<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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ある面をペイントしようと思ってカーソルを移動し、色を塗り始めるためにキーを押す。
するとカーソルの位置から上の方向に向かって「にゅるにゅるにゅる~」っと、まるでコップに水が注がれていくのを真横から眺めているようにゆっくりと色が埋められていき、一番上まで塗りつぶすと、今度は下側をゆっくり「にゅるにゅるにゅる~」と塗りつぶしていく。
この光景がシブイのだ。
そしてこれがなんともノロイのである。

これは8ビットパソコンの遅ーい処理速度とHu-Basicの重ーいプログラムが相互に作用した結果なのだったが、これが私のとって初めてのパソコンであったから、このにゅるにゅるペイント速度を遅いなどとはちっとも思わなかったのだった。

ただこのプログラムにはいくつかの困った点があった。
まず、ペイントを実行したときに、その塗りつぶしたいエリアがLINEで完全に閉じられていないと、その閉じられていない隙間から、ドドドドドドと色が流れ出してしまい、画面全体が同じ色になってしまうということだった。
これは現在のペイントソフトでもよく見られる現象なので、原理は今もって変わっていないのだろう。
ただし今と違って塗りつぶしに問題があったからといって、すぐに命令を取り消してひとつ前の状態に戻すなどといこともできなかったし、線を閉じるためには再び座標入力ソフトにロードして修正しなければならなかったのだ。
ほんとに、気の遠くなるような作業の多さなのであった。

そして最も困った問題が、実はこのプログラム、掲載時にどこか写植ミスがあったらしく記載されているままプログラミングするとエラーが発生してしまう、という現象が発生してしまったことであった。
プログラムのバグ。
出版社に抗議すべきところであったが、そこはおとなしい芸大生の私。
一生懸命画面とパソコンのマニュアルをにらめっこしてプログラムを正常に導き、使い物になるように問題を解決したのだった。
このときほど「プリンターが欲しい」と思ったことはない。

これはある意味、良かったと言えるだろう。
なんといってもプログラムのバグを手直しするためにBasic言語では、どのような構造でプログラミングされているのか、かなり理解できたこと。
そしてもうひとつは、キーボードの操作に慣れることができたということだった。

災い転じて福となる。

この雑誌に掲載されていたBASICプログラムには、さらに2つのメリットがあった。

ひとつは7色しか表示できない色を16かける16ドットの中で組み合わし、パターン化して肉眼では別の色に見える、別色作成機能があったことだ。
世の中、考える人がいるものだとつくづく思った。
複数に色をドットごとに指定してやることによってそれこそ、かなりの色のヴァリエーションをそろえることができたのであった。

そしてもう一つは、三次元のワイヤーフレーム映像を作成するプログラムが掲載されていたことだった。
これが最も大きな収穫だったといえるだろう。

掲載されてプログラムは立方体や四角錐などの簡単な図形を立体的に描くプログラムで、三角関数などを用いて遠近感を与えながらパースを描くのであった。
ただ基礎的な3DCGプログラムであったため、隠線消去やポリゴン、レンダリングの機能はなく、本来なら見えないはずの裏側の線まで見えるという玩具のようなプログラムなのだった。
しかし、このプログラムで私のイマジネーションは大きく膨れ上がったのであった。

パースを描くための座標プログラムを作成するため、私はペイントソフトの座標入力プログラムを改造し、X点、Y点に加えてZ点を入力できるようにした。
側面、正面、平面の図はいちいち切り替え再描画させる必要があったが、かなり複雑な形状もプログラムできた。
どう複雑なのかというと、かの有名なボブ・エイブルの「シカゴ」を彷彿とさせる街のワイヤーフレームを描くことができるようになった。

ただし画面が640×200ドットの大画面であったため、斜めの線はジャギーがめちゃくちゃ目立つ、それはそれはぎこちないパース図なのであったが、格好だけは付いていたのだ。

私は2年生の時の学内コンクールで、このCGプログラムを使用したアニメーションを出展しようと考えた。

コンクールは学生が作る広告映像というコンセプトで、できるだけ市販の製品ではなく公共性の高いものを取りあげ、それを自分のイマジネーションで映像化するという内容であった。
当時、大阪では関西国際空港が泉州沖の大阪湾に建設されるのが決まったばかりだった。
私はさっそく将来自分が利用することになるかもしれない、この関西国際空港をワイヤーフレームで作成し、その滑走路に着陸する映像を作ろうと考えたのだった。

私は関西空港の計画略図をもとにデータ作成を開始した。
さらに始点のカメラ位置と終点のカメラ位置を入力し、その間を何コマの絵を作るのか数値を入力すると、自動的に一コマ一コマワイヤーフレームを作成するようにプログラムをさらに改造。
しらずしらずのうちにキーフレームを設定すると間のコマを生成してしまうという、現代のCGアニメの基本を幼稚なプログラムながら作成していたのだった。

関西空港を描くための座標点は確か全部で500ポイントを超えたと記憶する。
500ポイント程度で済んだのはプログラムがちゃちであったことと、ターミナルビルがとってもみすぼらしい建物になってしまっていたからであった。
ご存知の方もいらっしゃるかも知れないが、関西空港の現在のターミナルは建設途中で予算が削られた関係で計画よりも大幅に小さなものになっている。
しかし、小さくなっても単体の空港ターミナルビルとしては世界で最も大きく、全長2000メートルの姿は対岸の大阪府からは翼を広げた超巨大な鳥のように見えるほど壮観である。
ところが私のCGアニメ処女作の関空のターミナルビルは、まるで田舎の駅舎。
ひいき目に見ても、凝った給水塔のようなチャチな建物なのであった。

つづく

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