<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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20世紀の終盤、ソビエト連邦大統領ゴルバチョフの登場により東西冷戦が集結した。
その結果、多くの共産国家が崩壊。
ベルリンの壁も打ち壊され、ドイツは東西が統合。
暫くの間、旧東ドイツの財政経済を旧西ドイツが支えることになって随分苦しんだが、やっと軌道に乗り始めドイツ経済は順調であるのは言うまでもない。

ドイツが東西統一をする20年ほど前に、ベトナムが南北を統一した。
第二次世界大戦終結から続いた欧米の旧列強によるインドシナの富分配騒動は、ベトナム人自身と関係国家全部の血によって終結した。
いまやベトナムは日本の重要なパートナーであり、米国とも友好を結び東南アジアのサブリーダー的立場になりつつあることも言うまでもない。

その他にも様々な動きが各方面で起こった。
キューバのカストロ議長がアメリカを訪問した。
失敗したがイスラエルがパレスチナを一時的に容認した。
東ヨーロッパ各国は共産主義を捨て去り、新しい歴史を歩み始めた。
それまでに至る道はプラハの春に見られるように血の代償を伴っていたことは、これまた言うまでもない。

しかし、世界に唯一つ、自力で何にも解決できない国がある。
韓国と北朝鮮だ。
この南北朝鮮の人任せはその文化習慣に依存するのか不明だが、はなはだ迷惑の感が強すぎる。
例えば韓国から見た北朝鮮問題。
これなどは法的には韓国の内政問題で、自力で解決すべき問題だ。
にも関わらず、6カ国協議などと言って周辺各国を巻き込んで「金の負担をお願い」というのだから、信じられないものがある。
ドイツやベトナムからしたら「アホちゃうか」といった主張を平気で繰り返すのだ。

南北分断は日本のせい、という輩までいる有様で「なんとか」につける薬はないというのを地で行っているとしか思えないところがある。
はなはだ迷惑な存在だ。

驚くのはなんといっても自分で責任を取らないことだ。
自国の統一問題を人任せにするぐらいだから、当然経済問題、政治問題も人任せ。
自ら進んで解決しようという姿勢はあまり見たことがない。
かといって、全部他人に委譲するかというとそうではなく、優秀なテクノロジーや文化については「わが民族発祥である」と、まあ絵に描いたようなところがある。
中国語や韓国語には「優しい」とか「かわいい」という意味に該当する言葉ないと聞いたことがあるが、もしかすると「見苦しい」という言葉も存在しないのかもわからない。

そんな文化があるものだから、アシアナ航空機事故も「アメリカのせい」と主張し始めた。
あまりに予想通りの展開で恐ろしいものがある。

往年の人生幸朗・生恵幸子の漫才なら、
「責任者でてこーい!」
というところだが、今回の事故のケースは誰も出てこない。
従って、
「ホントに出てきたらどうすんねん!」
と突っ込まれることもないから、
「ごめんちゃい」
という必要もないのだ。

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20年ほど前に持っていたシャープのパソコンX68000に、「フライトシュミレーター」というソフトがあり、飛行機の好きな私が持っていた数少ないゲームソフト的なソフトウェアだった。
マイクロソフトのフライトシュミレータが世にでる随分前のソフトで、画像は現在のようにリアルではなかった。
しかし、夜間のランディングのみに特化したその機能と画面は素晴らしく、当時めずらしかったX68000が誇るPCM音声も手伝って、管制塔とのやりとりの音声で、かなり雰囲気リアルなのであった。

このシュミレータ。
操縦桿を別に買う必要があったのだが、キーボードでも操縦できることからケチい私は常にキーボードで様々な機種を伊丹空港その他に着陸させようと試みていたのだ。
で。結論から言うと、何十回、いや百回以上このソフトで遊んだものの、無事に着陸させうことができたのは1度しか無く、その他は、
「失速」
「滑走路通過」
「着陸経路逸脱」
などで、甚大な被害を出していたのだ。
とりわけ横風があると悲惨で、着陸コースを維持することさえままならなかった。

かように「飛行機の着陸は難しいもんだ」と感心したことしきりなのであった。

元全日空パイロットで作家の故内田幹樹のエッセイを読んでいると、いろんな着陸に関するエピソードが載っていて楽しいし、驚くことがある。
その中でもパイロットになりたての1960年代の終わりに副操縦士で羽田から富山に富んだ時の話がとりわけ印象に残っている。
飛行中、雹だった霜だったかやられてコックピットのガラス正面が見えなくなってしまった。
経験の少ない副操縦士だった内田幹樹は「これは着陸できない」と緊張が走ったという。
ところがベテランの機長はそんなことどこ吹く風。
富山空港へは正面が見えないので、窓の横の景色を見ながら難なく着陸してしまったのだという。
ケロッとしている機長に、
「どうして横を向いたまま着陸できるんです?」
という意味合いのことを聞いたところ、
「艦載機は横の景色を見ながら着艦するんだよ。機種を上げているから空母の甲板は見えないんだ」
機長はゼロ戦乗りの生き残りなのであった。

著者も読んでいる私も旧海軍のパイロットの神業といえる技量に、恐ろしく感動してしまったことは間違いない。
ゼロ戦のパイロットは戦後も人々の命を守りながら旅客機を飛ばしていたことに頼もしさを感じたのであった。

サンフランシスコ空港で発生したアシアナ航空機の事故は、素人目から見ても明らかな操縦ミスだ。
風はなく、視界良好。
遠く離れたところからも雲ひとつ無い青空のもと事故機が着陸する様子がビデオに捉えられている。
飛行機の侵入角度があまりに低いのも、飛行機をよく利用する人や、見ることが好きな人にはよく分かる風景だ。
あの低い高度で侵入していて異常だと気づかないのは、明らかにオカシイのだ。

報道によると「パイロットはベテランで不備はない」とアシアナ航空会社は主張している。
ベテランなら低すぎる着陸の侵入角度は目で見て分かっていたはずで、もしかhしたら別のことに気を取られ危機を見逃したのかもわからない状況だ。
パイロットはベテランだから「飛行機が悪い」という構図に持ってこうとするところに姑息さを感じずにはいられない。
むしろあれだけの事故でありながら乗客のほとんどが助かったのは、B777の優秀な設計にあったと思わずにはいられない。

飛行機の操縦はゲームでも難しい。
でもベテランなら横の窓から見ていていても高度が適正なのか、侵入経路も適正なのかは判断がつくはずで、今回の事故はお粗末としか言いようがないが、そのお粗末さは想像以上に高く付くものになるだろう。



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1988年1月。
私はロサンゼルスにいる親類宅を訪れるため、伊丹から金浦空港経由の大韓航空機を利用した。
まだ、関西空港はなかったので伊丹の大阪空港が名実ともの国際空港なのであった。

「ホンマに、大丈夫?大韓航空機に乗ったりして。旅行やめたら。」

と本気で心配したのは母なのであった。
というのも、このアメリカへ出かける二ヶ月ほど前に、大韓航空機に関する超ビッグなニュースが世界中を駆け巡ったからなのであった。
そのニュースとは大韓航空機に仕掛けられた爆弾が飛行中に炸裂し、ミャンマーのアンダマン海に墜落した、いわゆる大韓航空機爆破事件が発生していたからであった。

「大丈夫やで。飛行機がそんなにさいさい爆破されることなんかないって」

と言っては母を慰めた。
しかし実際は、私も大韓航空機に乗るのはまったくもって気がすすまなかったのも事実で、我が生命よりも大阪~ロサンゼルス往復12万円という当時としては破格のチケットのほうを重要視してしまったのであった。
ホントは日系のエアラインで行きたかったが、12万円なんて金額でチケットを買えるわけがない。
この時は人生2度めの海外旅行で、しかも2度めの米国旅行で、前回はかのパンナムであっただけに、できれば今回は日系の、それもできれば憧れのJALで行きたいと思っていたのだった、
が、現実は予算のほうが重要で、大韓航空機になってしまったのであった。

大韓航空機といえば、爆破事件以前にもソビエトの空軍に撃墜されるという事件もあったりして、航空機事故ならぬ事件には関係が少なくない。
従って、家族のためを思うと、今の私なら絶対に他のエアラインを選ぶのだが、若気の至りというかなんというか、はなはだ安全無視なのであった。

結局無事に行って帰ってきたのだったが、トラブルが無いこともなかった。
帰りにロサンゼルス空港で金浦空港で搭乗手続きをするときに、大韓航空の受付のお兄さんに、

「この便は満席で乗れないよ」

という意味合いのことを言われてドキドキとしたのであった。
当時の私は英語は話せず抗議もできない。
心配してついてきてくれていた日系2世の伯父さんが、

「リコンファームしとるんだから、そんなこと有るわけがなかろう」

という意味合いのことを英語で主張してくれた。
伯父さんは一時日本に来ていたときに戦争が始まってしまって米国に帰れず、岡山県で私の父と一緒に旧制中学にかよった中ので日本語は堪能なのだが岡山弁なのであった。
昭和一桁日系アメリカ人。
圧しは中途半端ではない。
その結果、

「ん~調べてみます。あ、ありました。でも金浦までで、そこから大阪への乗り継ぎはありません。ソウルに一泊してもらいます」

と、大韓航空のお兄さんは抜け抜けと言ったのであった。
今の私なら自身の口で英語であろうと日本語であろうと厳重抗議するのであるが、残念ながら繰り返すけれども当時の私は英語がからっきしダメだったので代理で伯父さんが、

「何言うとるんなら。ええかげんせんと人を舐めてるとおえりゃせんで」

というようなことを話してくれて、大阪への乗り継ぎも完了した。

この教訓から学んだのは大韓航空は危険ではなくて、「あぶない」航空会社だということであった。
予約しても、リコンファームしても、内容は当てにならず、おまけに金浦空港では日本人と見るやロビーの売店の店員は無愛想でぶっきらぼう。

「二度と使ったるかい!」

ということになり、今日に至るまで再び利用したことはない。
同じような経験は他のアジア系エアラインでも経験したことがなく、唯一ここのみなので、やはりお国柄かもしれないと未だに信じている。

あの頃は韓国といえば大韓航空だけだったが、今では複数のエアラインが就航しており、アシアナ航空もその1つ。
関空でよく見かけるので印象に残っている航空会社だ。

このアシアナ航空の飛行機が着陸に失敗し、複数の死者を出した。
場所はサンフランシスコ。
墜落した機種はB777。
1995年の初就航以来人身事故ゼロの機種であった。
この脅威の無事故記録を打ち破ったのが韓国の航空会社であったことは、偶然ではないかもしれない。
なんといっても「あぶない」エアラインの派生品。
どこに嘘が隠れているかわかったもんではないからだ。

既に記者会見では、
「安全に問題はなかった」
と社長は言っているらしいが、ツイッターに投稿された写真を見ると、飛行機から避難してくる乗客がスーツケースを転がしながら避難してくるところが写っていた。
これで安全に問題がなかったということはあり得ない。
乗客の半分が中国人というのも、この航空会社のポジションを示していると思った。
もしかすると、不法入国者の集団入国作戦だったんじゃないかと思ってしまったのだ。

米国では事件の経緯ではなく、B777で事故が発生したことにショックが走っているようだが、それは私も同じ。

原因の調査結果が注目されるところだ。

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カンボジアのアンコールワット。その北東40kmほどのところで、アンコールワットを上回る巨大な規模のクメール遺跡が発見されたという。
日米欧の考古学チームがレーザー測定器を使用してジャングルの地形を測定したところ、遺構跡などが発見され、かなりの規模の遺跡であることが判明した。
アンコールワットは11世紀の遺跡だが、新たに発見された遺跡はそれよりも古く、なんと9世紀。
カンボジアというクメール人の栄華のほどが偲ばれるニュースなのであった。

カンボジアのニュースを聞く度に感じるのは、民族と文明の栄枯盛衰だ。
かつてカンボジア、つまりクメール帝国はインドシナ半島において広大な領土を占めていた。
現在のタイ、ラオス、ベトナムの南半分を占める領域で現在でも数多くのクメール遺跡がこの地域には存在している。
例えば、バンコクからバスで3時間ほど北に向かったところにあるロッブリーにはクメール式の寺院の遺跡がある。
小アンコールワットといった趣の遺跡が国鉄の線路横にあり、多くの観光客が訪れているのだ。

そもそもタイの最初の王朝であったスコタイ王朝のラームカムヘーン大王はクメール帝国の地方行政官の一人であったという。
タイ族そのものが今の中国の雲南省に源があり、漢族の南侵にともなって押し出されるようにインドシナ半島に流れ込んできたのだ。
この話。太古の話ではなく、たった1000年ほど前に起こった歴史なのだ。
以来、クメール帝国はシャムの建国により版図の半分近くを失うことになった。
ラオスは18世紀にヨーロッパの、とりわけフランスの植民地政策によりタイが生き残りのために切り離した領土なのでタイと同一と言ってもいいであろう。
この18世紀にクメール帝国の版図から切り離されたのが現在のベトナムの南半分。
かつて南ベトナムであったエリアで、これはベトナム人の侵攻によるものと確か耳にしたのであった。
例えばベトナム最大の街ホーチミン市には歴史の古い順に4つの名称がある。
最初がクメール帝国時代のプレイノコール。
次がベトナム人が移り住んでからのザーティン。
その次がフランス人に制服されてからのサイゴン。
そして南ベトナム解放後のホーチミンだ。

この間、クメール帝国はどうなったかというと版図の縮小に伴い力を失い、1970年代から1980年代に渡る赤いクメール時代に大量の民族虐殺を発生させ国力を限界まで喪失してしまったのであった。

今回の遺跡の発見で改めて感じたのは、国家のありかたであった。
いかに優れた文明国家でも、歴史の流れから逸脱すると版図は極限まで小さくなり、やがて無くなってしまうことも考えられるということだ。
国土や国政に無関心になり、多民族に行政を任せるとどうなってしまうのか。
現在の日本の国のカタチに照らし合わせると無視できない。
そんなことを考えてしまうニュースなのであった。

そういえばカンボジアはまだいい。
小さくとも国が残っている。
モン族のペグー王国(ミャンマーの一部)、チャンパ族のチャンパ王国(ベトナム一部)は今は跡形が残るのみだ。
1000年後の日本はどうなるのだろうか。


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