<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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X68000は本格的なCGを製作することができる初めてのパソコンであった。
当時、圧倒的なシェアを誇っていたPC-98シリーズもグラフィック機能というカテゴリーの中ではとてもX68000の敵ではなかった。
約65000色の表示能力と512×512ドットの表示画面、スプライト機能など。
それまで7色程度しか表示できなかったX1や他の機種と比べても各段の違いで、まさに実用に耐えうるワークステーションなのであった。

その本格的なCGを作成するにはかなりのトレーニングと追加費用が必要になることは後ほど知ることになった。

ともかく、X1購入時には金欠でプリンタを購入できなかった私も、今回はきっちりとカラープリンタを購入した。
インクジェットプリンタはまだこの世にないので感熱式のプリンタだった。
また、テレビ画像を取り込んだり、パソコンの映像を書き出したりすることのできるイメージユニットも購入した。
前回初めてパソコンを購入したときのように本体とモニターで満足しなければならない、ということはなかった。

本体があればソフトも購入しなければならいだろう。
X1を購入した時は市販のソフトウェアが無かったので自分でBasic言語を使ってプログラムしたことは先述した通りだ。
今回も自分でプログラムを組むのはやぶさかではなかったが、X68000ともなると私のような素人にとって自分でプログラムを作成するにはあまりにも機能が高次元になりすぎていた。
いや、それよりもなによりも、まだ建築業界に勤めていたためプログラム作成などという悠長なことはできなかったのだ。
つまり暇がなかったのだ。

X68000と一緒に購入したのは以下の2本のソフトウェアだった。

Z'sSTAFF Pro68K
C-TRACE 68K

Z'sSTAFF Pro68KはX68000シリーズの標準的グラフィックソフトで、65000色をフルに使用し、様々な絵を描くことのできる優れものソフトだった。
今で言えば、アドビのPhotoshopとコーラルのPanterを足したようなペイント系のソフトだった。
マウスを使って自由に描画していくことのできる能力は快適で、画期的で、革命的でさえあった。
ビデオで取り込んだ映像も静止画ながらレタッチすることができた。

ちなみに販売価格も現在のソフト同様、革命的に高価なソフトなのであった。
たしか4万円以上はしたように記憶する。

そしてC-TRACEは雑誌Oh!Xに掲載されていたCGで作った恐竜の映像を使った広告に誘発されて購入した3DCGソフトウェアだった。
このC-TRACEの操作性はZ'sSTAFF 68Kとはまったく対照的だった。
それは悲惨なくらいの違いがあったのだ。

なんといっても使い方が複雑怪奇で、芸大出身の私としては、これほど絵を描くのに、その方法を根底から覆さなければならない事態に出会うとは、夢にも思わなかった。
なぜなら、このソフトで絵を描くというのは、絵筆でキュキュキュ、ササササと描くのとは違い、ほとんどプログラムを書くのと同じであったからだ。
X68000ではプログラム作成などする暇はなかったはずなのに。
絵を描くためにはプログラムを覚えなければならなかったのだ。

このため、このソフトを使いこなせるようになるために実に1年以上の期間と意外な出費が必要となった。

しかし、このC-TRACEを使いこなせるようになったことで、私のCG歴は新しい時代を迎えることになる。

C-TRACEの衝撃的体験は以下の通りだった。
初めてC-TRACEのフロッピーディスクをマシンに挿入して起動してみたが、何がなんだか分からない。
Z'sSTAFF 68Kの取扱説明書が家電製品のそれと同じように立派なものであったのに対して、C-TRACEの説明書はまるで会社で使ったコピー書類のファイルと言った趣だった。
つまり、がさつだったのだ。

「なんちゅう取説。1本1000円のソフトとちゃうぞ」
とさえ思った。

説明書には3DCGを描くためのプログラム用言語が記されており、それを見ただけで正直めまいがしてきたことを今も昨日のことのように覚えている。
多くのC-TRACE購入者はきっとこの最初の段階で広告にあった恐竜の絵のようなCGを描くことを断念していたことだと思う。
私の場合は、
「しばらくして、暇になったらゆっくり覚えよお〜っと」
と自分自身をごまかして、高い金を出してC-TRACEを購入したことを不問にしようとしたのだった。

今でも多くの場合そうだが、当時の3DCGは立方体だとか球体、円すいなどといった決まった形の物体を組み合わせて造形するのが一般的なモデリング方法だった。
これはメモリ制限が大きく、処理速度がめちゃノロイ当時のパソコンにはぴったりの造形方法だった。
現在のようにCADからデータを持ってきてそれで面を生成したり、スムースにしたり、変形させたり、色をつけたりする、ということはコンピュータの処理能力からいって不可能なのであった。

この基本的な立体はプリミティブと呼ばれ、これらをいかに上手に使うかで作品の質が決まることがわかった。
しかし、問題はその組み合わせではなかった。
組み合わせをして、作品のモデルデータを作った後の工程が最も問題になるのだった。
どういうことかと言うと、レンダリングに途方もない時間がかかることが分かったのであった。

C-TRACEの広告に載っていた恐竜の映像は、特性のスーパーコンピュータによって演算されたものらしかいことがわかったのだ。
なぜなら、試しに描こうとした球体一個だけのレンダリングに、なんと1時間以上もかかってしまったからなのであった。

コンピュータグラフィックス。
それは途方もないメモリが必要で、その膨大なデータを処理するためにはめちゃくちゃ早いパソコンが、いやスパコンが必要なのであった。

X68000での新しい私のCG環境は大きな危機を迎えることになった。

つづく

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