<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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日本ビクターのCGソフトはトライマジンというZバッファ法という手法を用いたレンダリングソフトなのであった。
モデリング機能は、正直使い物にならなかった。
X68000で使用するC-TRACEの方が使いやすいくらいだった。

モデルを作るには別に三次元CADが必要だった。

このときの私たちの場合、どちらかというと業務で使用するCADを探していたわけで、CADを必要とするCGソフトを購入することはちっとも問題にはならなかった。
問題は、どのCAD を購入するのかにあった。
時、パソコンCAD黎明期。
どれがメジャーで将来性があるのか。
どれが使い勝手に優れているのか。
どのメーカーがしっかりしているのか。
なかなか難しい買い物であった。

結局そのモデリングに必要なCADは日本ビクターが紹介してくれることになった。
ビクターの担当の方は、私の会社が同社の下請け仕事をやっていることを知ると、身内のように接してくれたのであった。
で、紹介されたのはクボタのCADKEYという三次元CADなのであった。

パソコンで使う三次元CAD。

当時としては三次元CADは珍しい存在だった。
というのも、当時のパソコンの機能は現在のものと比較にならないくらいグラフィック処理と演算速度が遅かった。
たとえばCADの図面をモニターに表示する速度さえ「早い」ということがそのソフトのセールスポイントになった時代だった。

一瞬にして描けます。

今では当たり前の事実でも、当時は事実ではなく、一般的にCADは再描するごとにコンマ何秒から数秒の時間、待たなければならなかった。
そんな時代に、三次元CAD。
今考えると、ちょっと無理なCADのように感ぜられるのだが、実際はそんなことはなく結構サクサクと動く優れものの機械設計向けのCADであった。

このクボタのCAD(実際は海外製)とビクターのCGソフト、そしてそれを動かすためのパソコン、拡張メモリ、プロッタ、昇華型カラープリンタなど〆て見積金額は400万円程度だった。

「社長の車より安いからええやないですか」

と若かった私は迷いもなく大胆な発言をしたのだった。

社長の愛車はリンカーンコンチネンタル。
社長はアメ車をこよなく愛する「ちょっと変な」オッサンであった。
なぜヘンなのかというと、毎月のようにどこかが故障して、そのつど近鉄モーターズのサービスに取りに来てもらって修理しなければならない自動車に乗り続けていたという、そういうアホ気なことを繰り返す根気を持った「ヘン」なのであった。

しかし、私のその失礼な発言をものともせず、稟議は即決。
早速、そのシステムを導入することになったのであった。
これはまた私が始めてNECのPC-9801に触れる機会にもなったのであった。

つづく

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