<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地





昔大ヒットした電子玩具「たまごっち」を大量に売って巨大な利益を得たバンダイは、まだまだ儲けようと思って増産したところ売れ行きがピタッと止まった。このため利益を出すはずが大量の在庫を抱えることになり大きな損を出したのだという。
ホントかどうかはわかない。
あくまでも噂の範囲だが、その情報を入手したのが確か私が学生時代にアルバイトをしていた玩具店だったので間違いのないと私は勝手に思っている。

このようにブームになったからと作り過ぎやブームの終息時期を誤って商売に失敗したという話は結構耳にする。
昨年社会現象になるくらい世界的に大ヒットした「ポケモンGO」は今やプレイしている人の姿を見かけるのは稀である。
もしポケモンGOがアプリではなくてリアルな製品であったら、製造元のソフト会社は大損こいていた可能性があり、一過性のブームは恐ろしいものだとつくづく思った。

ブームに翻弄されて儲けをふいにしてしまうという現象がある一方、確固たるビジネスモデルがちょっとした新技術やサービスの登場で急激な危機に陥ってしまうという例も少なくない。
伝統と歴史を持った大企業とて同じである。

その代表的な例がもしかするとコダック社かも知れない。

コダック社は写真用フィルムの世界的大御所で第二位の富士フィルムを大きく引き離しプロからアマまでその品質は世界中の写真家を魅了していた。
私が芸大の学生時代、写真実習の先生は、
「富士で撮った写真は発色が良くないので、認めません」
と断言したぐらいだった。
素人にプロの毛の生えたような学生だった私は、
「そこまで言わんでもええんちゃうの。品質、そんなにわからへんし」
と思ったものだ。
でも目が肥えてくると確かにコダックの方が発色や質感が勝っていると思えるようになった。
もしかすると暗示だったのかも知れないが、今もそう思っているのだ。

そのコダック社がまさか倒産してしまうとは誰が予想したであろうか。
フィルムの要らないデジタル写真の登場は、コダックを死に追いやるに十分なインパクトを備えていたのだった。

フィルムに固執しすぎて倒産したコダックとは全く反対の政策をとったのが第二位の富士フィルム。
ここはフィルム事業を応用して化粧品を始めた。
フィルム屋さんが化粧品?
だれもがそう思った。
でもそれはほんの1つに過ぎなかった。
液晶テレビのフィルムも始めた。
いろんなことを始めたので、今や本業の写真用フィルムの売上は全体の2%程度しかないという。
その結果、今や世界的な総合化学メーカーへと生まれ変わり次は何を繰り出してくるのか注目される企業になっている。

そういう事例をかき集め、分析し、解説しているのが「ビッグバンイノベーション」(ダイヤモンド社)だ。

数年前に読んで感心した「キャズム」なんて世界はすでにない。
マニアックを好む初期購買者だけが製品に注目し、次の前期購買層に至るまでには「谷間がある」なんてことがもう無いという。
現代の商品のヒットは瞬間的な爆発であり、その急激な売上上昇時にすでに企業は勇気ある撤退と併せて次の一手を用意しておかなければならないという。
それをグラフにするとサメの背びれににている。
それほど市場は大きく変化しているという。

先日、大手自動車メーカーのデザイナーの話を聞く機会があったのだが、
「販売した車の評判を気にしますか?」
との質問に、
「新車は販売したあくる日には売れるのか売れないのかがもうはっきりします。考えながら待つなんて時間はありませんよ。」
と答えた。
なんと新車の発売は発売した翌日ですでに決着はついていて、その後はその流れの通りになるという。
ネット社会の俊足性というか、仕組みというか、実に驚きだ。

物事には流行り廃りがある、というもののその時間はあまりに短く、そして儚い。

読んでいると空恐ろしくなってくる一冊なのであった。

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話題は昨日の続きのような一冊を紹介。

大澤昭彦著「高層建築物の世界史」(講談社現代新書)。

先々月。
休暇のごとく入院していた時に病院で大量に読んだ書籍の一冊がこれ。
古代ギリシャ時代から現代までの高層建築を扱った新書だ。

来月から大阪の国立国際美術館で「バビルの塔展」が始まることもあり、かなり気になっての一冊だった。

そもそも高層建築はいつごろから実際に出現したのか。
私は以前から大いに気になっていた課題なのだが、実際に自分で調べてみるところまでには至らず、今回のこの書物はその欲求を十分に満たしてくれる内容で溢れていた。
例えば最初に衝撃を受けたのはギリシャ時代のアテネの住宅は3〜4階建てのアパートメントだったということだった。

紀元前のあの時代に人々はすでに木造ではあるがアパートに住んでいたという。
この事実は同じ頃、吉野ヶ里遺跡で観られるような掘っ立て小屋のような家に住んでいた日本人と比較すると大いに驚くところなのだ。
また、灯台や教会のようなランドマークになる建物は当時から高さ50メートル級の高さがあり、構造計算なんのそので勇気ある建築家たちが様々な巨大建築を生み出していたことは建築テクノロジーの歴史認識を改めさせるものでもあった。

高層建築といえば幾つかの思い出がある。
まず、小学生だったか中学生だったかの国語の授業で霞が関ビルの建設を扱った話が教科書に載っていたことがある。
地震大国日本でどうやってあのような高層ビルの建築が可能になったのか。
五重塔の耐震性なども併せて解説されるその内容は、メカやテクニカルなものが大好きな私の心をぎゅっと掴んで今も記憶に刻み込まれている。
その後、多くの高層ビルが出現し今ではその霞が関ビルも高層ビルと呼んで良いのかどうか迷うような平凡なビルになってしまった。
周りには霞が関ビルを遥かに超える超高層ビルが立ち並び、どれが霞が関ビルなのか近くに寄ってみないと見つからないぐらい平凡だ。

国家や文化によって高層建築に対するこだわりがあるのかどうかも興味深いところだった。
昨日、深刻な住宅火災が発生したイギリスを始めとする欧州は高層建築に対するこだわりが小さいという。
とりわけ都心部は既存の景観を汚したくないために高層建築には強い規制を掛けている。
歴史とともに歩んできた景観を、簡単に破壊することは認められないという考え方だ。

それと対象的なのは中国。
今や高層ビルが最も多く建設されている国が中国だそうだが、ここは高さを競うこと金に貪欲なこととほぼイコールであり、高けりゃ歴史的景観などどうでもよく街のスカイラインを大きく変化させている。

二つ目の思い出は、他のブログ記事にも描いたことがあるがシカゴのシーアーズタワーに登った同僚が超高所恐怖症であったことだ。
エレベターでスカイデッキなる展望台へ上ると、彼は壁に背中を貼り付けたまま、

「窓に近寄ったら危ないですよ。危険です。わ〜〜〜高か〜〜〜〜」

と一向に素晴らしいシカゴの景観を見ようとしないのであった。

私も高所恐怖症ではあるが高いビルに上ることと、ヒコーキに乗ることは大好きな高所恐怖症持ちなのである。

シカゴのシーアーズタワーに上ること二ヶ月前。
私は台北にある当時世界一の高さだった「台北21」の展望デッキへ上がって日本人と台湾人による素晴らしきコラボレーションを思いきり堪能したところだった。
台北21から北方向をみると松山空港に着陸する飛行機が遥か下方向を飛んでいるのに目が釘付けになったものだ。

というように高層建築は実に面白いのだ。

エンパイヤステートビルは開業当時借りてがおらず8割がた空き部屋だったことや、9.11で倒壊したWTCのツインタワーを設計した日系人の建築士ミノル・ヤマサキの設計した建物は、ついタワーに限らず結構破壊される運命を辿っていることなど技術や歴史だけではなく、そのサイドスートリーのようなものも紹介されていて面白い。
本書は新書でもあり、内容は高層建築の歴史のDigestみたいなところがあったものの、知らないことがゴマンと詰まっていて読み応え十分なのであった。


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宮﨑駿が監督したNHKのアニメ番組「未来少年コナン」に登場するジムシーは豚のことを「うまそう」と呼んでいた。
当時中学生だった私は「ヘレカツ」は美味しそうに見えるのだが、どう考えても「生の豚肉」はもちろん「豚」そのものを見て、それを美味しとは思えなかった。
どちらかというと生きている動物は豚だけでなく、それが牛であっても、鶏であっても美味しそうと思ったことはなかった。
従ってジムシーのセリフはアニメの世界だけのものだと思っていたのだ。

やがて社会人になって結婚をして子供を連れて大阪天保山の海遊館に行った時に水槽の中を元気に泳いでる「鯵」の群れを見て初めて「美味しそう」と思った。それが初めて生きている動物を見て美味そうと感じた経験なのであった。
しかし未だ「あんこう」や「なまこ」「タコ」の類を見て「美味そう」と思えたことはない。

内澤旬子著「世界屠畜紀行」(角川文庫)で著者はジムシーのように生きている豚や牛を「美味そう」と言っていた。
ジムシーのセリフはアニメだけのものではなかったのだ。
本書は生きている牛や豚を見て「おいしそう」と言える著者が日本、韓国、アメリカ、モンゴルなど世界の幾つかの国々の屠畜を取材し、その仕事に従事する人々やそれを取り巻く社会、そして方法、考え方などを著した紀行ものだ。
本業はイラストレーターらしく、わかりやすいイラストが添えられている。

この本を初めて見た数年前、
「これは凄いことを書籍にしたものだ」
と感じてすぐにも読まなければ、と思った。
でもすぐに買わなかったのはそこそこ値段が高かったことと、他に買わなければならない本があったためで今回やっと文庫を見つけて読むに至ったのだ。

そもそも屠畜という業務そのものが日本人には馴染みが薄い。しかもそれを生業にする人たちを差別してしまう闇の文化がある。
このため一般の人が「屠畜」から「加工」に至るプロセスを見たり聴いたりすることは稀である。
今、一般的には食肉がスーパーに並んでいる時はの姿は存在しない。
ただそこには「商品」があるのみ。
綺麗にカットされパックに詰められフィルムでラッピングされている。従ってそれが生き物であったことを連想させるものが無い。
肉だけではない。
魚も切り身で売っているので元はどのような形の魚なのか知る由もない。

このような状態は人間の食に対する基本的意味を失わさせるのに十分な役割を担っているわけで、本書で度々謳っている、
「すべての生き物は他の生き物の生命を頂戴しなければ生きていくことができない。」
ということを知らず知らずに忘れてしまっているのだ。
そういう意味で、屠畜は立派な職業であり、職人技とも言えるその技術はいずれの国の場合でも他の職業同様尊敬すべきものなのだ。
技術も驚きだったが、我々は牛や豚の生命を頂いて生きながらえているということを思い起こさせてくれるという意味でなかなか類を見ない良書なのであった。


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結婚するまで私の朝食は100%和食だった。
白ご飯、味噌汁、めざし、漬物、味付け海苔、といったところが標準メニューでこれにフリカケがプラスされたり生卵をご飯にかけたりしていただいたものだ。
というのも両親が昭和一桁世代であり、とりわけ大阪生まれの大阪育ちの母と違って岡山県の片田舎で育った父はパン食を嫌がるどころか拒否したからだった。

そんなこともあってカミさんを貰ってから変わったのが朝の食生活。
和洋半分半分で、始めの頃はパン食に私もかなり違和感を持ったものだった。
「パンはおやつや」
との私の主張に、
「誰が決めたん」
とカミさん。
カミさん一家は義父の仕事の関係で一時期兵庫県芦屋市内に住んでいたことがある。
芦屋や神戸は美味いパン屋が多い上に、もともとパン食の盛んな地域だ。
それにカミさん自身も若い頃フランスの大学に留学していたこともあってパン食は標準に近いものだったのだ。

そもそも関西はパン食が盛んだということは今回NHK新書「なぜ日本のフランスパンは世界一になったのか」(阿古真理著)を読む以前から聞き知っていた。
それがなぜなのか、実はよくわからなかった。
新しもの好きの関西人の気質に合致したのか、はたまた本書に記されていたように関西の朝ごはんは手間をかけないからなのか。
今回これらの漠然とした原因が正確かどうかは判断しかねる部分がないこともないが、ある程度知ることができたのは収穫であった。

それにしても日本のパン文化は確かに凄いかも知れない。
私はヨーロッパには行ったことが無いのだが、フランスで10年余りを過ごしたカミさんによるとパリにあるパン屋さんでも日本のパン屋さんほどバリエーションはないのだという。
品種も5種類くらいで販売もケースに入ったものを、
「これちょうだい」
と言う具合にして包んで出してもらう形式だそうだ。
日本のようにセルフサービスでバゲット、食パン、アンパン、クリームパン、サンドイッチ、ホットドック、ケーキ、デニッシュ、その他様々と無数なバリエーションでお客さんを待ち構える店はまず見ない。
そういうことを聞くと、日本に来たフランス人が日本のパン屋の種類と味に感激するのは分からないでもないのだ。
私は東南アジアを旅するのが趣味なのだが、現地で美味しいパンに出会うことはまずない。
強いて挙げると日本人の感覚としてまともな味なのはベトナムのパンぐらいではないかと思っている。
多分それはフランス植民地としての歴史が長かったことに理由があるのかも知れない。
またタイのファミマやセブンイレブンなどのコンビニへ行くとヤマザキパンの製品が普通に販売されているが、これらとて日本のもののような感覚は薄いような気がする。
アンパンを買ったら餡が緑色をしていたのでビックリしたことがあった。

パンは発酵食品の一種でもあり、生産管理が難しい部分がある。
材料の小麦の品質も重要だ。
こういうこだわりを必要とするものは日本人の凝り性にもしかすると合っていたのか。
なんでも凝ってしまい自分のものにしてしまう日本独特の文化の賜物。
それの一つがパン文化なのかもしれないと思いながら読んだ一冊なのであった。

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歴史に大きな転換点が訪れると新しい歴史や文化を肯定するために、それ以前の歴史を全否定しようという習慣が人間にはあるらしい。
例えば歴史教育の中の明治維新。
維新以前の江戸時代は封建時代で自由がなく、民衆は士農工商に差別化され婚姻の自由さえ無かった。
「へー、江戸時代は大変だったんだ。テレビの時代劇は嘘ばっかり」
という具合に1970年代の純真な中学生だった私は大人が教えることを鵜呑みにして江戸時代=暗黒時代と記憶していた。
ところが、テレビの時代劇に嘘っぱちが多いのは致し方がないとして、江戸時代が暗黒時代というのは全くのデタラメであった。それは年齢を重ねるごとにより明確になってきた。
江戸時代。
経済体制は資本主義だ。
この点、今とほとんど変わらない。しかも当時の諸外国と比較しても日本の経済システムはその先端を走っていた。株式、先物、為替制度に至っては、ほとんどすべて他の欧州の先進国と比べても先を行っていた。
身分制度もきついことはきついが歴史の授業で習ったほどガチガチではなかった。
例えば商人が武士になることも少なくなかった。
日本地図を作成した伊能忠敬、米国へ行って帰ってきた元漂流者のジョン万次郎、実家が商家の坂本龍馬。などなど。
意外に柔軟性に富んでいた。
さらに進んでいたのはマスメディア。
かわら版を代表とする当時のメディアは言論統制どこ吹く風。
公儀の監視を尻目に、あの手この手でスキャンダルや政治向きのことを伝えた。
しかも当時から世界的に最も低かった文盲率もあいまって一般平民の子供までかわら版が読めてしまう恐るべき日本なのであった。

そういう意味では第二次世界大戦も同じ。
自由もなければ食べ物も無い。
若い世代は無理やり戦争に駆り出され「国のために、天皇のために」と嘘を言わされ特攻隊に駆り出された。
こういう情報を聞かされた純粋無垢な中学生であればうっかり信じてしまわないとも限らない。
大変な嘘っぱちなのだ。
山本夏彦が「おーい、誰か戦前の東京を知らないか?」の中に書いていたが、例えば食糧事情が極めて悪くなったのは終戦のたったの半年前ぐらいからで、それまでは普通に外食や食べ物があったという。
この証言は偶然にも昭和2年生まれの私の伯父の証言と合致していて、
「戦争中でも堺ではアイスクリームも売っとったし、宿院の○○というお店も普通に営業しとったぞ。」
「へー」
ということで驚くこと仕切り。
学校で教わった暗黒時代は嘘っぱちであることがよくわかった。
ちなみに昭和6年生まれの父は予てから現代の歴史教育は「嘘っぱちだ」と主張していて、「わしも中学生の時は本気でお国のために少年飛行兵になろうとした」と主張していた。
得てして、これは当時の正常な若者の考え方であることを幾つかの書籍で知ることになった。
今回紹介のこの本もしかりだ。

「零戦、かく戦えり!搭乗員たちの証言集」(文春文庫)はまさしく、あの時代を生きた人たちの貴重でリアルな証言集だ。
もちろん現在にはびこる反戦主義と革新思想に染まった歴史教育を一掃してしまいそうなほど核心を捉えた感動の一冊であったことは言うまでもない。
あの時代を生きた当時の若者達はどのように考え、どのように自分の生涯を全うしようとしたのか。
今の時代を生きる私達からは容易に想像することはできない。
当時の生きることへの意味付けは、死と隣り合わせだったからこそ深く、そして力強いのだ。
今や戦争を知る世代は80才を越えた。
私の父でさえ86才だ。
戦争へパイロットとして出生した経験を持つ人は、さらにその上の年令である。
大ヒットした「永遠の零」にしろ、他の著作にしろ、戦後世代が戦争を経験した人から聞き書きして創作した世界である。
本書で語られる一遍一遍は実際にそこを生きた人たちの体験であり、非常に貴重だ。

急げ!本当のことを聴けるのは今しかない。
そういう想いを抱きながら過ぎ去りゆく時の流れに一種の焦りを感じる。
しかしあの人達がいたからこそ今の日本があるのだという感謝の気持ちで読むことのできる重いけれども感動の一冊なのであった。


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明けましておめでとうございます。
本年もこのブログ「宇宙エンタメ前哨基地」をよろしくお願い致します。

さて、今年も初詣に出かけてきた。
お参りに訪れたのは南海電車高野線堺東駅近くにある方違神社。
この神社は毎年参拝している神さんである。
ちなみに関西、とりわけ京都、大阪では神様のことを神さんという。
結婚式もこの神社で挙げているので、親しみのあることでもある。

この方違神社は現在本殿が新築中で今年の初詣は工事中の仮設壁に向かってお参りする無粋な新年になってしまったのであった。
とはいえ、方違さんと地元では呼んでいるこの神社は創建2100年になるという。
従って過去にお参りした人も著名人が多く、例えば空海は遣唐使として出発する時に旅の安全を願いここに参詣。
その他、平清盛、徳川家康などのも参詣したとの記録があり、恐れ多くも賢くも仁徳天皇もご参詣されたという神社なのだ。
今回の本殿建て替えはそれを記念したイベントであって使われる建材には伊勢神宮の遷宮で出たものを使うという。
まあ、さすが堺でも最も歴史の長い神社の本殿建て替えにふさわしいものと言えるだろう。

ところで年末京都で開催した大学時代の友人たちとの忘年会でオモシロイ話が出てきた。
「京都も観光客が多くて。どこもかしこも拝観料で儲けているけど、それはお寺さんの話。神社で拝観料取っているところは無いな」
というものであった。
確かに、全国各地津津浦浦。
お寺へ行くと「拝観料」の名目で「入場料」が徴収されることがほとんど。
安いところで200円程度から高いところで1000円ぐらいは徴収される。
で、何があるかというと「綺麗な庭が見るられる」「素晴らしい屏風が観られる」「古い建築物が観られる」「国宝の仏像が拝める」というもので、なぜ仏教の最も重要な要素である「ありがたい仏僧のお話が聴ける」というのは皆無だ。
ともかく坊主丸儲けの世界がここにもあった。

そこへいくと神社で拝観料をとるところにお目にかかったことがない。
伊勢神宮しかり、靖国神社しかり、先の方違さんしかりなのである。

これは外資系(仏教)と日系(神道)の違いなのかどうかは定かではない。
なぜなら同じ外資系でもキリスト教は教会に入るのに料金の徴収はないからなのだ。
恐らくこれは日本の仏教がそれだけ俗っぽくなってしまっている一つの証拠なのだろう。

神社というのは日本固有の宗教ないしは哲学を体現している場所であって、その根幹を成すものは一体何なのか。
そのことを普段は全く考えておらず、その機会もあまりなかった。
たまたま読むことになった上田篤著「鎮守の森の物語」を読んで感じたのは神社というものは日本人のコミュニティの中心であるばかりではなく、日本人特有の自然と人との関わりを奥深くまで考え感じ取るための重要な場であるということであった。

日本列島は世界でも稀に見ぬ森林に覆われた土地であることは知っているようであまり知らない。
日本の森林の割合は7割。
そこには人の寿命を遥かに超える生命の物語が存在し、かつ水を始めとする人の生活に欠かせない様々な恵みを提供してくれるエネルギーが蓄積されている。
ここ100年間ほどに進んだ国土開発はそういう豊かな大地を破壊し、多くの災害を生み出した。
ところが度重なる震災が多くの日本人に本来の自分たちを見直すきっかけをもたらした。
とりわけ日本人が見せた海外とは明らかに異なる自然に対する対応力と意地、さらには共存するための知恵と工夫は神社を中心とする社会形成がなぜ2000年以上も以前から続き、根付いているのかを改めて考えさせるものとなっている。

神社は必ず自然の森または太陽を伴っていて、それは日本人の自然と人との関わりに関する哲学の根幹を成しているものである。
確かに言われてみればそうだといえる。
方違さんを毎年訪れていて鈍感な私は気づかなかったのだが、たまたま本殿建て替えで賽銭箱の向こう側が工事の壁になっていて、その向こうに工事中の土地があったのだは、さらにその向こう側からは太陽が昇りつつあったのだ。
そう、方違さんの拝礼の方向は明らかに旭日の方向なのであった。
気づかないうちに太陽を拝んでいたというわけだ。

堺ではもう一つ参拝する神社で百舌鳥八幡宮という祭で有名なお宮さんがある。
ここは樹齢800年の天然クスノキの大木がある。
そして他の多くの木々ともに地域の中心としての場であり続けているのだ。
まさに鎮守の森がそこにあったというわけだ。

「鎮守の森の物語」では若狭湾を取り囲む各地域の山と森と人と神社の繋がりに関する調査が記されていた。
こういうことを読まなければ決して気づかなかった灯台下暗し的な自分の文化に気づく。
そういう機会を与えてくれた素敵な一冊なのであった。

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沢木耕太郎の「深夜特急」を読み返している。
4回目の読み返しだ。
私は同じ本を何度も読むという習慣があまりないのだが、司馬遼太郎の「坂の上の雲」「竜馬がゆく」とこの「深夜特急」は読み返してしまう数少ない作品のひとつなのだ。

仕事やプライベートでストレスがたまると、10年ほど前までは旅にでることにしていた。
時間と予算が充分に確保されないところは西日本を中心とした国内旅行だったが、時間と予算が許せば海外へ飛び出た。
海外といっても東南アジアばかりだったか、木曜日、金曜日と有給休暇を取れば土日と併せて4連休が取れるので、日曜深夜に現地を出発する深夜便で日本へ変えてっくると4日を殆どいっぱい楽しめることが出来たのだ。

海外を旅すると日本という拘束がなくなる。
私の旅はほとんどの場合一人旅。
回を重ねるごとに現地でも日本人に会いにくい場所を選んで旅をするようになった。
だから渡航先はミャンマーが多くなったのかもしれない。
民主化前のミャンマーは現地を訪れる日本人は年間数万人しかいなかった。
だからタイのバンコクのように、どこに行っても日本人ばかりということは殆ど無い。
さらにミャンマーの地方の街へ行くと、ほとんど日本人に会わない。
日本の雰囲気をほとんど感ずることがなくなるのでストレスがなくなんとも心地よい。
ミャウーという街へ行ったときは日本人だけではなく他の外国人もほとんどいなかった。
なんといっても私以外は国連のスタッフ数名のみ。
大いに感動したものであった。

このように全く違った世界を短期間ながらも旅をすれことは非常に重要だ。
なにより心をリセットすることができる。
リセットすると日常をより冷静に過ごすことが可能になるのだ。
本を読んだり、未知の食べ物を体験したり、喧騒や静寂を感じる。
そして何よりも全く違った文化の中から自分の文化を俯瞰的に見ることができるのが旅の楽しみであり醍醐味である。

沢木耕太郎の「深夜特急」は私自身が旅に出られないときの代用旅行とも言えるもので、筆者と一緒にユーラシアを香港、マカオ、バンコク、シンガポール、カルカッタ、カトマンズと旅することで心のリセットをすることができる。
とっても大切な紀行ということができる。
今回は先月から続く仕事とプライベートのストレスをどうしても癒やしたくて第一巻から読み始めた。
内容はかなり記憶に残っているのだが、やはり読み始めると毎回新鮮で今まで気づかなかった「何か」を発見することになる。

第三巻を読み終わりやっと私たちはデリーに到着した。
「深夜特急」文庫版全六巻のうち三巻目でやっとスタート地点に到着。
これからバスでロンドンに向かうのだ。



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農業の世界に変革が訪れている。
正確には農業だけではなく漁業、林業、畜産を含めた1次産業に大きな変化の波が訪れているのだ。

私が生まれた昭和30年代終盤から40年代初めの頃は東北地方や九州地方からの集団就職がやっと終了した時期だった。
農村部の人口が過剰ぎみで都市部では労働者を求めていた。
また農村部の現金収入と都市部の現金収入に開きがあり、地方の若者が都市にあこがれている時代でもあった。
だからかどうか知らないが、私のように大阪に住んでいる子供からすると農業は苦しい、しんどい、収入が低い、格好が悪い、などのイメージが植え付けられ、畢竟農業は将来目指したい職業ではなくなってしまっていたのだった。

私は父が岡山県の農村部出身だったこともあり、小学生高学年まで頻繁にその岡山の祖父母の家を訪れていた。
従って、大阪堺の都心部で生まれ育ったにも関わらず、春は田植え、秋は稲刈りを手伝わさせられる経験をしており、他の人よりもさらに「ううう〜、めんどくさい仕事や」と思うようになっていた。
尤も、小学校も高学年になると稲刈りも田植えも機械化されており手伝うことはほとんどなくなっていた。
鎌を手にしてザクザクと稲の穂を刈るなんてことはなくなってしまい、今思い出す度に非常に寂しく感じられる光景である。
今もミャンマーやタイの農村部へ行くと村中総出で手作業の稲刈りや田植えをしている風景を見るにつけ、昔の日本のようで懐かしさを感じるのは多分私だけではないだろう。

そういう農業のイメージが一新されようとしている。
農業にICT技術が応用され始めてすでに20年以上が経過し、それを研究・開発してきたNTTや日立といった企業を中心に多くのノウハウが蓄積されてきている。
あのグーグルやアップルでさえも日本での農業ICTへの研究に参入しているのだ。
従来はベテラン農家の経験と感が頼りだった農産物の育成についてもITがそれを補えるレベルまで達しようとしている。
また施設園芸の技術も上がっている。
水耕栽培やそれに類する技術は安定した栽培を可能にしキノコ類に至っては工場生産が主流になり、台風が来ようが日照りが続こうがスーパーマーケットでの販売価格はほとんど変動しない。

近い将来ほうれん草やレタス、ネギといった軟弱野菜もきっと同じように安定した価格になるのかもしれない。

さらに農業の動きとして6次産業化を忘れてはいけない。
これは生産(1次産業)するたでけではなく、加工(2次産業)し、販売提供(3次産業)までをすべて農業側がやってしまおうというビジネス形態なのだ。
野菜を作ればそれを漬物にしたり、チップに加工したり、サラダにしたりして販売する。
そうすることによって生野菜で得る5倍の利益を確保できるように計画することも可能になる。
農業は格好悪いどころか、多くの可能性を秘めた新産業に変わろうとしているのだ。

金丸弘美著「里山産業論 食の戦略が六次産業を越える」(角川新書)は日本国内で起こっている農業を中心とした産業およびビジネスの変化を紹介した良質の参考書なのであった。
町おこしと1次産業の関わりを中心に海外の事例や、近年やっと生まれてきている日本の事例などが具体的に記されていてビジネスだけではなく新しい社会の動きとして知ることができるのがかなり魅力だった。
しかも具体的な活動として例えば五感を使ったワークショップなどが取り上げられており、実用書としも使えそうな雰囲気だ。
里山と言う言葉に注目が集まり始めて結構な時間が経過する。
その里山で生産される様々な産物が日本が直面している社会問題の幾つかの解決への指標になるようにも思える。

それにしても他分野の産業も融合した農業の魅力は絶大だ。
正直、本書に書かれているようなことがもっと広がり強化されると議論を呼んでいるTPPは否定すべきものではなく、うまく活用すべき国際的な取り決めではないかとも思えてくる。
日本の食の問題はかなり楽観してもいいのではないかと思えてくるのは私だけではないかも知れない。



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その昔。
といってもそんな昔ではなく20年ほど前。
20年といえば充分に昔か....。
ともかくオフィスで一人ひとりにPCが配布され始めた頃。
「オフィスから紙がなくなる」
という説が広まった。
文書は電子データと化してコピー用紙や帳票用紙が不要になる。
オフィスから書架やキャビネットが消滅し、すべてPCの画面が書類の代用してスッキリするに違いないと。
で、現在。
オフィスから紙は駆逐されず、むしろより多くの用紙を使いまくっているところが少なくない。
これは一体何なのか?

話は変わる。
先月だったか先々月だったか、アメリカで実証実験が行われている自動車の自動運転で初めての死亡事故が発生した。
次世代の自動車販売の重要な技術要素である「自動運転」関連のニュースだっただけに記事のインパクトは小さくなかった。
読んだ私もその原因に興味を誘われたが、読んだ自動車メーカーはショックがもっと大きかったのか、その後関連記事は新聞でほとんど報道されることがなかった。
次世代の錬金技術にケチがつくのを恐れた関係者が報道を押さえ込んだんではないかと、なんとなく想像してしまうのは私だけだろうか。

そもそも車を完全自動運転することはかなりの無理があるのではないか、と私は考えている。
道路を走っていると想定外のことが起こることは想定済み。
それをコンピュータ頭脳だけで処理するにはあまりに貧弱だ。

この自動車自動運転の技術の骨格はAI技術。
人工知能と呼ばれている分野だ。

人工知能が発達すると自動車や電車の運転手は職を失う。
さらに経理や財務に従事する人も不要になる。
多くの分野でAIが職務をこなすようになるため、それに応じただけの人数が職を失うことになるという。
なんという暗い未来なのか。
これではまるでB級SF映画の世界じゃないか、と思っていたら、その説を根底から覆す書籍に出会ったのだ。

それが西垣通著「ビッグデータと人工知能 可能性と罠を見極める」(中公新書)だ。

それによるとAIは大きなデータを扱い分類したり検索するには向いているが、決して人の代わりなどにならないというのだ。
AIがチェスで名人を負かせても、それはチェスのアルゴリズムの中だけの話であり、チェスの強いAIに自動運転ができるかというと全くできない。
つまりチェスのような指し手を短時間で分析して次の一手に進むようなデータ処理による分析機能ではAIは非常に優秀だけども、自動運転のような予測不可能なことまで対応することなど到底できないという。

なぜならAIは「決断することができない」から。

考えてみればAIが果たして人間と同じ「意識」を持ち「考え」「創造あるいは想像して」、「歴史」や「文化」にも配慮して「倫理的な判断」を下すのは極めて困難と思われるからだ。
AIとて単なる高度なカラクリに違いないのだ。
従ってAIが裁判官になることもないし、警察官になることもない、複雑な地形をオフロードするドライバーにもなりえないし、政治家、デザイナー、教師にもなりえないのだ。

AIにおける「人間の失職」はOAによる「オフィスの紙の消滅」と非常に類似していることに気付かされた一冊なのであった。

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「結末はどんどんひとに喋ってください」

というキャッチコピーで公開されたのは映画「ファール・プレイ」。
1978年製作で監督がコリン・ヒギンズ、主演はゴールディ・ホーンとチェビー・チェイスだった。

テレビのCMで流されたそのキャッチコピーにキャッチされた高校生だった私は公開初日に今はなき梅田東映劇場に足を運びこの映画を鑑賞した。
それほど話題性もなく、この年が空前のSFブームで同じ時期にスピルバーグの「未知との遭遇」が大ヒットしていたにも関わらず、この地味っぽい映画の客席はほぼ満席。
CMのキャッチがかなりの効果を出した映画だったのでのではなかったのかと今になって思い出すのだ。
映画そのものはヒッチコックのサスペンステイストを持った秀逸なコメディで、以後私は現在に至るまで映画はコメディが最もお気に入りのジャンルである。

ところで「結末を人にしゃべる」というのは「口コミ」を広めることであることは今でならよく分かる。
インターネットの無かった1978年。口コミをどうやってマーケティングに利用するのか。
多くのクリエイターやマーケターは頭を悩ましたことだろう。
本当に面白いもの、そうでないもの。口コミを通じてできるだけポジティブな情報を親しい人のネットワークを通じて伝えていくことのいかに難しかったことか。
もちろん口コミ成功の大きな事例が当時は存在した。
前年の1977年に公開された「スター・ウォーズ」がそれで、全米でたった50館の映画館で公開されたB級SFと思われていた作品は見た人の度肝を抜いて口コミで広がり、ついには歴代ナンバーワンのヒットに繋がった。
そういう時代だったからこういうコピーも生まれたのかもしれない。

この口コミの影響は現在、フェイスブック、ツイッター、ブログなどを通じて絶大なチカラを持っている。
とりわけSNSでは知らない人ではなく、自分の知っている親しい人からの情報なので信頼性が高く(信頼性の低い人の情報は情報の信頼性も低いことに注意が必要だ)、しかもインターネットがあるので伝達が早い。
こういう時代では真実を曲げると、その曲げた部分が露骨に見えてくるので、たとえば広告で製品のいいところだけをPRしてもSNSを使って「実はこの製品は.......」とあっという間にネガティブな情報を拡散されてしまう。
「ウソはつけない」時代になってきてる。

そういう新しい時代のマーケティングへの考え方について書かれたのがイタマール・サイモンソン、エマニュエル・ローゼン共著「ウソはバレる」(ダイヤモンド社 千葉敏生訳)。
インターネットを通じて流れるクチコミ情報が既存のマーケティング戦略を大きく覆し、テレビCMや雑誌広告で編み出してきた手法が通用しない時代になっていることに気がついている人はまだまだ少ないという。

もしあなたがカメラを買おうとする。
従来であれば、雑誌の批評やテレビCM、メーカーの知名度、カタログ表記などを吟味して製品を選んでいただろう。
しかし本書は言うのだ。
今なら雑誌やテレビCMも参考にするが、最も情報としてチェックされるのはアマゾン・ドット・コムのレビューであり、星の数であり、価格調査サイトの口コミであり、SNSを通じた知人の評価だ。
これがもし1978年ならこういう情報を入手するのはほとんど不可能で、どうしてもという場合は週末の居酒屋で酒を飲みながら話題として引っ張りだすか、数人もいないだろう同じ趣味を持つ友人に恥を忍んで相談する、というぐらいしか方法はなかった。
口コミ情報を入手するには手間もかかるし時間もかかる。
いろいろ聞いて回った頃には購買欲も冷めているかもしれない。

しかし、今はインターネットで簡単迅速に調べることができるのだ。

メーカーや映画会社が広告する情報に人は安易に騙されない。
「ウソはバレる」
極めて重要な社会変革かもしれない。



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