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<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地





第二次世界大戦前に開通していたフル規格の地下鉄は今で言うところの東京メトロ銀座線の浅草〜渋谷と大阪メトロ御堂筋線の梅田〜天王寺だけだった。
東京メトロは開業時から私鉄で大阪メトロは当時というか、つい最近まで公営鉄道だった。
双方第三軌条方式といってパンタグラフがなく線路の横に敷かれた3本目のレールから給電をうけるという方式の電車なのだが、これはこのブログの本題には関係はない。

何を言いたいのかと言うと私は長い間、この両地下鉄は戦時中はどうなっていたのか、ということが気になっていたのだった。

例えば原爆が落ちた広島の鉄道は壊滅的な被害を受けていたと思っていた。
ところが柳田国男のノンフィクション「空白の天気図」を読んだところ原爆投下の当日の午後2時に広島駅発西条駅行きの列車が出発していたことを知ることになった。
当時は自動列車制御装置もないし、蒸気機関車がまだまだ主流の位置を占めていたので電気が通じていなくても列車を動かすことができたのだろう。
それにしても原子爆弾を生き残った国鉄マンの意地を感じ大いに感動と驚きを感じたのであった。
また広島電鉄も爆心地は流石に設備が大破してしまい使えなくなってしまったが被害の比較的少なかった地域の一部はすぐに運転を再開したという。
原爆が落ちても電気が通じているところがあったのだ。
東京も同じ。
東京大空襲で甚大な被害を受けた省線は「敵に侮られてはいけない、そのためには平常を尽くすことと」と被害の少なかったところは山手線など意地でも電車を動かしたという。

このようなことを聞いていたので「なら、地下鉄はどうだったのよ」と長年疑問に思っていたのであった。
地下鉄は字のごとく地下を走っているし空襲の被害を受けにくい。
でも、戦前走っていた地下鉄東西2路線だけ。
どちらも戦時中どうしていたかはあまり耳にしたことがない。
もしかすると軍用施設に転用されていたのかも知れないなどと思ったりもしていた。
というのも例えば現在の都営浅草線の新橋から日本橋にかけては「戦時中に官公庁を結ぶための連絡路として秘密裏に建設された地下通路を拡張して利用している」などということを聞いたことがあったからだ。
地下鉄は地下通路という大坂城秘密の抜け穴みたいな機能が備わっているので多分そんなんじゃないかしら、と思っていたのだ。

ところが事実は大きく違っていた。
その答えを最近知って大いに驚いたのであった。
その答えの一つが取り上げられていたのが坂夏樹著「命の救援電車 大阪大空襲の奇跡」(さくら舎刊)なのであった。

本書によると東京の地下鉄銀座線は戦中空襲があるときは運転禁止令がでていたという。
事実東京大空襲で爆弾が銀座駅に命中して大破した。
だからきっと米軍の攻撃中は止まっていたのだろう。
これに対して、大阪の地下鉄はそんな命令は出ていなかったというのだ。
出していなかった上に、初の空襲のあった昭和20年3月14日の深夜はいつもはやっている終電後の通電オフもせず、電気が通じていて電車が走る状態だったという。
しかも置かれていた心斎橋駅近くの変電設備は鉄筋コンクリートの頑丈な造りの上、当時世界でも最先端の設備を導入。
米軍の攻撃ぐらいで潰れるような代物ではなかったらしい。
さらに御堂筋線は銀座線と異なり大川(旧淀川)の下をくぐっている。
当時大川は水運としての機能が未だ残っていたので堰き止めてトンネルを作るということができなかったので技術を駆使して川の下を深く掘削してトンネルを建設。
このため御堂筋線は地下深く走ることになり300トン爆弾にも耐えられる構造なのだという。
この御堂筋線の建設をしたのは関一(せき はじめ)という市長で、その構想力は橋下徹元市長をも凌駕するすぐれたものであった。
幅数メールだった御堂筋を数十メートルに拡張。
その下に地下鉄を建設。
その地下鉄も将来を見越して10両編成の電車が停車できるような大きな駅として建設。
開業当時はホームが長いのに電車は1両で営業。
乗客はホームのどこに電車が停まるのかわからず走り回ったという吉本新喜劇みたいな逸話が残っている。
さすが大阪の地下鉄である。
この「無駄遣い」と思われた長いホームは現在10両編成の電車が運用されており、建設時ほぼそのままで使われている。
このことを考えると関市長の判断はいかに先見の明があったかと現在の多くの政治家諸兄に見習って欲しいものがある。

で、このことが空襲下の大阪市民を救うことになった。

空襲は午後11時50分頃から午前3時半頃まで繰り返され地上は火の海と化していたが地下では煌々と明かりが灯り広いホームには大勢の避難民が。
心斎橋駅ではホームだけではなく改札口とつながっている大丸心斎橋本店の地下にも1000人を越える市民が避難していた。
そこへ電車がやってきて多くの被災者の命を救ったというのだ。

この都市伝説のような話はNHKの朝ドラ「ごちそうさん(ご指摘により「まんぷく」から修正)」で取り上げられたことがあったようだが、信じられる話かどうか疑わしかった。
ドラマの作り話だと思われたのだ。
ところが毎日新聞がそれを調査すると、出てくる出てくる。
多くの証言が集められ、実際に御堂筋線の電車が動き、心斎橋駅や本町駅で被災者を拾って梅田や天王寺方面に逃したというではないか。

本書はその証言集になっていて読み始めると、あまりの意外さと驚きで読むことを止められなくなってしまったのだった。

この歴史秘話はどうして実現したのか。
本書を読んでのお楽しみだが、読むと大阪メトロの印象がかなり変わることは間違いない。
御堂筋線は凄い歴史を秘めていたのだ。


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東京オリンピックが場外乱闘で盛り上がっている。
オリンピックの競技にプロレスが入っていたら組織委員会はダントツの金メダル獲得だ。
組織委員長のちょっとした冗談が冗談でなくなって大騒ぎ。
柔道家のパワハラ。
聖火ランナー辞退騒動。
などなどなど。
どちらかというとマスメディアによるマッチポンプというような感じもするが誰も指摘しないので情けない状況になりつつある。

そもそもオリンピック。
そんなに神聖なものなのかどうか。
オリンピックには高校野球にも似たどことなく胡散臭い神聖さの香りが取り憑いているように思われてならない。

例えばその費用。
東京オリンピックはすでに2兆円以上のお金を消費しているという。
一体そんなお金がどこにあるのか、使っていいのか、誰が許可したんだか冷静に考えてみるとなんだかおかしい。
そもそもなんで2兆円もかかるのよ、と言いたい。
誘致だけで7500億円もかかっているのだから、どこかに問題があるのは間違いない。

女性の人権を傷つけたからと組織委員長を交代させたが、少数民族の人権を弾圧しながら虐殺まで繰り返している国が平気な顔して出場するのは一体なんだろう。
同性愛や思想信条の自由などありえないという国もある。
しかもそのような国のひとつが次回の冬季オリンピックの開催国なのだから大いに嘲笑えるところでもある。

スポーツ選手はストイックで記録への飽くなき挑戦をしているからといって、例えばドーピングや人体改造、国籍変更までして出てくるのもストイックなのか。
そういうことをさせてしまう背景があるようなイベントになにか特別な良いことがあるのか。
ここは冷静に考える時期でもあるような気がする。

このような心情になってしまったのはジュールズ・ボイコフ著「オリンピック秘史 120年の覇権と利権」(ハヤカワ書房)を読んだから。

オリンピックに関するノンフィクションは沢木耕太郎の「オリンピア」以外はあまり読んだことがなかった。
あまり関心がなかったのといい本に巡り合わなかったからだが、今回この本を見つけてクーベルタン男爵以来の近代オリンピックの表と裏が描かれているので買い求めたのであった。

それにしても驚き満載なのであった。
オリンピックには知らないことが多すぎて、これらを知ったらとてもじゃないが開催したいなんてもとより誘致なんかお断りだ、となってしまうに違いない。
その点、日本はノーテンキなのだろう。
来年の冬季オリンピックが中国という現在の世界で最も問題のある国家で開催されるのは究極の選択であったことも初めて知った。
なんと北京が選ばれたときは他にカザフスタンのアルマトイしかなかったという。
どちらも人権や思想信条の自由に大きな問題を抱え、オリンピック開催には適していない。
にもかかわらず北京が選ばれたのは、そのままであれば開催地が決まらないことと北京は夏の大会の経験があったことだという。
では、他の都市はどうだったのかというとオスロやストックホルムが上がったがほとんど全部が地元の反対にあって頓挫したからだという。

オリンピックはお金がかかりすぎ地域にとって何らメリットがないといのが現在のオリンピックに対する考え方の主流なのだ。
現に黒字の大会など一度もなく大金が動く割に儲かるのはIOCのみで、開催都市は持ち出しばかり。
今回の東京大会も同様である。

女性蔑視発言が問題になったが近代オリンピックの父として讃えられるクーベルタン男爵は実は女性差別者で女性のオリンピック参加を死ぬまで否定し続けたことも驚きであったし、様々な芸術的パフォーマンスも展開するオリンピックのスタイルを作り上げたのはナチスドイツであったことも改めて認識することになった。
デンバーの冬季オリンピックは住民投票まで実施され大差でボツにされた最初のオリンピックとなったことも、オリンピックのスポンサー企業は税制優遇があるらしいが、その優遇されたものは社会には還元されないこと、開催費用があまりに高騰しているのでテレビ放送権も高騰して、その権利を売らないと開催できないので高額な放送料を払えない途上国ではオリンピックは放送されないという異様な事態にもなっている。

オリンピックってどうなのよ、と考えてしまう一冊なのであった。







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19世紀。
そもそもどうして日本とタイだけが西欧列強の侵略から逃れることができたのか。
歴史の大きなテーマで色々な意見が出されている。
「西欧から日本は遠く遠征するための兵站距離が長過ぎるため」
だとか
「西欧が政治的に諸事困難を迎えていて極東の島国まで本気でちょっかい出すのが大変だったから」
などなどなど。
結局その理由は学校でも教えてくれないし、誰もきちんとしたことは説明できないので自分で考えるしか無いとも思っていた。

で、私の場合は「多分経済システムが西欧と同等か、それ以上だったから」というのが欧米列強の思い通りにならなかった理由だったと考えていた。
封建社会といいなが経済的には現在とほとんどかわらず資本主義。
株も先物も両替もなんでもあって、ある意味日本より経済システムの進んでいた欧州の国は無かったかもしれない。
江戸時代の経済体制など中学高校で習うこともないのでスルーすることになってしまっていたのだ。
私は今回それに「危機対策が十分にできていたから」という要素を加えたいと思っている。

鈴木浩三著「パンデミックvs江戸幕府」(日経プレミアム新書)は江戸時代の江戸における災害、とりわけ伝染病のパンデミックに対応した危機対策システムとその事例が紹介されていて、ものすごく惹き込まれたのであった。
日本は江戸は、なんて凄いシステムを構築していたんだろう。
もしすると現政府より上なんじゃないか、という驚きなのであった。

当時、伝染病は流行病と言われていたが原因はもちろん誰もわかない。
知らない間に人々の間に広まっていくので、隔離するとか事業を制限するとか今と同じことをやっていた。
このような同じことは事業を制限するだけではなく、その日暮らしをしている多くの市民に対して生活費を補填するシステムまで存在した。
一揆や暴動が起こらないようにすることが目的とはいえ、現在とちっとも変わらない。しかもコンピュータもないのにたった数日で支給して正確に把握するなんぞどうやっていたんだ、と驚愕することしきりなのだ。

風邪と思われていたインフルエンザも麻疹、疱瘡もコレラも命取りになる。
だから迅速な対応が求められたわけで、そのための資金もちゃんと民間と幕府で積み立てる仕組みまであったのだというから、江戸時代は現代より優れていたといってもいいくらいだ。
さらにパンデミックだけではなく大火災や大地震も同様の仕組みで市民を守り、ついでに黒船が来たときもこのシステムが働いたという。

江戸時代は封建時代だから遅れていた。
そんな教育をされたのは大きな罪で、じつは優れた危機対策体制をもっていた近代的な社会だったのだ。

あ〜、知らなかったなんて、なんてこった!


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一昨年頃から高野秀行の冒険談が楽しくて文庫本を買い求めてはワクワク感に浸っている。
そんなところ、いつも行くTSUTAYAで見つけたのが「西南シルクロードは密林に消える」。
令和3年の年明け読書第一弾として良い一冊かなと思い早速買って読み始めたのだ。

この一冊。
手にとって見てみると中国の昆明あたりからミャンマー北部のジャングルを通り抜けインドへ至る不法入国と徒歩によるとんでも冒険談であるらしい。
しかも物語の多くを占めるミャンマー北部のジャングルはミッチーナという街から徒歩で1日の距離をあるくのだというので私の好奇心はにわかに高まった。
というのも、私はこのミッチーナ市に10年少し前に3日間ほど滞在したことがあり、非常に懐かしく感じたからなのであった。
その時、私がミッチーナ市を訪れた目的はエヤワディ川の源流を見てみたいという好奇心だった。

東南アジアには文化と歴史、そして経済を支えている大河が3つ流れている。
ベトナムのメコン川。
タイのチャオプラヤー川。
そしてミャンマーのエヤワディ川。
いずれもチベットやウィグル自治区など、現在は無理矢理に中国領土にされているあたりを源流としてそれぞれに南シナ海やタイ湾、インド洋に流れている。

エヤワディ川はミッチーナ市から北に向かって車で1時間少し走った場所にその源流がある。
マリ川とンマイ川という2つの川が合流するところがエヤワディと名前の変わるポイント。
つまりここがエヤワディ川としての源流だ。
この川はここからミッチーナ市を通り、旧都マンダレー、遺跡の街バガン、最大都市ヤンゴンを貫きインド洋へ至る全長約2200km。
ミャンマーの歴史を育んできた大河なのだ。

この合流地点は多少観光地化されていてはいたものの、私が訪れたときは未だ途中の道は十分に整備されておらず、ところどころ凸凹の土道で中国の企業らしき怪しい土建屋が工事をしているところを見かけたものだ。
昆明に向かうにはこの道をさらに奥地へと進んでいくようだが決してコンディションはよくないというようなことを聞いたものだ。

よくよく考えてみると、この道こそが先の大戦で日本軍を苦しめた「援蒋ルート」であったわけだ。
それだけ歴史を背負っているところ言えるだろう。

著者の高野秀行がカチン独立軍の人たちとこの北方を東から西に向かったわけだから、もしかすると私がのんびりと写真を撮っていた場所からその通過地点はさして遠くなかったかも知れず、それだけ親近感をなんとなく持てる話なのであった。

それにしても現代に日本人がこのようなハチャメチャな旅をすることに何やらフィクションめんたものを感じなくもないが、全て実際にあった話だと思うと著者がいかに超人であるのかよくわかるというものだ。
中国では官憲に拘束され、ミャンマーでは道に迷い、インドでは武力紛争に巻き込まれる。
なんだかんだわけのわからない「旅」なのだが、こういうのを「旅」と言っていいのかどうかも大いに疑問になるところだ。
同じバックパック旅行でも沢木耕太郎の深夜特急と比べると危険さの種類が違う。
面白いからと言って深夜特急のような旅と異なり間違っても真似をしてはいけないと思ったのはいうまでもない。

ということでコロナ禍で海外はおろか国内の旅行もままならない2021年の幕開けだが読書だけは世界に連れて行っていただいたという面白い始まりなのであった。

※私が撮影したマリ川とンマイ川が合流してエヤワディ川になる地点の写真。
ここでもお釈迦様は欠かせない存在だ。
左手側からがマリ川。正面奥からンマイ川。右手に流れて行ってエヤワディ川。
2200kmほど大きく西に湾曲しながら南に下るとインド洋に出る。
比較にならないが大阪から2200kmほど南に下るとフィリピンに行き着く。

※この辺では砂金が採れるとかで、作業をしている人たちが大勢いたが収穫はあるかどうか......悩みどころだと思う。

いずれの写真も書籍とは関係ありません。


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トランプ大統領はそこそこ面白い大統領だと思っていたが、最後の最後がよろしくなかった。
自分の支持者に「議事堂へ行進せよ」と言ったのが気に入らないのではなく、男らしく負けを認めなかったところだ。

そもそも米国人の偉い人は正々堂々としているところが魅力なのであった。
歴代大統領でも初代のワシントンは周囲の「王位につけ」の説得を拒否して選挙によって元首を選ぶという画期的なアメリカスタイルを誕生させて、米国型民主社会の礎を作った。
個人の利益よりも公共の利益を優先したのだ。
第二次世界大戦終結後、卑屈になっている日本海軍首脳に激を飛ばしたのはニミッツ提督なのであった。彼は「負けたので廃棄します」といった戦艦三笠を「世界の歴史を変えた誇るべき戦艦を廃棄する必要なし」と保存を訴えた。
もちろん卑怯な米国人も少なくないが、一本筋が通った偉人が多いことがアメリカを民主国家のリーダーたる位置につけていることは間違いない。
そこんところが中国とは違うところだ。

このトランプ大統領。
もう一つの失態はCDCの予算を削ってしまったことだ。
このCDCの予算を削り、人員を削減させていしまったことが今回の新型コロナウィルスのパンデミックの間接的原因になっている。

そもそもCDCはアメリカの感染症に関わる情報集約研究機関であり、この仕組を持った世界で活躍できる機関は他に無い。
日本の国立感染症研究所の何倍ものスケールで全世界的に凶悪な感染症を監視し封じ込める組織なのだ。

この組織は単なる研究機関ではない。

感染症に対するCIAというか隠密同心のような役目を果たす機関でもある。
世界のある地域で未知の感染症が発生したという噂が伝わると、即研究員が送り込まれる。そしてある時は公に、またある時は隠密理に調査し、原因の病原体を見つけたときは冷凍して持ち帰りバイオセイフティーレベル4の研究室でそれらの正体を暴くという重要な任務をこなすのだ。

当然のことながらこれらには非常に多くの費用を要する。
細かい話になるけれどもときには領収書をもらうことのできない費用もかかるのだ。
そう、ジェームズ・ボンドが「領収書ください」と言っているのを見たことがないように、CDCの研究員も領収書の取れない任務を多数抱えているのだ。
火付盗賊改方長官の長谷川平蔵が手下に自腹を切ってお金を渡すのも同じ。

従ってCDCには地球規模で感染症から人々を守るための潤沢な資金が必要になる。
トランプ大統領は直接的な銭勘定しか考えていなかった。
だからCDCの予算をカットして弱体化させ、今回のコロナを食い止めることができなかったのだ。

ハヤカワ文庫「ウィルスハンター アメリカCDCの挑戦と死闘」はエボラのみならず世界で発生している謎のウィルスに挑戦するCDCの姿とその設立から今日に至る歴史を記したノンフィクションだ。
そもそもそんなに重要ではなかったCDCを、世界でも特筆すべき研究施設に育て上げた多くの人々の努力が垣間見られて面白い。

CDCはアメリカの機関だが世界の機関でもあることを痛烈に意識させる良書なのであった。


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「こんなはずじゃなかった、って言って退学していく奴が多いんだよね」
と言っていたのは大学の同窓会でお会いした某映画関係の先生だった。

私の母校、大阪芸術大学は私学の芸大では国内で最も規模が大きく生徒の質も千差万別であることが知られている。
千差万別。
どういうことかというと人数が多いだけにピンからキリまでの人材が集結しており一種のパラダイス感があるのだ。
すぐにでも業界の最前線で第一級の仕事ができそうな学生から、幼稚園児の描くような出来損ないの図画工作しかできないような学生まで質、量とものバラエティーに富んでいる。
卒業生も人間国宝を頂点に浮浪者まで幅広い。
私のように職をいくつも変わってきて安定しているのかしていないのかわからないような人間はどちらかというと詰まらない部類に入る卒業生だろう。

「〇〇くん、確か弟子入りが決まったわよ」
とか、
「〇〇さんは留学ね」
というようなことを学生課で耳にしたのは就職活動に汲々としていた4回生の秋の終わりのころ。
うちの大学は留学はともかく弟子入りなんてのがあるのか、と呆然と聞いていたことを今も鮮明に覚えている。
ともかく他大学というか他の普通の大学に通っている友人に聞くのとは大きく異なっていた。
だいたい他大学の友達が盛んに話している「リクルート」なんか関係がなかった。

こういうことはレベルの如何ともし難い関西私学の芸大だからなのか。
大阪でも南河内郡河南町の一山越えれば奈良県というギリギリのところにある大学だからなのか大いに悩んだものであった。
結局私も普通の就職をすることなく卒業日を迎えた。
入社する会社も決まっていなかった。
試験を受けた会社もたった4社で全部メディア製作関係の会社で東京と大阪のそれぞれ2社の小規模プロダクションから「うち来る?」と言われたが給料を聞いて恐れをなし、まずは自由人として生きることを決心した社会人スタートであった。
もちろん社会人といっても作品作りをメインに据えていたので、世間が言うところのまともな社会人であるはずがなかった。

二宮敦人著「最後の秘境 東京藝大」を書店で発見した時、
「国内芸大の最高峰、東京藝大はどんな大学なんだ?これは是非とも読んでみたい」
と即買い求めた。
そして読んでみてアッ!と驚いた。
なんと、芸大最高峰といえども芸大は芸大。
学生の進路は我が私学の大阪芸大と対して変わらないことが判明した。
というか芸大に行くような若者は「フツウ」の者ではないこともよくわかったのであった。

驚いたのは一般言われる就職する学生が東京藝大の場合は10%しかいないことであった。
他の多くは大学院への進学や留学、アーティストとしての独自路線への踏み出しなどで、驚愕するのは卒業後約半数の学生は進路不明で行方不明者も半端ではないとうことなのであった。
中退者も少なくない。
入学しても何をスべきかを考えるのは学生であり教員ではない。
教員とてどう教えれば良いのかわからないという。
なんといっても芸術はそれぞれの受け止め方や感性が大きく影響する。
だから目標を強く持って熱意がないことには学生は務まらない。
私の大学の場合は学生数が多いことと私学ということもあって目標を見つけられなくても適当に課題作品に取り組んでいれば卒業はできる。
でも中途半端にアートを目指していたりすると冒頭のように「こんなはずじゃなかった」となり退学していくことになるのだ。
あまりの共通点の多さに愕然とするとともに芸術を学ぶというのは、同じなのだと大きく共感もし、大学生活の恐ろしさを再認識したのだった。

思えば毎年何百人もがアートを目指し芸大の門戸を叩く。
けれども売れるアーティストになるためには半端な努力だけではだめで、生涯を賭した情熱と半端ではない幸運がなければいかんともしがたいものがある。
国家公務員になるよりも司法試験に受かるよりも、ずっとずうっと難しい世界なのだ。
だからフツウの考えで入学してもいかんともしがたいものがあるのだろう。
本書にも記されているが「高い成績を取ったものが芸術家として成功するとは限らない」というのは真実だ。
このことは他の一般大学卒業者とは大きく異なる部分で、大学では最低の成績を取っていたものであっても卒業してからメキメキ頭角を表し世界のアートシーンを構成する一人になるものも少なくない世界だ。
むしろストレートに前に進む人のほうが少ないくらいで、大学は一つのきっかけ、人生経験の場でしかないのかもしれない。

そこでふと思ったのが、大学は就職するためのプロセスの一つでは本来ないということ。
日本の大学では3回生から就活を始めて卒業と同時に一斉に企業や官公庁で働き始める。
ベルトコンベアに乗っかった人生のようで楽なのかも知れないが、とってもつまらないと思えて仕方がない。
大学というところは就職活動をするところではなく自分の学びたいことを究めるところであって職業安定所ではないわけだ。
そういう意味では東京藝大は素晴らしい大学だと言えるかも知れないし、私の卒業した奇人変人大集合の大阪芸大もそうかも知れない。

30年前。
卒業を前にして私も多くを悩んだ。
なんでフツウに就職しなかったのか。
またそうしたくなかったのか。

「最後の秘境東京藝大」は素晴らしい一冊なのであった。



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仕事で時々研究施設のクリンルームに入ることがある。
白い防護服を着てフードをかぶり保護メガネを着用してゴム手袋、静電防止の作業靴。
面倒くさいことありゃしないが、そういう装備をしないと入れないので仕方なく着用している。
今のところ化学系のクリンルームに入っていることが多い。
これがバイオ系になるとどちらかというと入りたくないというのが私の要望だ。
なぜなら、化学はまだ何が保管されて、何が合成され、どういうものが出てくるのか想像できるのだが、バイオの方は、何がどこに居て、それがどこへ移動するかも知れないし見えないし、感染するかも知れないというところに言い知れぬ不安感があるのだ。
化学物質はちゃんと管理したら他の場所へ勝手に移動することはないが、生命体はそうはいかないという感覚がある。
尤も、多くの場合はその研究室で何がされているのかはほとんど知ることがない。
なんと言っても知財の塊。
我々外部の者に委細詳細伝えられることはめったに無い、というか絶対にない。
だから応用化学のクリンルームだと思ってはいっているところが実はバイオ関連であったりする可能性もあるわけで、なんともしっくりこないのである。

リチャード・プレストン著「ホット・ゾーン エボラウィルス制圧に命を懸けた人々」(ハヤカワ文庫)は1989年に実際にアメリカの動物実験用猿舎で発生したエボラ出血熱の制圧を描いたノンフィクションだ。

エボラ出血熱は現在知りうる病原体の中でも最も致死率の高いウィルスだ。
緊張を強いるその致死率は平均で50%。
種類にもよるようだが感染すると致死率は最高で9割に達することがあるという。
治療できる薬は今のところ存在しない。

この恐怖のウィルスがワシントンDC郊外に出現した。
東南アジアから輸入された猿から現れたのは最も殺傷力の強いタイプのエボラウィルス。
遺伝子構造の近い猿から人に広がる可能性は小さくない。

報道規制をどう敷くのか。
対処は軍の役目か、それともCDCなのか。
感染した者はいないか、また感染者から伝染した可能性のある者が街へ出て広げた可能性はないか。
などなど。
全編緊張の連続だった。
とりわけ前半の3分の1はエボラが初めて確認され、感染者が亡くなるまでの凄まじい過程や、そのウィルスを最高レベルのバイオハザード対策がなされたクリンルームへ持ち込み観察分析するための処理をする過程がスリリングを通り越して恐怖でもある。

新型コロナウィルスでも同様にこれら殺人ウィルスへの対策は多くの研究者の命を懸けた闘いの中で繰り広げられている。
「ホット・ゾーン」はその一例を綿密に取材してノンフィクションとして構成しているドラマだ。
私たちはそのドラマを通じ実際の現場やその扱いの難しさを知ることなる。
新型コロナウィルス禍が始まってから話題になっているカミュ著「ペスト」を遥かに越える読み応えがある。

それにしても正体不明の病原体がいかに多いか。
この本のあとがきにも記されていたがここ半世紀の間に出現した病原ウィルスの数は少なくない。
HIV、エボラ、SRAS、MARS、C型肝炎、狂牛病、武漢ウィルス、などなど。
人類がジャングルを切り開き自然を破壊する。
その過程でこれまでは表に現れることがなかったウィルスが宿主から解き放たれて異生物である人間に取り憑き大きなパンデミックを引き起こす。
実に恐ろしいことではないだろうか。

本書に登場するエボラ出血熱もアフリカから伝わったのではないところが注目点だ。
マレーシアから輸入された動物実験用猿がエボラを持ち込んだその事実は、アフリカだけではなく、世界中至るところから未知のウィルスが出現することを意味している。
そのことが不気味であり、いつ今回の新型コロナ禍を越えるパンデミックが発生するかわからない不安感を増幅させるのだ。



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高野秀行著「謎のアジア納豆 そして帰ってきた「日本納豆」」を書店で見つけてページを捲ってみると懐かしい「トナオ・ムッ」というミャンマーの発酵食品の写真が掲載されていた。
この「トナオ・ムッ」はチャイントンというミャンマーのシャン州にある町を訪れた時に、
「食べてみますか?」
とガイドさんに訊かれて、
「是非に」
と言って注文した地元の発酵食品であった。
私はそれ以前にミャンマーの代表的発酵食品である「カピ」を味見して「美味い!」と叫んだときがあったので、同じく美味いものに違いないと思い注文したのだったが、残念ながらその匂いと味に負けてしまい完食できなかったのだ。
伝統的食品で珍しいものを食べ残してしまい大いに後悔したので忘れることができない。

その「トナオ・ムッ」の写真を見つけたので、その場で買い求めて即読み始めたのだった。

「納豆は日本を代表する食品」
「日本人なら誰でも食べる伝統食品」
とよく言われる。
納豆に郷土を思い出す人も少なくないという。
私は関西人なので納豆に対する思い入れはそんなにないのだが、そこはやはり海外にも納豆があるということになれば知りたいというのが人情というものだ。

本書はミャンマーでの事例も多く、登場するミッチーナ、チャイントン、タウンジーの3つの街は私も訪れたことがありリアルにその風景を浮かべることができた。
「トナオ・ムッ」以外にも納豆とほぼ同じ発酵食品があったことに訪問したときはちっとも気づかず、今回この本を読んで初めて知ったところなのだ。

次回訪問することがあれば、ぜひ現地の納豆をいただいてみたいと思ったのは言うまでもないが、「トナオ・ムッ」が口に合わなかったことを思い出すと、くちにするのはそこそこ勇気が要ることなのかも知れないと思った。



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なぜNHKがこのようなテーマを取材して番組を作ったのか。
実はこの「超常現象 科学者たちの挑戦」(新潮文庫)を買い求めた最も大きな理由はそのポイントにあった。
堅物であるはずのNHKが民放のバラエティで扱いそうなテーマを科学番組として扱ったことに興味が惹かれたのだ。

子供の頃、私は臆病で「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」を見ていて怪獣などが出てきそうになると本気で怖くなった。
一人でテレビの前に陣取っっていることができなくなり、隣の台所で家事をしている母の元に行ってこわごわドラマの展開を見守ることが少なくなかった。
怪獣の存在を信じている、というか、宇宙人やその他実態のわからないものの存在を信じているわけではなかったのだが、そういうものの雰囲気に大いに恐れを抱いていたのだ。
ま、純真な子供だったと言えるのかもしれない。
それが純真でなくなってしまったのが中学1年生の時。
流石に母に甘える年齢ではなかったが、理屈っぽくなる年頃になっていたことに加え米SFTV「スタートレック」にハマりだした頃だ。

「スタートレック」は宇宙を舞台にしたSFTVシリーズだったが、単なるSFドラマではなかった。
様々な社会問題をそれとなく取り上げて問題提起をする社会派ドラマだったのだ。
背景にリアリティがあるだけに、SFの要素にもリアリティがあった。
特徴の一つが未知なものを単に「わからない」で片付けてしまうことがなかったこと。
それが他の従来のSFとは大きく異なるポイントであった。
わけのわからない現象や物体に遭遇しても「わからない」で片付けず各種分析装置やコミュニケーション手法を駆使してその原因を探るという行為は新鮮だった。

このテレビ番組を見てからというものの超常現象などを扱う番組や書籍が胡散臭くなってしまった。
心霊写真があると必ずトリックやそう見えてしまう科学的根拠があるはずだ。
幽体離脱についても何らかの医学的現象があるはずだ。
ユリゲラーのスプーン曲げは手品の一種に違いない。
などと考えるようになった。
現象ではなく、それぞれのタネ明かしに興味を持つようになった。

だから「超常現象」を科学するということは大いに興味を誘うもで、これもそういう意味で手に取り買い求めた文庫だった。
超常現象を科学的に観測して分析する科学者の団体があることに驚きをもったのだが、面白かったのは霊はともかくテレパシーに関する何らかのエビデンスがあるのではないかと思わせるところだった。
以前、米軍には超能力部隊というXメンを本気で行く舞台が存在していたことをレポートしたノンフィクション「実録・アメリカ超能力部隊」(文春文庫)を読んだことが有り大いに笑ったものだ。
とこが、例えば「鳥や魚の群れが言語を使用せずに一斉に同じ方向へ進路を取れるのはなぜか?」とか「隣どおしに横たわった被験者の脳をCTモニタリングしていると、片側の人に刺激を与えると、何もしていない別の人の脳も反応する」など明らかに科学で解明すべきテレパシーがあるように思えてくる。
これはこれで非常に面白いと思った。

ということで「あなた、あなたは幽霊を信じますか?」。


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それにしても世の中には色々なイベントがあるものだ。
「サハラ砂漠でフルマラソン」。
暑いだろうな。
走りにくだろうな。
コース見失わないかな。
と、色々と考えてしまう、そんなマラソン大会が存在していたのだ。

実質的に「ソマリランド」を日本に紹介した紀行作家というか冒険家の高野秀行。
そのエッセイ集「世にも奇妙なマラソン大会」は表題のサハラ砂漠でのマラソン大会への無謀な参加体験記をはじめ5編の愉快な紀行が収録されている。
どれもこれも非常に面白いのだが表題のマラソン大会はもちろんのこと謎のペルシャ絨毯売り、フランス人のゲイのおっさんとの一夜の駆け引き、なども面白かった。

旅に出ると想定外の出来事に遭遇することが少なくない。
私の場合はバンコクのトランプ詐欺師集団やミャンマーでの長距離列車旅行途中の豪雨橋脚流出事件などがそれに当たるかも知れない。
このような出来事は日本の価値観とは大きく異る背景をもってして発生するわけで、実際に出会うとかなり困ったことになる。
うまくくぐり抜ければ後で笑って済ませることができるのだが、うまく行かないと大変な事態になることもある。

著者の高野秀行氏は自らそういうところに飛び込み、それをレポートするというのが大きな魅力と言えるだろう。
先日、台湾が国交を結んだことで注目されたソマリランドもそう。
ブータンの謎の生物探索もそう。
ミャンマーの山深く取材した少数民族「ワ族」の村での生活もそう。
イスラム圏での飲酒文化もそう。

どれもこれも普通ではない環境に飛び込んで自ら体験する。
自分のバックパック旅行とも重なり実に面白いのだ。

今回のサハラ砂漠のフルマラソンという無謀へのチャレンジも同様。
日頃ジョギングさえしないという著者がいきなりフルマラソン、しかもサハラ砂漠でのというところがもうすでに尋常ではない。
しかしその無謀を思いつきだけで終わらせず実行に移して感動を呼び込むところがこの作家の最大の魅力だろう。
完走するのかどうかは読者だけのお楽しみ。

ということでサハラマラソン。
来年2021年も開催されるようなので興味ある人は是非ご参加ください。

http://runners-wb.org/race/race01.htm


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