<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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一昨年頃から高野秀行の冒険談が楽しくて文庫本を買い求めてはワクワク感に浸っている。
そんなところ、いつも行くTSUTAYAで見つけたのが「西南シルクロードは密林に消える」。
令和3年の年明け読書第一弾として良い一冊かなと思い早速買って読み始めたのだ。

この一冊。
手にとって見てみると中国の昆明あたりからミャンマー北部のジャングルを通り抜けインドへ至る不法入国と徒歩によるとんでも冒険談であるらしい。
しかも物語の多くを占めるミャンマー北部のジャングルはミッチーナという街から徒歩で1日の距離をあるくのだというので私の好奇心はにわかに高まった。
というのも、私はこのミッチーナ市に10年少し前に3日間ほど滞在したことがあり、非常に懐かしく感じたからなのであった。
その時、私がミッチーナ市を訪れた目的はエヤワディ川の源流を見てみたいという好奇心だった。

東南アジアには文化と歴史、そして経済を支えている大河が3つ流れている。
ベトナムのメコン川。
タイのチャオプラヤー川。
そしてミャンマーのエヤワディ川。
いずれもチベットやウィグル自治区など、現在は無理矢理に中国領土にされているあたりを源流としてそれぞれに南シナ海やタイ湾、インド洋に流れている。

エヤワディ川はミッチーナ市から北に向かって車で1時間少し走った場所にその源流がある。
マリ川とンマイ川という2つの川が合流するところがエヤワディと名前の変わるポイント。
つまりここがエヤワディ川としての源流だ。
この川はここからミッチーナ市を通り、旧都マンダレー、遺跡の街バガン、最大都市ヤンゴンを貫きインド洋へ至る全長約2200km。
ミャンマーの歴史を育んできた大河なのだ。

この合流地点は多少観光地化されていてはいたものの、私が訪れたときは未だ途中の道は十分に整備されておらず、ところどころ凸凹の土道で中国の企業らしき怪しい土建屋が工事をしているところを見かけたものだ。
昆明に向かうにはこの道をさらに奥地へと進んでいくようだが決してコンディションはよくないというようなことを聞いたものだ。

よくよく考えてみると、この道こそが先の大戦で日本軍を苦しめた「援蒋ルート」であったわけだ。
それだけ歴史を背負っているところ言えるだろう。

著者の高野秀行がカチン独立軍の人たちとこの北方を東から西に向かったわけだから、もしかすると私がのんびりと写真を撮っていた場所からその通過地点はさして遠くなかったかも知れず、それだけ親近感をなんとなく持てる話なのであった。

それにしても現代に日本人がこのようなハチャメチャな旅をすることに何やらフィクションめんたものを感じなくもないが、全て実際にあった話だと思うと著者がいかに超人であるのかよくわかるというものだ。
中国では官憲に拘束され、ミャンマーでは道に迷い、インドでは武力紛争に巻き込まれる。
なんだかんだわけのわからない「旅」なのだが、こういうのを「旅」と言っていいのかどうかも大いに疑問になるところだ。
同じバックパック旅行でも沢木耕太郎の深夜特急と比べると危険さの種類が違う。
面白いからと言って深夜特急のような旅と異なり間違っても真似をしてはいけないと思ったのはいうまでもない。

ということでコロナ禍で海外はおろか国内の旅行もままならない2021年の幕開けだが読書だけは世界に連れて行っていただいたという面白い始まりなのであった。

※私が撮影したマリ川とンマイ川が合流してエヤワディ川になる地点の写真。
ここでもお釈迦様は欠かせない存在だ。
左手側からがマリ川。正面奥からンマイ川。右手に流れて行ってエヤワディ川。
2200kmほど大きく西に湾曲しながら南に下るとインド洋に出る。
比較にならないが大阪から2200kmほど南に下るとフィリピンに行き着く。

※この辺では砂金が採れるとかで、作業をしている人たちが大勢いたが収穫はあるかどうか......悩みどころだと思う。

いずれの写真も書籍とは関係ありません。


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