驚くような仕事をしても、帰り道のコンビニのデザートを楽しみにしたり、休日に家族で笑う、普通の暮らしをもつのです。

疲れきって、燃え尽きていく者もいます。今回でいえば、モチベーションが切れたり、生活に不安を感じ、離職するものも多いはずです。

危険手当てどころか、病院経営の悪化で、ボーナス零、大きな減額を通達され、退職を選ぶ看護師集団が、七月にはいり、多々、報じられています。が、これは氷山の一角に過ぎません。
医療だけでなく、介護の現場も同じでしょう。
働く者の給与のみならず、その働きの価値を認めない(ように見える)現在。
次の高い浪に備えられる人、組織が、十分にあるとは思えないのです。


他者の努力に報いることなく、勝手に、次を期待しないで……。
そう声無き声を吐きながら、今日も、次に備える人々が居て。それを使命感なんて軽い言葉で言ってほしくない。犠牲にきずかぬふりをして、その上に、安全という、砂上の楼閣を築かないでほしい。

働く人々を、その暮らしを、きちんと見てほしい。
恐らく今、様々な職種で、同じ叫びが上がっているのでは、ないでしょうか。
我が事として、見直してほしいのです。
労働力ではなく、労働者。一人づつの人生があるのです。
2020715 過労死予備群


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