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話題は昨日の続きのような一冊を紹介。

大澤昭彦著「高層建築物の世界史」(講談社現代新書)。

先々月。
休暇のごとく入院していた時に病院で大量に読んだ書籍の一冊がこれ。
古代ギリシャ時代から現代までの高層建築を扱った新書だ。

来月から大阪の国立国際美術館で「バビルの塔展」が始まることもあり、かなり気になっての一冊だった。

そもそも高層建築はいつごろから実際に出現したのか。
私は以前から大いに気になっていた課題なのだが、実際に自分で調べてみるところまでには至らず、今回のこの書物はその欲求を十分に満たしてくれる内容で溢れていた。
例えば最初に衝撃を受けたのはギリシャ時代のアテネの住宅は3〜4階建てのアパートメントだったということだった。

紀元前のあの時代に人々はすでに木造ではあるがアパートに住んでいたという。
この事実は同じ頃、吉野ヶ里遺跡で観られるような掘っ立て小屋のような家に住んでいた日本人と比較すると大いに驚くところなのだ。
また、灯台や教会のようなランドマークになる建物は当時から高さ50メートル級の高さがあり、構造計算なんのそので勇気ある建築家たちが様々な巨大建築を生み出していたことは建築テクノロジーの歴史認識を改めさせるものでもあった。

高層建築といえば幾つかの思い出がある。
まず、小学生だったか中学生だったかの国語の授業で霞が関ビルの建設を扱った話が教科書に載っていたことがある。
地震大国日本でどうやってあのような高層ビルの建築が可能になったのか。
五重塔の耐震性なども併せて解説されるその内容は、メカやテクニカルなものが大好きな私の心をぎゅっと掴んで今も記憶に刻み込まれている。
その後、多くの高層ビルが出現し今ではその霞が関ビルも高層ビルと呼んで良いのかどうか迷うような平凡なビルになってしまった。
周りには霞が関ビルを遥かに超える超高層ビルが立ち並び、どれが霞が関ビルなのか近くに寄ってみないと見つからないぐらい平凡だ。

国家や文化によって高層建築に対するこだわりがあるのかどうかも興味深いところだった。
昨日、深刻な住宅火災が発生したイギリスを始めとする欧州は高層建築に対するこだわりが小さいという。
とりわけ都心部は既存の景観を汚したくないために高層建築には強い規制を掛けている。
歴史とともに歩んできた景観を、簡単に破壊することは認められないという考え方だ。

それと対象的なのは中国。
今や高層ビルが最も多く建設されている国が中国だそうだが、ここは高さを競うこと金に貪欲なこととほぼイコールであり、高けりゃ歴史的景観などどうでもよく街のスカイラインを大きく変化させている。

二つ目の思い出は、他のブログ記事にも描いたことがあるがシカゴのシーアーズタワーに登った同僚が超高所恐怖症であったことだ。
エレベターでスカイデッキなる展望台へ上ると、彼は壁に背中を貼り付けたまま、

「窓に近寄ったら危ないですよ。危険です。わ〜〜〜高か〜〜〜〜」

と一向に素晴らしいシカゴの景観を見ようとしないのであった。

私も高所恐怖症ではあるが高いビルに上ることと、ヒコーキに乗ることは大好きな高所恐怖症持ちなのである。

シカゴのシーアーズタワーに上ること二ヶ月前。
私は台北にある当時世界一の高さだった「台北21」の展望デッキへ上がって日本人と台湾人による素晴らしきコラボレーションを思いきり堪能したところだった。
台北21から北方向をみると松山空港に着陸する飛行機が遥か下方向を飛んでいるのに目が釘付けになったものだ。

というように高層建築は実に面白いのだ。

エンパイヤステートビルは開業当時借りてがおらず8割がた空き部屋だったことや、9.11で倒壊したWTCのツインタワーを設計した日系人の建築士ミノル・ヤマサキの設計した建物は、ついタワーに限らず結構破壊される運命を辿っていることなど技術や歴史だけではなく、そのサイドスートリーのようなものも紹介されていて面白い。
本書は新書でもあり、内容は高層建築の歴史のDigestみたいなところがあったものの、知らないことがゴマンと詰まっていて読み応え十分なのであった。


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