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カンボジアのアンコールワット。その北東40kmほどのところで、アンコールワットを上回る巨大な規模のクメール遺跡が発見されたという。
日米欧の考古学チームがレーザー測定器を使用してジャングルの地形を測定したところ、遺構跡などが発見され、かなりの規模の遺跡であることが判明した。
アンコールワットは11世紀の遺跡だが、新たに発見された遺跡はそれよりも古く、なんと9世紀。
カンボジアというクメール人の栄華のほどが偲ばれるニュースなのであった。

カンボジアのニュースを聞く度に感じるのは、民族と文明の栄枯盛衰だ。
かつてカンボジア、つまりクメール帝国はインドシナ半島において広大な領土を占めていた。
現在のタイ、ラオス、ベトナムの南半分を占める領域で現在でも数多くのクメール遺跡がこの地域には存在している。
例えば、バンコクからバスで3時間ほど北に向かったところにあるロッブリーにはクメール式の寺院の遺跡がある。
小アンコールワットといった趣の遺跡が国鉄の線路横にあり、多くの観光客が訪れているのだ。

そもそもタイの最初の王朝であったスコタイ王朝のラームカムヘーン大王はクメール帝国の地方行政官の一人であったという。
タイ族そのものが今の中国の雲南省に源があり、漢族の南侵にともなって押し出されるようにインドシナ半島に流れ込んできたのだ。
この話。太古の話ではなく、たった1000年ほど前に起こった歴史なのだ。
以来、クメール帝国はシャムの建国により版図の半分近くを失うことになった。
ラオスは18世紀にヨーロッパの、とりわけフランスの植民地政策によりタイが生き残りのために切り離した領土なのでタイと同一と言ってもいいであろう。
この18世紀にクメール帝国の版図から切り離されたのが現在のベトナムの南半分。
かつて南ベトナムであったエリアで、これはベトナム人の侵攻によるものと確か耳にしたのであった。
例えばベトナム最大の街ホーチミン市には歴史の古い順に4つの名称がある。
最初がクメール帝国時代のプレイノコール。
次がベトナム人が移り住んでからのザーティン。
その次がフランス人に制服されてからのサイゴン。
そして南ベトナム解放後のホーチミンだ。

この間、クメール帝国はどうなったかというと版図の縮小に伴い力を失い、1970年代から1980年代に渡る赤いクメール時代に大量の民族虐殺を発生させ国力を限界まで喪失してしまったのであった。

今回の遺跡の発見で改めて感じたのは、国家のありかたであった。
いかに優れた文明国家でも、歴史の流れから逸脱すると版図は極限まで小さくなり、やがて無くなってしまうことも考えられるということだ。
国土や国政に無関心になり、多民族に行政を任せるとどうなってしまうのか。
現在の日本の国のカタチに照らし合わせると無視できない。
そんなことを考えてしまうニュースなのであった。

そういえばカンボジアはまだいい。
小さくとも国が残っている。
モン族のペグー王国(ミャンマーの一部)、チャンパ族のチャンパ王国(ベトナム一部)は今は跡形が残るのみだ。
1000年後の日本はどうなるのだろうか。


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