<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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その昔。
といってもそんな昔ではなく20年ほど前。
20年といえば充分に昔か....。
ともかくオフィスで一人ひとりにPCが配布され始めた頃。
「オフィスから紙がなくなる」
という説が広まった。
文書は電子データと化してコピー用紙や帳票用紙が不要になる。
オフィスから書架やキャビネットが消滅し、すべてPCの画面が書類の代用してスッキリするに違いないと。
で、現在。
オフィスから紙は駆逐されず、むしろより多くの用紙を使いまくっているところが少なくない。
これは一体何なのか?

話は変わる。
先月だったか先々月だったか、アメリカで実証実験が行われている自動車の自動運転で初めての死亡事故が発生した。
次世代の自動車販売の重要な技術要素である「自動運転」関連のニュースだっただけに記事のインパクトは小さくなかった。
読んだ私もその原因に興味を誘われたが、読んだ自動車メーカーはショックがもっと大きかったのか、その後関連記事は新聞でほとんど報道されることがなかった。
次世代の錬金技術にケチがつくのを恐れた関係者が報道を押さえ込んだんではないかと、なんとなく想像してしまうのは私だけだろうか。

そもそも車を完全自動運転することはかなりの無理があるのではないか、と私は考えている。
道路を走っていると想定外のことが起こることは想定済み。
それをコンピュータ頭脳だけで処理するにはあまりに貧弱だ。

この自動車自動運転の技術の骨格はAI技術。
人工知能と呼ばれている分野だ。

人工知能が発達すると自動車や電車の運転手は職を失う。
さらに経理や財務に従事する人も不要になる。
多くの分野でAIが職務をこなすようになるため、それに応じただけの人数が職を失うことになるという。
なんという暗い未来なのか。
これではまるでB級SF映画の世界じゃないか、と思っていたら、その説を根底から覆す書籍に出会ったのだ。

それが西垣通著「ビッグデータと人工知能 可能性と罠を見極める」(中公新書)だ。

それによるとAIは大きなデータを扱い分類したり検索するには向いているが、決して人の代わりなどにならないというのだ。
AIがチェスで名人を負かせても、それはチェスのアルゴリズムの中だけの話であり、チェスの強いAIに自動運転ができるかというと全くできない。
つまりチェスのような指し手を短時間で分析して次の一手に進むようなデータ処理による分析機能ではAIは非常に優秀だけども、自動運転のような予測不可能なことまで対応することなど到底できないという。

なぜならAIは「決断することができない」から。

考えてみればAIが果たして人間と同じ「意識」を持ち「考え」「創造あるいは想像して」、「歴史」や「文化」にも配慮して「倫理的な判断」を下すのは極めて困難と思われるからだ。
AIとて単なる高度なカラクリに違いないのだ。
従ってAIが裁判官になることもないし、警察官になることもない、複雑な地形をオフロードするドライバーにもなりえないし、政治家、デザイナー、教師にもなりえないのだ。

AIにおける「人間の失職」はOAによる「オフィスの紙の消滅」と非常に類似していることに気付かされた一冊なのであった。

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