<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地





日頃信じている科学知識なんてものは、あまり正確ではないことが少なくない。
勝手な思い込み。
テレビのSFドラマの見過ぎ。
単なる勘違い。
など様々だ。

時々こどもに、
「ねえ、○○って何?」
などと訊ねられると大人としてのプライドが作動して知りもしないのにいい加減なことを答えてしまいそうになることがある。
事実、私も娘が小学生の時はある程度想像で答えることも少なくなかったのだが、それが中学生になり、今のように高校生になるとそういうインチキは通用しないので分からないことははっきりと分からない、と答えることにしている。
尤も、高校生の学ぶ化学や物理というものは非常に難しく、学生時代が遥か彼方の自分の歴史の一部になってしまっている現在、その質問に対する答えを絞り出すことは困難だ。

とは言え、科学の世界には未だに答えの導き出されていない様々な謎があるのは確かだし、「もしも....だったら、どうなるの?」という仮定を立てることは無数にあるわけで、それらの答えもなかなか難しいものになること、これ間違いない。

ランドール・マンロー著「ホアット・イフ?:野球のボールを拘束で投げたらどうなるのか?」(早川書房刊 吉田三知世訳)は、数多くの「もし○○が△△したらどうなるのか?」という科学の質問に対して科学ライター兼マンガ家の著者が真面目に応える科学読本だ。
もともとインターネットで「What If?」というサイトを開設し、そこに寄せられる様々な疑問に対して回答していったものを抜粋し、集めたのが本書だという。
例えば表題になっているように野球のボールを光速で投げたらどうなるのか?という質問がある。
そもそも野球のボールを光速で投げることは現在の技術では不可能。
でも、「もし」もできたとしたらどうなるのか、というのは科学好きで想像好きな人には興味ある質問だ。
本書では光速で投げられたボールは空気を圧縮して、その空気は逃げ場を失いプラズマ化し、巨大なエネルギーとして野球場だけではなく周辺の広大なエリアを火の玉に変えてしまうようなことが書かれていた。

実際にそうなるのかどうかは不明である。
あくまでも著者が持つ物理に関する知識を総動員した結果の答えである。
本書にも、
「この本に書かれている答えが必ずしも正しいとは思わないでください」
というようなことが書かれていた、

この光速に限らず、光よりもずっと遅い宇宙船の大気圏突入速度でも空気によるプラズマ化は発生している。
宇宙船が大気圏に突入すると空気に衝突する部分が高温になり一時的に宇宙船全体をその熱で包み込む。
私はてっきりそれは宇宙船と空気が高速で触れ合うことによる摩擦熱によるもの、と勝手に思っていたのだ。
でも本当は宇宙船が秒速5kmという猛烈な速度で大気圏に突入するため、宇宙船の空気にぶつかる先端部に対して、空気が逃げることができず、圧縮されプレズマ化することにより高温になるという。
本書を読むまで、摩擦熱だとばかり信じていた私は、この少々笑いも伴う科学読本を読んで初めて知ることになったのだった。

その他、地球の半径が毎日1mmづつ大きくなったらどうなる?とか、太陽が突然消灯しまったらどうなる?などという仮定の元に、そのメリットとデメリットが記されていて大いに笑えるやら感心するやらでかなり楽しめた。

あえて欠点を上げると、質問に対して十分に答えずマンガでごまかしているところが少なくなかったのが少々気に要らないのだが、それはそれ。
こういう科学本もありかなと思える科学エンタテイメントなのであった。

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私はずーっと大手旅行代理店の近畿日本ツーリストの本社は大阪にあると思っていた。
しかし、それは誤りであった。
近畿日本ツーリスト(以下近ツーと略)の本社は東京、つまり東京の会社だった。
さらにまた、私はずーっと近ツーは日本交通公社ことJTBや日本旅行と同じ元々国策的な旅行代理店だと思っていたが、これも誤りであった。
近ツーは終戦直後にたった5人で創業したモーレツ旅行会社日本ツーリストが始まりの1つなのであった。
ちなみに日本旅行もJR西日本の連結子会社なのに本社は東京なのであった。
大阪はなにをやってんねん、と思ったのはいうまでもない。

城山三郎著「臨3311に乗れ」は久々に怒涛のごとく物語に引き込まれるビジネス小説だった。
ただ城山三郎の作品なので書かれたのはもう何十年も前になるのだが、その新鮮さは21世紀の現代で読んでもまったく色褪せることのない素晴らしい内容なのであった。
まず、登場人物の行動力が凄い。
近ツーの前身日本ツーリストを起こした馬場さんという社長は戦前朝鮮銀行に勤めるエリートなのであった。
それが敗戦して帰国の後たまたま得た仕事があまりにつまらないため退社。
「元手がかからない」
という理由だけで日本ツーリストを立ち上げ日本交通公社を筆頭とすり大手旅行代理店を向こうに張って闘いを挑んだ。
その手法が物凄い。
どのくらい凄いかは読んでのお楽しみだが、今の世の中であれば絶対間違いなく「ブラック企業」である。
それも「超」のつくブラック企業なのだ。
「就職したいんです」
とボロ事務所にやってきた京大生にヤクザのごとく「この世界は学歴なんか関係ねえよ」と言って、そのまま即添乗員を命じて修学旅行列車に添乗させる。
そのまま就職。
時代が時代だけに誰も「ブラック企業だ」なんて弱音を吐かなかった時代なのだろう。

もう一人、すごい人。
それは近畿日本鉄道社長の佐伯勇。
この人は伊勢湾台風で甚大な被害を受けた近鉄名古屋線を復旧工事と同時に線路幅を狭軌から大阪線と同じ標準軌に変更工事させて名阪直通特急を走らせるようにしたことで知られる関西では阪急の小林一三と比較してもいいくらいの敏腕社長なのだ。
この二人の勇が出会った時、物語はさらに大きく展開していく。
その流れがワクワク、ドキドキでたまらない。

「臨3311に乗れ」は閉塞感一杯の日本のビジネスマンに大きな力を与えてくれる一冊であることは間違いない。

なお、私は近ツーを利用したことはない。

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久々に文庫を一気読みした。
その一冊とはノンフィクション「しんがり」(講談社刊)。
山一證券が破綻して、その原因を追求するために結成された最後の社員12人の物語だ。

山一證券の破綻といえば、どうしても破綻廃業を発表する記者会見で社長の野澤氏が号泣したのを思い出す。
「社員は悪くありませんから」
当時、社会はバブルが弾けた最悪のころ。
銀行は潰れるは証券会社が潰れるはで、従来の常識が通じない事態が次々に発生。
中小メーカーに勤める私としては会社が潰れないだけでも神様仏様に感謝しなければならないと思っていた時代だ。

そんな「潰れるはずはない」と思っていた会社が次々と潰れたのは、何も理由が無いわけではないだろう。
きっと大きな理由があるに違いない。
多分、きっとあれかな、と思っていたのだが、なかなか確認することができなかった。
今回この「しんがり」を読んで組織の脆弱さと恐ろしさをまざまざと知ることができた。
また恐ろしさだけではなく、人の素晴らしさも多く見ることができた。
それがこの本を一気に読んでしまった原因かもしれない。

山一證券の破綻の原因は取りも直さず「意見が言えない環境」の一言に尽きるのではないだろうか。
会社の絶対的権力を握る人間に意見を言えない環境は組織を破滅に導き災害をもたらす。
巨額の帳簿外の債務を抱え、それを知りながら歴代の経営者は監督官庁にも押し黙り、その監督官庁でさえ薄々知っていたにも関わらずパンドラの箱としてタッチしてこなかった。
そういう自社の環境と外部の環境が山一證券を破綻に導いたのだ。
最後の社長だった野澤氏が何も知らされずに自分が社長に任命され、会社の幕引きをさせられることになるとは、ある意味サラリーマン人生として気の毒の極みとも受け取れなくはない。

「しんがり」の凄いところはこういう潰れてしまった企業の潰れた原因を、その社員自らが暴き出し、世間へ公表したことだろう。
普通であれば自分たちの会社の恥部なので触れられたくもなく、自分の経歴に傷を付けたくもないだろうから、適当に発表し、適当にさっていくところに違いない。
ところが山一證券は破滅に導いた経営陣と対象的に最後まで自分たちの会社を愛し、信じていた人たちがいたことがこのノンフィクションの最も感銘を与えてくれるところだと私は感じたのだった。
多くの山一マンたちは外資系の同業者に受け入れられたのかもしれないが、多くは時とともに辞めているという。
山一證券は実に日本的な会社なのだったのかもしれないと思った。

東芝しかり、シャープしかり、三菱自動車、スズキ自動車しかり。
社員が経営に向かって意見を言えない会社がどうなっていったのか。
20年経った今も山一證券破綻はワンマン大企業にはまったくもってなんの教訓にもなっていない。
「しんがり」は必読の一冊だったのかもしれないと思った。

うちの会社の二代目経営者は読んでいるのだろうか。

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季節はまもなく夏。
そろそろ高校野球の地方予選が始まる。

最近は仕事が忙しくて高校野球をじっくりと観たり聴いたりする時間が取れない。
新聞やニュース、インターネットで結果を知るだけという楽しみになってしまっているのだが、記事から熱戦の様子が伝わってくる試合は少なくない。
中でも夏の甲子園大会は春の選抜と違って全国から勝ち上がってきた実力のチームの闘いということもあり、観ているこちら側も力が入る。
負けたらおしまい。
十代の若者がガチンコで勝負するその姿は逞しくも悲しく、そして美しい。
我々日本人はその姿に感動する。
高校野球があるからこそ、野球はアメリカから伝わった外来スポーツという存在ではなく、国技として定着しているに違いないのだ。
とはいえ、試合後の勝利インタビューを見ていたら、
「なんで東北地方なのに関西弁?」
というようなことも少なくなく、越境入学やスカウト活動が盛んな高校が全国大会出場校を占めたりすると、若干のガッカリがあるのも今の高校野球かも知れない。

高校野球夏の大会は1915年に始り100年の歴史を持つ。
だからといって100回大会が開催されているかというとそうではない。
第二次世界大戦中は公式には甲子園大会は存在していなかった。
戦争遂行のために国家と社会が大会だけではなく、野球をプレイすることそのものを公に認めなかったからだ。
そんな社会環境の中で、実は公式に記録されていない大会が存在した。
その事実はあまり広く知られることはない。
とりわけ戦後世代には。

「幻の甲子園」坂上隆著(文春文庫)は昭和十七年に開催された文部省主催の甲子園大会を取り上げたノンフィクションだ。
この大会は朝日新聞の主催ではなかったため全国高等学校野球選手権大会にはカウントされていない。
開催時に毎夏の大会と同じように注目を集めたものの、公式記録には残されていない大会なのだ。
その記録に残っていない戦時中開催された唯一の大会がどのように開催され、どのような試合が展開され、選手たちのその後がどうなっていってのか。
本書で語られる熱戦の様子と、戦争に巻き込まれていく生徒や先生、家族のその後が心を惹きつける。

すでにこの時、野球部が残っている学校が少ないこともあり、主催が文部省という国になっていたこともあって出場校は当時日本だった台湾を含む全国から8校。
公式記録から外された大会だが、残されたエピソードは試合はもちろん、それを取り巻くものも印象に強く残されるものが多い。

台湾から参加した台北工業は甲子園に出場するに際して「途中撃沈されることがあることを承知した上で本土へ渡航する」旨の許諾書を書かなければならなかった。
突然の年齢制限を設けられたため、たった数日の差で出場を断念。甲子園への夢を諦めなければならなかった学生。
徳島商業は四国勢としての初めての甲子園での優勝だったにも関わらず公式記録として残されず、四国の優勝は約40年後の1982年の蔦監督率いる池田高校の優勝を待たなければならなかった。
多くの生徒がその後学徒動員や予科練などで学生生活だけではなく、人生そのものを奪われてしまったこと。

通常の大会とは違う贖うことがない時代の流れに翻弄されてしまう厳しさ、険しさがそこここに溢れている。
それはプレイする側にも見る側にも当てはまることで、読んでいるうちに今の時代の平穏さとのギャップに思いを深くするのだった。

かといって重々しいことばかりではなく、この大会で活躍した選手たちやそれを支えた学生、OBたちの多くが戦後のプロ野球を隆盛へと導くことになるのも、また見過ごしにできない部分なのだ。

暑い夏。
蝉の声。
厳しかった時代に想いを馳せながら甲子園の歓声を感じる、そんな一冊なのであった。

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僧侶は普通、酒は飲まない。
お釈迦様の定めた五戒の中に「お酒を飲んではいけない」という項目が含まれているからだ。

生き物は殺してはいけない
盗みを働いてはいけない
性行為に溺れてはいけない
嘘をついてはいけない
で、酒をのんではなけない
だ。

でもお酒を飲まないというお坊さんに出会うことは非常に稀だ。
私の家の宗派真言宗ではわざわざ「般若湯」などと名前を偽ってまで酒を飲む。
それだけ日本の仏教は俗化していると言っていいのか。
はたまた上座部仏教とは違った形で生活に密着しているのか興味深いところだ。

この「飲酒をしてはならない」という戒律は仏教に限らずイスラム教や一部のキリスト教にも存在して私たちを大いに困惑させる。
「なんで飲まれへんの?」
飲み会で酒を進めて真面目くさった顔で拒絶されるとついつい訊いてしまう。
流石に日本で生活しているのでイスラム教徒の知人や友人はいないけれども経験なモルモン教徒などは身近にいていたりするので禁酒の習慣、文化には身近なものを感じている。

高野秀行著「イスラム飲酒紀行」という文庫はそういう宗教上の「禁酒」という戒律の元、人々はどのようにお酒を嗜んでいるのかという、すこしばかり好奇心を誘うノンフィクションだった。

そもそも最近はイスラムと聞くだけで何か危険なものを連想する人はすくなくない。
9.11の影響か、ISの影響かどうかはわからない。
日本人にとって最も馴染みの薄いメジャーな宗教であることも一因だろう。
現在でもイスラム教の国に旅行する時は「酒が飲めない」ということを予め覚悟して出かける必要があるのではないかと思ってしまう。
とりわけ中東や北アフリカを訪問するときは多分飲めないのだろうな、という印象がある。
私は今だイスラム教を国教にしている国はマレーシアしか訪れたことがない。
訪れた、というのも言い過ぎでシンガポールから日帰りで入国しただけに過ぎない。
従ってマレーシアでは軽食ランチを食べたぐらいで宿泊もしていないので畢竟、酒も飲んでいない。
イスラム教徒の少なくない地域としてシンガポールやミャンマーの東部地域を訪問したこともあるが、シンガポールは華僑の国で値段を気にしなければ普通に飲めるし、ミャンマーも仏教国なので羽目を外さないかぎりは飲酒はできる。
だからイスラムの国で酒を飲んだらというよりも、酒なしの生活というのはどういうものであるのか。
大いに関心があった。

本書ではそのイスラム教を国是としている国々で著者がどのように酒を手に入れ楽しんだのかがレポートされている。
そこから見られる禁酒国での飲酒は生命を賭してするゲームというようなものではなく、路地裏の隠れ家でコソコソと嗜む盗み酒的なユーモアさえ潜んでいるように思われた。

考えてみれば以前勤めていた会社にはバングラディシュからの研修生が2名いたが、彼らは夜陰自室で酒盛りをするのを日課にしていた。
「バングラディシュって東パキスタン。確かイスラム教の国やね」
「そうよ」
「お酒飲んでいいの?」
「いいよ、ここ日本だもん」

ま、そんなもんなのかもしれない。


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発売されてからずっと気になっていたマイケル・J・フォックス著「ラッキーマン」を新古書で購入した。
いつか買おうと思っているうちに単行本が無くなり、文庫本になって、その文庫本も廃版になって中古市場でしか残っていなかったのだ。
ということは、書店で初めて見つけてから買うまで何年もかかってしまったということになる。

なかなか買わなかった理由は単純だ。
俳優や芸術家のバイオグラフィは興味があってもなかなか読まないからだ。
というのも、こういう人たちのバイオグラフィはどこかに必ずゴーストライターがいて、かれらが創作を織り交ぜながら書いているに違いない。
そう私は思っているところがある。
「ラッキーマン」はそういう意味ではちゃんとした自伝であり、人気作家の義兄の手助けを借りながらでもマイケル自身が自分で書いたものなのであった。

なぜマイケル・J・フォックスの自伝なんか読む気になったのか。
多くの日本の映画ファンにとって、もしかするとマイケル・J・フォックスは過去の人なのかも知れない。
というのも映画にはもう出ていないからだ。
いつの間にかスクリーンから姿を消し、日本の映画ファンは彼の姿を目にすることが無くなっていた。

これには2つの原因がある。
ひとつ、彼はテレビの世界に復帰していて映画には出演していないこと。
もう一つは彼がパーキンソン病に罹患しておりその治療とパーキンソン病への理解を深めてもらうための社会事業を行っているからである。

私がこの本を読もうと思っていたのは、映画ではなくて彼が主役と製作を兼ねていたテレビシリーズ「スピンシティ」が大のお気に入りであったことと、その「スピンシティ」を降板したのがパーキンソン病の治療に専念するからであったことの2つがある。
だからこそ「ラッキーマン」に興味を持ち続けていたのだ。

「ラッキーマン」はこの2つ至るまでの人生が綴られている。
高校を中退。
カナダからアメリカに単身渡航して食うや食わずの売れない時代。
テレビシリーズのオーディション。
バック・トゥ・ザ・フューチャーでトップスターに。
結婚と育児。
ヒットしなくなった主演作での苦悩。
そして絶頂期に診断されたパーキンソン病。

本書の優れたところは悲観的なところが全くと言ってないことだ。
時に笑い。
時に涙あり。
全編に流れる軽快な文章(もちろん日本語訳で読みましたが)はマイケルという俳優の思慮深さを感させた。
人気スターには珍しい実は普通のとてもいい人なのだと思わせるものがあったのだ。
考えてみれば人気スターは家庭の扱いもぞんざいで結婚離婚を繰り返す人も少なくない。
スキャンダルにまみれて、いつの間にかスクリーンやテレビから姿を消す。
しかしマイケル・J・フォックスという人は初めて獲得した人気番組「ファミリータイズ」で共演した相手役の女優と結婚して、以後今日まで本書を読む限り普通のあたたかい家庭を築いている。
だからこそ今のところ未だ不治の病であるパーキンソン病と戦うことができるているのだろう。

「ラッキーマン」はそういう意味で彼の人間としての側面と、彼の関わった様々な映画やドラマの成り立ちや裏側を窺い知れる、実に読み応えのある作品なのであった。


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今年は映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」公開から30年。
PART2では未来へ行くというストーリーが30年後の未来ということで、今年が1985年から30年の2015年。
それを記念していくつかのテレビの特別番組や雑誌の特集特集も組まれているようだ。

「映画の中で登場した未来のハイテクはどれほど実現できたのか」

と言った具合に。

空中に浮かぶスケートボード。
空飛ぶ自動車。
マルチビジョン型家庭用通信設備。
インターネット。
ロボット店員。

実現できているものもあるし、できていないものもある。
インターネットなんかは映画公開が終了して数年後に一般化。
今では映画で登場したよりスマートな運用がなされているように思えるのだ。

同じようなことが21世紀になったときに鉄腕アトムでも騒がれた。
その時も同じだったが、たかだか30年の時間の推移ではあまり大きな動きは実現出来ていないのも、また夢の無い現実でもある。

映画か公開された1985年は大きな出来事があった。
まず、私は大学を卒業した。
就職も決めずに卒業したものだから家族の顰蹙を買った。
暫くバイト勤めで頑張ったが当時も今もフリーターという自遊人は非難の対称となるのでずいぶんと嫌な思いもした。
かといって、このフリーター時代がないと今の企画マンとしての地位もないだろうから若いうちはアホをするのも重要なものなのかもしれないと思った。

そして8月12日には日航ジャンボ機が御巣鷹山へ墜落した。
前日の11日に大阪で大きなイベントを企画して開催していたので、
「まさか、東京からきた人に事故に巻き込まれた人はいないか」
と一瞬心配したが、考えてみれば逆方向なので事なきを得たが世間は暫くこの参事から目をそらすことができなかった。

御巣鷹山の事故の悲劇がまだまだ冷めやらぬ時。
我が阪神タイガースが21年ぶりの優勝をした。
甲子園だけではなく大阪じゅう、いや全国を熱狂の渦に巻き込んでついには西武ライオンズを倒して日本一に輝いた。
日航機事故で亡くなった球団社長への追悼という意味でも大きく報道されたのであった。
なお、この時に活躍したランディ・バース選手にみたてられたKFC道頓堀店のカーネルサンダースの人形が道頓堀川に胴上げの後投げ込まれ行方不明になる事件が発生。
長らく「カーネルサンダースの呪い」として優勝から遠ざかっていたタイガースは18年後に優勝。
その数年後。
橋下徹市長指揮のもと改修工事をされていた道頓堀川の川底から汚れたカーネルサンダースが発見された時は関西の新聞では大きく取り上げられたものであった。

1985年というのはそういう年であり、かつ、テレビドラマ「ファミリータイズ」を見たことのなかった私にとってはマイケル・J・フォックスを初めて見る機会になった年なのであった。

つづく


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大阪にある2つのニュータウンが完成から約半世紀を経て建て替え問題やら高齢者問題やらを抱えているという。
千里ニュータウンと泉北ニュータウン。
いずれも大阪万博の頃に造成された新興住宅地で規模的には日本最大級のうちの2つだ。
このうち泉北ニュータウンは私が高校時代を過ごしたところ。
堺市内の実家からこの地区にある学校まで毎日泉北高速鉄道に乗って通った。
泉北ニュータウンはもともと大阪府南部の丘陵地帯を造成して作った住宅地なので自然は豊かだった。
春には桜が咲き誇り風に散った花びらが舞い、夏は緑が美しく蝉の声も賑やか。
秋の紅葉も色づき方が華やかで、
「こういうところに住んでみたい」
と思わせるものがあった。

学校からの眺めもよかった。
晴れた日には遠く大阪市内の南港大橋や高層ビル群がよく見えた。
周辺は団地のエリアと戸建てのエリアがあり、戸建ては敷地も広くて建屋も大きかった。
高校生にもそこそこのお金持ちが住んでいるに違いないと思わせるものがあった。
ニュータウンにはどんな人が住んでいるんだろう、と時折想像したりしたものだった。

昨年末、久しぶりに何か小説を読みたいと思って買い求めたのが重松清著「希望が丘の人々」上下巻(講談社文庫)。
架空の古い新興住宅地「希望が丘」を舞台にした、そこで生まれ育ちあるいは主人公のように引っ越してきた人々の人間模様を描いたライトではあるものの、私の世代には大いに共感を呼ぶ物語だった。

主人公は若くして病のために亡くなった妻の生まれ育った「希望が丘」に子供とともにやってくるところからドラマは始まる。
2階の窓から子供が「海が見える」と叫ぶところで私は学校から遠くに眺めることのできた大阪市内の風景や、向こうの丘からこちらの丘にむかって走り下り、登ってくる泉北高速鉄道の電車の風景を思い出した。
希望が丘は駅からバスで15分ほど移動しなければならない、泉北ニュータウンというよりも、どちらかと言えば神戸の外れや奈良の新興住宅地を彷彿させるところだったが、その雰囲気はよくわかった。
物語はその新興住宅地がまだ新しかった頃、つまり主人公の妻が中学生だったころのエピソードと現在のその人々の生きざまとが交錯し、進んでいく。
この2つの時系列を自分の高校時代と30年以上経過した今の時代とを重ねあわせることで、言い知れぬ共感と、なにか物悲しき人生を実感したのだった。

誰にでも取り戻したくても取り戻せない時間というものがあるはず。
それは切ない初恋の思い出かもしれないし、温かい家庭のぬくもりかもしれないし、それとは反対に家族の確執かもわからない。
あの時にこうすればよかったという単純に後悔とは言い切れない何かを持っているに違いない。
「大人は過去を振り返り、子供は未来を見つめている」
物語の中でのセリフは単純だけど、随所随所にこんな心を打つエッセンスが入っている強い印象に残る素敵な小説なのであった。


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キリスト教、イスラム教、仏教を世界三大宗教という、と習ったのは中高生の時。
でも21世紀の現在では、世界三大宗教はキリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教。
仏教はヒンドゥー教よりも信者数は少なく、仏教を根幹として信仰する国も日本、ベトナム、タイ、ミャンマー、カンボジア、ラオス、スリランカなど数えるほどしか無い。
ヒンドゥーはインドが中心だが、インドの人口はバカでかく、日本や東南アジアの国々が束になっても追っつかないくらいの信者数だ。

しかも仏教はもしかすると宗教ではなくて哲学の一種にも分類されそうな、そんな宗教でもある。
なんぜなら、宗教において唯一「神様」が存在せず、絶対なものは何もない。
これ世界に変わらないものはなく、常に大きく動き続け、形あるものはどんなものでもやがて滅びる。
そういう「宇宙」を中心とした宗教は他には存在しないわけで、
「なぜ人は生き、喜び、あるいは苦しまなければならないのか?」
というよくある問いにも、他の宗教であれば、
「それは神様の思し召し。すべて神様が決めていらっしゃること」
となるかもしれないが、仏教は誰のせいにもすることはできない。
それはすべての生きとし生けるものが受け入れねばならない事柄であり、どのように生きるのかによって混沌とした複雑な時空の流れによって、なんとでも変わっていく。
そこに介在できるものは存在せず、人は常にどのように生き、どのように他の人々をいたわり、社会のあり方や生き様を考えていかなければならない。
答えは他人が与えるものではなく、自ら導き考えるものである。
僧侶はその手助けをする人なのである。

というような、まあ、かなり変わった宗教なのだ。

日本やタイ、ミャンマーでは仏教を信仰しているが、神様についても仏教には存在しないが、別枠でとっていることがあり、それが日本では神道であり、タイやミャンマーでは精霊信仰という形で現れている。
いずれも絶対の唯一神は存在せず、数々の神様が専門分野ごとに存在するという、どこかの大学の研究機関のような宗教なのである。

こういう宗教を背景とした文化で育つと、唯一神を信仰する他の宗教を理解することが難しくなる。
だから神様の名のもとにおいて戦争をする、などということはもっと不可思議で分からないことなのだ。

イスラム教は世界三大宗教の中でも最も大きな信者数を誇る宗教である。
アラブ人のマホメッドが説き始めたこの宗教は東はインドネシアから、西は太平洋を超えアメリカ合衆国まで幅広く伝播していて、その国際的影響力はもはやキリスト教さえ及ばぬレベルに達しているのではないだろうか。
宗派も数多い。
優しく温和なものから過激で恐ろしいものまで様々だ、
例えばインドネシアやマレーシアはイスラム教が国教だが、イラクやイランのように過激ではない。
実に柔和で女性にも優しく、教育も熱心。
何よりも我が国とは真のパートナーシップを持っている国々だ。
一方、イラクやイラン、サウジアラビアなどの中東諸国のイスラム教は我々から見ると過激で時に理不尽なもの見えてしまう。
ISに至ってはフィクションの世界のようでさえある。

このイスラム教。
最近はマレーシアやインドネシアから渡航してくる観光客や留学生、ビジネスマンも多く、東京や大阪では髪の毛をベールで隠した女性の姿をみかけることも珍しくなくなってしまった。
大阪のショッピングモールなんばCityには、イスラム教徒のためのお祈りの部屋まで用意されているくらいである。

ところが、私も含めて日本人にとってイスラム教という宗教ほど日常的に接することが難しい宗教はない。
近所に教会はあってもモスクがあるわけでもない。
イスラム教徒の人が大学や街にいても、宗教について話すことはほとんどない。
モルモン教のように勧誘されることもない。
知っているのはテレビや新聞で聞き知った中東で展開される戦国時代のような宗教世界なのだ。

日本にとってもっとも重要なパートナーである隣国米国のイスラム教徒数ももはやキリスト教徒とあまり変わらなくなってきているという。
キリスト教とイスラム教による宗教対立は中東を中心に欧州、北米などで繰り広げられ、その負の影響力は全世界に広がりもはや無視できないレベルに達している。

そこでイスラム教を理解するには何らかの書籍を読まなければなるまいと思いつつ、今日まで来てしまっていた。
そんな時、書店で見つけたのが「イスラームの生誕」(井筒俊彦著 中公文庫)なのであった。

この著者は日本におけるイスラム研究の第一人者のような学者ですでに鬼籍にはいってらっしゃるのだが、そのイスラムに関する知識や記述は素晴らしく、私のような全く知識のない人にも分かりやすくイスラムとそれを開いたマホメッドのことを教えてくれたのであった。

前半はマホメッドの生涯について。
彼が生まれ、ごく平凡な人として生活している間にキリスト教の教義ややり方に疑問を持ち、それに対して平和裏に改革をしようと動き始めた。
そしてキリスト教社会の利権にまみれた矛盾した世界へ失望し、自ら神様の掲示としてイスラムの教義を説き始めた。
このような細かな点、とりわけキリスト教徒の関係を十二分に説明。
マホメッドが生涯を閉じるまで、どのように活躍したのか。
その普通の人がいかにして世界最大の宗教の礎を作ったのかが簡潔に語られており大いに歴史好奇心をそそられたのであった。

後半はイスラムとは何かということに焦点を絞り解説されていて、これも十分に興味の持てるものであった。
イスラム教が説かれ始めたのは610年頃で、日本では聖徳太子が法隆寺を建立した頃なのだ。
そう考えると、歴史の時空が一挙に縮まり、身近になるように感じられた。

尤も、読んだところでその核心について理解できたとは言えず、まだまだ自分の中のイスラムに対する印象が劇的に変わった、ということはなかった。
それでもイスラムの概観でも知ったことは、今後イスラム教の人々と接するときに大いに役立つに違いないと思った。

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久しぶりに沢木耕太郎の文庫を買い求めた。

「246」

タイトルだけ読んだら、なんじゃこれ?
というような表紙だったが、これは1980年代の後半に雑誌「SWITCH」に連載された日記エッセイをまとめたものだった。
タイトルは作者の自宅と職場の事務所を結ぶ国道246号線からとったもの。
内容は沢木ファンなら「おおおーそうか」というようなもので、例えば「深夜特急」の第二便の発刊を控えてその作業に追われる光景や、初めての小説「血の味」の執筆開始のエピソードなどが欠かれていて、これまでの作品とリンクして楽しめる内容だった。

中でも最も興味を惹き、面白かったのが娘に聞かせたお話の数々。
当時2~3歳だった作者の娘さんを寝かしつける時にするお話がひとつひとつの物語になっていて楽しめる。
「おとーしゃん、〇〇のお話しして」
とせがまれると、娘がお願いした題材を使って、即興で物語を作り出す。
その光景がなかなか良い。
沢木耕太郎というノンフィクションライターが語る子供向けおとぎ話とは、これってすごく贅沢ではないか、と思ったりしたのであった。
これは作家の子供のみが持つ特権かもしれないな、とちょっとばかり羨ましく思った。

私は子供の頃、母によく子供向けの本を読んでもらったものだ。
最もお気に入りが「野口英世」の伝記で、このことはよく覚えているのだが、その人生を黄熱病の研究に捧げ、ついには自身も帰らぬ人となる姿に幼い私は大きく感銘を受け、
「大きくなったらお医者さんになりたい!」
と宣言していたものだ。

ま、現実は厳しかった。

ということで、今年最後の読書は沢木耕太郎。
気軽に読める「246」であった。







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