<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地





もう半世紀近くも前のこと。
SFTVシリーズ「スター・トレック」のパイロット版が作られた。
エピソード名は「CAGE(邦題なし)」。
クリストファー・パイク船長以下、宇宙船USSエンタープライズ号の乗組員たちの冒険物語は、ストーリーの筋が難しすぎてテレビ局の沖お気に召さずにお蔵入り。
幸運にも作り直しが認められて、新しい船長、ジェームズ・T・カーク船長以下おなじみのクルーの物語に改められ、無事にシリーズ化。
現在もなお様々な形になって継続されている伝説的シリーズが誕生した。

この「ストーリーの筋が難しい」というのは、「宇宙家族ロビンソン」や「海底科学作戦 原潜シービー号」「ミステリーゾーン」などB級SFが流行していた当時では納得のいくものだ。
スター・トレックはオリジナルは特にそうだが、時代の世相を強く反映しているので、特に理屈っぽい。
で、ボツのストーリーはと言うと、これもかなり難しくシリアスなものだった。

タロス星という未知の惑星には超能力で自分たちが作りだした幻想を真実のように見せかけ、動物のように飼育する異星人が住んでいた。
パイク船長はそこで麗しき地球人の女性を目撃するのだが、その真相はなんなのか。
という筋書きだ。
当然、パイク船長たちは異星人による幻覚に惑わされつも、その惑星の真の姿をあぶり出す。
なぜ地球人の女性が彼らに育てられ、生活しているのか、ということを。
その理由と真実は、かなり衝撃的だ。

このお蔵入りのエピソードは、その後カーク船長以下の物語の中「タロス星の幻怪人」というエピソードの劇中劇に使用されるので、ご存じの方も少なくないかもしれない。

スティーブ・ジョブスが絶妙なテクニックで見せたプレゼンテーションや、噂に聞く開発会議や営業会議で「不可能を可能にしてしまう」時に彼が発するという独特のオーラがある。
それを人は「現実歪曲空間」と呼んでいるが、実はこの言葉はこの「タロス星の幻怪人」が用いる幻覚作用がその語源になっているとは、現在ベストセラーになっている評伝を読むまで私はまったく知らなかった。

確かに、アップル社のCMやプレゼン、ビデオには人をその世界に引きずり込んでしまう魔力がある。

「こんなことがコンピュータでできちゃうの?!」

という、PCではほとんど感じることのない「何か違った世界」をジョブスはアップル社とピクサー社という2つの会社で人々を魅了させ続けていた。
Mac使いの私もその一人。

現在のIT世界とCG映画の世界を創造したスティーブ・ジョブスはそういう意味でタロス星の幻怪人だったわけだ。

それにしても、ウォルター・アイザックソン著「スティーブ・ジョブス」は上下二巻構成ながら、一気に読みあげてしまうほどのオモシロさが溢れていた。
タロス星の幻怪人はともかくとして、スティーブ・ジョブスという一個の人間がパーソナルコンピューティングの世界のかなりの部分を創造したこと自体も興味深いが、その文字通り波乱万丈な人生も大いに私たちの興味を引き出すのだ。

ただ単に、IT世界で成功した者のサクセスストーリーではないものがそこにはある。
ジョブスの魅力は、その一本調子ではない、挫折有り、破壊あり、創造あり、芸術あり、の変化に富んだ人生に裏付けされたもので、タロス星の幻怪人の如く途方も無い魅力で自社の社員や家族、そして顧客までも魅了してしまうパワーは、ほんの一部にすぎないというところもまた、面白いのだ。

この伝記は単なる人生の物語ではなく、IT史、芸術史、ビジネス書、アイデア集、喜劇、悲劇としての魅力も存分にある。

ともかくジョブスを実業家として言い表すには、あまりに単純でありすぎるし、また、映画に革命を起こしたクリエイターと言い表すには言い過ぎの感がある。
タロス星の幻怪人。
ジョブスを表すのには、ある意味フィットした呼び名なのかも分からないと思ったのであった。

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