過労死予備群の「食から笑顔になる生活」

夜討ち朝駆けで仕事する日々。忙しくとも自分なりの手間をかけて、美味しく笑顔になる生活を志します。

鼈スープのお陰でご馳走かけうどん♪

2016-08-02 19:19:00 | 日いづる国の伝統食
七月中旬に縁あって、琵琶湖の鼈を食す体験をしました。その記事の最後に、食べきれなかった私達を案じて、「トプトプっというお土産」を持たせてもらったと書きました。
冷蔵庫にいれて明日の朝にでも、と、生姜も一緒にもたせてくれて。嬉しく活かしました。
その時の食を、振り返って書いておきます。

★振り返る★

実は、本物の鼈スープを使って調理するの、初めてでした(笑)。レトルトのスープでゼリー寄せや、お粥にしたことはあるのですが。怖いもの知らずなのは、私の長所です(笑)。



■鼈スープで贅沢かけうどん♪

贅沢という言葉は、鼈スープの他に、時間という名の手打ちうどんにかかっています(爆)。



手打ちうどんの小麦粉(日清製粉)、塩、水ではじめます。はじめはボロボロ(笑)。
こねて、寝かして。インペリアのシンプルなパスタ・マシンで成形しています。



陽射しのもとだと、粗がみえません(笑)。



冷蔵庫から取り出したスープは、とろりっと固まる力のもとにあります。
タップリすりおろした生姜、小口に刻んだ分葱だけで、かけつゆを作ります。
[作る]
1)うどんを茹でる:
別鍋に熱湯を沸かし、かけつゆの出来上がりに合わせて、手打ちうどんを茹でる。洗いしめて、湯をかけて暖める。
2)かけつゆを調える:
スープを火にかけ、穏やかに沸かす。沸騰させない。味をみて、必要なら塩を整える。
すりおろし生姜を掌にとり、拳を反すようにして、搾汁だけを加え、調える。分葱を加える。

3)暖めた丼にうどんを盛り、かけつゆをはる。

[ポイント]
鼈スープはあくのあがる余地がないほど、丁寧に作られていました。
火にかけてから、味見すると、ちゃんと塩気があり、塩の調整の必要がありませんでした。
味見してわかるのは、このスープは独特の強い臭いをもっていて、私が知っている鼈スープではありませんでした。
生姜を搾りこんでいきながら、火を加えるなかで、豊かに甘く香りたっていきました。およそ1lのスープに対して、15cm長ほどの生姜をすって、汁だけを搾っています。

ガーゼでギウギウに絞るのではなく、拳を反すように絞ることで、苦味を強く引き込まない工夫もいきるのだと思いました。

鼈スープはそのまま、生姜を搾りこんだ時に加えて、三度、味が変わりました。炭水化物(うどん)と合わせて、甘さが前にでた時です。この甘さを考えて、生姜を使うのが大事とわかりました。

新しい調理をするときに、一つの行程ごとに味や香りを試してみることは、かならず学びに繋がります。ワクワクする課程でした。



こんな風に調えると、金色に輝くかけうどんが出来ました。嬉しかったです。



この贅沢うどんのお供はシンプルに(笑)。時間やタイミングが容易な、おかず一つです(爆)。



醤油糀につけた鶏むね肉を、三種の茸とホイル焼きにしました。焼き上がりにお好みで黒七味をふって、食します。
大好評な食卓でした(ニッコリ)。


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コメント (2)
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人にはそれぞれの実りがある!

2016-08-02 17:48:00 | 曇り空に旗をたてる
★食に関する話題ではありません★
★苛烈な表現を含みます。いま、悲しい気持ちの方は読まないでください。★


こんにちは。自分のなかでは時代が変わったような気持ちになった週末でした(苦笑)。世間に目をむければ、あれだけの惨い殺害事件も、都知事選挙も、全部、オリンピック開幕にむけて流されていくのか、空恐ろしさを覚える瞬間があります。



我が家のトマトは、着実に紅さを増し、一気に実りに向かっています。どうして知るのか、鳥達が味見にきて、まだ実り足りないっと、つつき散らすだけです(苦笑)。網の間が見えているらしく、なかなか強敵です(笑)。


時が満ちれば実る植物であっても、天候や水不足には思い通りとはいきません。
まして、人であれば! 一生かけても、実りと言い切れないこともあるはずです。

ですが、人には、他者の判断を必要としない、それぞれの幸せ、充足感をもつことができます。それを他者に説明できない場合もあるでしょう。
時間がかかっても、いつか、それぞれの豊かさに気づく日が、みんな違って、それでいいのだと思います。


自分の価値しか認められない弱さより、貴方が理解できなくても、他者がそれぞれに幸せであるかもしれないことを認める強さを、もって欲しいと願います。

自分に解ることは、わずかかもしれない。そう認める強さをもって欲しい、とも願います。

皆が違って、それぞれが納得して活きていける。一つの価値基準を押し付けるのではなく、選択肢のある社会を作っていくことを選ぶ。
そういう社会を作っていく、一つの小さな力でありたいと、私は今日、思っています。

もちろん、全く違う価値をもつ人もいます。他者を殺してでも、自分達しか正しくない、と言い張る人がいて、世界中で殺されていく人がいます。
悔しくて虚しい。だけど無関心でいてはならない…と思います。

皆がそれぞれに、生きていける世界でありたい!

生物であるならば、同種を殺すのは、相手を喰わねば、自分が死ぬときだけです。喰わないのに、殺さないで欲しい。生き物の本能すら守れないなら、それはモンスターでしかない…そう悲しく思います。
人で無いものを裁く法は、あるだろうか。
言葉にならない、されど、逃げてはいけない質問と思います。

いま、闇を見ているかもしれない隣人がいれば、伝えてください。
あなたに人でいて欲しいと。いや、生き物であってください、と。

過労死予備群、迷いながらも記す…。20160802
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