<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



「オレは会社を設立して、ある程度成功したら、それを売って、また新しい仕事を始める。これってええ考えやろ?」

と若い時に話していたのはオーストラリア人の友人であった。
日本の多くの起業を望む若者とは随分違うな、と感じたものだった。

その頃の日本企業といえばホンダといえど、パナソニックといえど、ソニーといえど、有名企業の多くはどれもこれも創業者や創業一族が経営している会社だった。
あれから20年以上が経過して、周囲を見渡してみると、すっかり様相は二分化。
一方は創業者や創業家が経営する企業群、もう一方は創業者は故人となって創業一族は単なる株主、経営は別の人達が実施している企業群にわかれている。

どちらが幸せな企業なのか。
なかなか判別しにくいが、「大王製紙」と「オリンパス」を見るかぎり、同族会社のワンマン経営はいただけないことは間違いないようだし、創業一族ではなくても一部の人達が経営を握ったら、やはり企業はおかしくなる。

買うのも売るのも取引先に感謝して、従業員の幸せを願う経営者は、そう簡単に出るものではないけれど、マンガのような、まさに「絵に描いたような◯◯な会社」が出現するとは。

トイレに入ってエリエールのティッシュを使ったり、健康診断で胃カメラを飲むごとに、負の事例を思い浮かべることになるのかと思うと、社員ではないけど憂鬱になる。


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昨日、全国の注目を最も集めた交通事故は下関近くの中国自動車道で発生した自動車事故。
その注目された原因は高級車の集団事故だったからだ。

なんでも14台が関係する追突事故でこのうちフェラーリが6台、ランボルギーニが1台、ベンツ2台、というのだから、もしかするとホンダジェットを購入してお釣りがあるような金額かもわからない。
ランボルギーニなんていうと、私が小学生の頃に流行ったスーパーカーブームではその頂点であったように記憶する。
尤も、私は今も昔も自動車よりも空飛ぶ飛行機のほうが圧倒的に大好きですけど。
それにファンカーゴ乗っている身分では偉そうなことは言えません。

で、目撃者の情報によると時速140km以上のスピードで集団で走っていたとかで、一台の車がスピンしたのを皮切りに次々と追突。
不思議なことに、死者がでなかったのは、これらスーパーカーの安全性の証明か。

それにしても近頃の暴走族は高級車を乗り回し、それも半端でない高級車を乗り回していると思えば、結局はオッサンどもの悪ふざけが絶えない。
こんなに高級でなくっても、例えばハーレーダビットソンにまたがって一般道を集団で暴走しているおっさんたちを天気の良い日に見かけたりするのだが、

「充実したいい生活だね」

と言えない雰囲気がある。

ともかく、「スーパーカー、乗ってた人は、スーパーパー。」

と言ってみたら、語呂がいいことだけは確かだ。


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スピルバーグの最新作、「タンタンの冒険 ユニコーンの秘密」は全編CGで製作された画面で、実写ではほとんど不可能なカメラワークの連続と超アップテンポな物語展開で、中1の私の娘は大ハシャギ。
しかし私と嫁さんはぐったりと疲れてしまったのであった。

レイトショーを見に行ったので、見終わったあとは激しいスポーツをした後のように良く眠れたのだが、かなり疲れる映画であったことは確かだ。
正直、IMAXで、しかも3Dで見るのは、かなりの体力が必要である。

最近の映画の傾向としてコンピューターグラフィックスを多用するものが少なくない。
一般のドラマでも従来は手書きで描いていた街並みや背景などのマットペインティングをコンピューター・グラフィックスで描くことが多く、ましてSF映画やファンタジーとなるとCGのオンパレード。
少々食傷気味の気配がある。

ピクサーが製作するようなアニメーションと今回の「タンタン」に見られるようなCGも、まったく異なったものだと私は考える。
ピクサーはやはりアニメの世界でのCGだが、タンタンや昨年公開された「クリスマスキャロル」のような映画は実写に限りなく近づけようとするCGであって、質感も表現様式も全く異なるものだ。

「まるで実写みたいや」

と見終わった娘は覚えたての「実写」ということばを使って喜びの感想を叫んだのだが、この「実写みたい」な表現が、私には気味が悪くて仕方がなかったのだ。

そこで思い出されたのが「不気味の谷」理論。
東京工業大学の森政弘先生が提唱された「ロボットがよりリアルになってくると人はそれを不気味と感じる谷がある」という理論だ。
「タンタン」は不気味の谷のまっただ中にある映像で、スピルバーグは随分な冒険をしたものだと驚きを感じたのであった。

きっと、この手の手法が完成されつつあり、それを使って最初の大作を監督するに相応しい人選として選ばれたのかも知れないが、こういう作り方をするのであれば、やはり「タンタン」は実写とCGの組み合わせか、実写のみでチャレンジしてほしかったと思う。
スピルバーグとILMがタッグを組めば、もっとタンタンの魅力を引き出す方法もあったのではないか、と残念でならない。

CGを駆使して最新テクノロジーによるスピード感のあるカメラワークとアクションでも、30年前にハリソン・フォードが演じたレイダースの「アナログアクション」には敵わないと思うこと仕切りなのであった。
馬に乗り、ナチスを追いかけ、走るトラックの下をかい潜り、相手をパンチで打ちのめす。
こんなハラハラドキドキ感は、今のスピルバーグの映画には、無い。

なお、タンタンの「Tin Tin」を「チンチン」とか「ティンティン」と呼ぶ人が多いが、あれは「タンタン」と呼ぶ。
映画でも「ティンティン」と呼んでいたが、タンタンの原本フランス語では「Tin Tin」と書いて「タンタン」と読むのだ。


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もう半世紀近くも前のこと。
SFTVシリーズ「スター・トレック」のパイロット版が作られた。
エピソード名は「CAGE(邦題なし)」。
クリストファー・パイク船長以下、宇宙船USSエンタープライズ号の乗組員たちの冒険物語は、ストーリーの筋が難しすぎてテレビ局の沖お気に召さずにお蔵入り。
幸運にも作り直しが認められて、新しい船長、ジェームズ・T・カーク船長以下おなじみのクルーの物語に改められ、無事にシリーズ化。
現在もなお様々な形になって継続されている伝説的シリーズが誕生した。

この「ストーリーの筋が難しい」というのは、「宇宙家族ロビンソン」や「海底科学作戦 原潜シービー号」「ミステリーゾーン」などB級SFが流行していた当時では納得のいくものだ。
スター・トレックはオリジナルは特にそうだが、時代の世相を強く反映しているので、特に理屈っぽい。
で、ボツのストーリーはと言うと、これもかなり難しくシリアスなものだった。

タロス星という未知の惑星には超能力で自分たちが作りだした幻想を真実のように見せかけ、動物のように飼育する異星人が住んでいた。
パイク船長はそこで麗しき地球人の女性を目撃するのだが、その真相はなんなのか。
という筋書きだ。
当然、パイク船長たちは異星人による幻覚に惑わされつも、その惑星の真の姿をあぶり出す。
なぜ地球人の女性が彼らに育てられ、生活しているのか、ということを。
その理由と真実は、かなり衝撃的だ。

このお蔵入りのエピソードは、その後カーク船長以下の物語の中「タロス星の幻怪人」というエピソードの劇中劇に使用されるので、ご存じの方も少なくないかもしれない。

スティーブ・ジョブスが絶妙なテクニックで見せたプレゼンテーションや、噂に聞く開発会議や営業会議で「不可能を可能にしてしまう」時に彼が発するという独特のオーラがある。
それを人は「現実歪曲空間」と呼んでいるが、実はこの言葉はこの「タロス星の幻怪人」が用いる幻覚作用がその語源になっているとは、現在ベストセラーになっている評伝を読むまで私はまったく知らなかった。

確かに、アップル社のCMやプレゼン、ビデオには人をその世界に引きずり込んでしまう魔力がある。

「こんなことがコンピュータでできちゃうの?!」

という、PCではほとんど感じることのない「何か違った世界」をジョブスはアップル社とピクサー社という2つの会社で人々を魅了させ続けていた。
Mac使いの私もその一人。

現在のIT世界とCG映画の世界を創造したスティーブ・ジョブスはそういう意味でタロス星の幻怪人だったわけだ。

それにしても、ウォルター・アイザックソン著「スティーブ・ジョブス」は上下二巻構成ながら、一気に読みあげてしまうほどのオモシロさが溢れていた。
タロス星の幻怪人はともかくとして、スティーブ・ジョブスという一個の人間がパーソナルコンピューティングの世界のかなりの部分を創造したこと自体も興味深いが、その文字通り波乱万丈な人生も大いに私たちの興味を引き出すのだ。

ただ単に、IT世界で成功した者のサクセスストーリーではないものがそこにはある。
ジョブスの魅力は、その一本調子ではない、挫折有り、破壊あり、創造あり、芸術あり、の変化に富んだ人生に裏付けされたもので、タロス星の幻怪人の如く途方も無い魅力で自社の社員や家族、そして顧客までも魅了してしまうパワーは、ほんの一部にすぎないというところもまた、面白いのだ。

この伝記は単なる人生の物語ではなく、IT史、芸術史、ビジネス書、アイデア集、喜劇、悲劇としての魅力も存分にある。

ともかくジョブスを実業家として言い表すには、あまりに単純でありすぎるし、また、映画に革命を起こしたクリエイターと言い表すには言い過ぎの感がある。
タロス星の幻怪人。
ジョブスを表すのには、ある意味フィットした呼び名なのかも分からないと思ったのであった。

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