<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地





桂枝雀の「代書屋」は上方落語の中でも絶品だ。

この噺の中で展開される代書屋さん(司法書士)と履歴書の作成を以来に来た無学文盲のお客さん松本留五郎(職業=がたろう)との会話は落語の中でも最も可笑しい会話なのではないかと私は思っている。

私はこの代書屋のLPレコードを大学1年生の時に買い求めたのだったが、それこそ「溝がすり切れるほど」繰り返して聞き、上方落語の世界にはまっていったものなのであった。

この話のラストシーン、
「昭和10年......どこへ行きはったんですがかな」と代書屋さん。
「飛田です。」
「と、と、飛田.....。飛田ねえ.....。西成区、山王町やったかいな。....で、そこで何してはったんですか?」
「そこへ、さっき話したマッちゃんととタッちゃんと三人で女郎買いに行ったんだ。わーわー言うて、おなごの取り合いだ。楽しおましたで。」
「.......。」
「それそこへ書いといてくれまへんか。」
「どこに女郎買いのこと履歴書に書く人おますかいな!」
ドドン!

このシーンに出てくる飛田と言う町は大阪人であれば知らない人はいないし、だからといって行ってみたいと思う人も、多くはないところだ。
というのも、ここは21世紀の今日もなお、遊郭街として存在しつづける特殊な文化地域なのだから。

井上理津子著「さいごの色町 飛田」(筑摩書房刊)はこの遊郭街を10年余りにわたって取材したルポルタージュで、この本を書店で見つけた時は一瞬驚きを感じたのだった。
というのも、飛田という街を女性のライターが自身で取材し、文章に書くことなど命がけだったのではないかと思ったからだ。
「命がけ」
と単に言うと、「ものすごく難しい取材だったんだ」と思うのが普通だが、この場合の「命がけ」は文字通りの命がけ。
紛争地帯の取材。
北朝鮮の潜入取材。
タリバンへの単独インタビュー。
などからイメージする「命がけ」。
つまい何かトラブルに巻き込まれて行方不明になることだって有りうるんではないか、という意味なのだ。

飛田は今でも遊郭街であり続けているだけでもユニークなところである。
私は近くを自動車で通ることが少なくないのだが、ホントにほんと正直なところ、一度も遊びに行ったことががなく、歓楽街としての姿を見たことが一度もない。
地域的にも北には通天閣で有名な新世界があり、東には市営住宅の地域を挟んでアベノのショッピングモール街もあるような場所なのだ。
ただ南と西には、いわゆる釜ヶ崎のドヤ街も広がっており、そういう事情もまた、飛田を今日も遊郭として機能させている背景になるのだろう。

それにしてもこの「さいごの色町 飛田」は人間ドラマとして優秀なルポルタージュで、この街の表裏両面をくっきりとあぶり出していて面白い。
この地域に住んでいる人たちの人情味というか、暖かさは漫画じゃりン子チエに通じるものがある一方、遊女という現代ではアンタッチャブルな地下世界も全てではないが、ほじくり出しており、ある時はスリリングで、またある時はグッとくる物語が随所に散りばめられているのであった。

最後にも記されていたとおり、この本を読んで興味が湧いたからという理由だけで、物見遊山的に訪れるのは適切ではない、ところではあるし、また、最近はやりの隠し撮り写真などやろうものなら、本当にどうなることかは保証できない。
日本の風俗文化のシーラカンス的色彩が濃いだけに、それを犯そうとするものは、それなりのリスクを受けなければならない地域でもあると思った。

勇気ある著者と東京の出版社筑摩書房の英断に拍手を送りたい一冊なのであった。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



« 暴力団排除条... 東京都写真美... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。