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東京オリンピックが場外乱闘で盛り上がっている。
オリンピックの競技にプロレスが入っていたら組織委員会はダントツの金メダル獲得だ。
組織委員長のちょっとした冗談が冗談でなくなって大騒ぎ。
柔道家のパワハラ。
聖火ランナー辞退騒動。
などなどなど。
どちらかというとマスメディアによるマッチポンプというような感じもするが誰も指摘しないので情けない状況になりつつある。

そもそもオリンピック。
そんなに神聖なものなのかどうか。
オリンピックには高校野球にも似たどことなく胡散臭い神聖さの香りが取り憑いているように思われてならない。

例えばその費用。
東京オリンピックはすでに2兆円以上のお金を消費しているという。
一体そんなお金がどこにあるのか、使っていいのか、誰が許可したんだか冷静に考えてみるとなんだかおかしい。
そもそもなんで2兆円もかかるのよ、と言いたい。
誘致だけで7500億円もかかっているのだから、どこかに問題があるのは間違いない。

女性の人権を傷つけたからと組織委員長を交代させたが、少数民族の人権を弾圧しながら虐殺まで繰り返している国が平気な顔して出場するのは一体なんだろう。
同性愛や思想信条の自由などありえないという国もある。
しかもそのような国のひとつが次回の冬季オリンピックの開催国なのだから大いに嘲笑えるところでもある。

スポーツ選手はストイックで記録への飽くなき挑戦をしているからといって、例えばドーピングや人体改造、国籍変更までして出てくるのもストイックなのか。
そういうことをさせてしまう背景があるようなイベントになにか特別な良いことがあるのか。
ここは冷静に考える時期でもあるような気がする。

このような心情になってしまったのはジュールズ・ボイコフ著「オリンピック秘史 120年の覇権と利権」(ハヤカワ書房)を読んだから。

オリンピックに関するノンフィクションは沢木耕太郎の「オリンピア」以外はあまり読んだことがなかった。
あまり関心がなかったのといい本に巡り合わなかったからだが、今回この本を見つけてクーベルタン男爵以来の近代オリンピックの表と裏が描かれているので買い求めたのであった。

それにしても驚き満載なのであった。
オリンピックには知らないことが多すぎて、これらを知ったらとてもじゃないが開催したいなんてもとより誘致なんかお断りだ、となってしまうに違いない。
その点、日本はノーテンキなのだろう。
来年の冬季オリンピックが中国という現在の世界で最も問題のある国家で開催されるのは究極の選択であったことも初めて知った。
なんと北京が選ばれたときは他にカザフスタンのアルマトイしかなかったという。
どちらも人権や思想信条の自由に大きな問題を抱え、オリンピック開催には適していない。
にもかかわらず北京が選ばれたのは、そのままであれば開催地が決まらないことと北京は夏の大会の経験があったことだという。
では、他の都市はどうだったのかというとオスロやストックホルムが上がったがほとんど全部が地元の反対にあって頓挫したからだという。

オリンピックはお金がかかりすぎ地域にとって何らメリットがないといのが現在のオリンピックに対する考え方の主流なのだ。
現に黒字の大会など一度もなく大金が動く割に儲かるのはIOCのみで、開催都市は持ち出しばかり。
今回の東京大会も同様である。

女性蔑視発言が問題になったが近代オリンピックの父として讃えられるクーベルタン男爵は実は女性差別者で女性のオリンピック参加を死ぬまで否定し続けたことも驚きであったし、様々な芸術的パフォーマンスも展開するオリンピックのスタイルを作り上げたのはナチスドイツであったことも改めて認識することになった。
デンバーの冬季オリンピックは住民投票まで実施され大差でボツにされた最初のオリンピックとなったことも、オリンピックのスポンサー企業は税制優遇があるらしいが、その優遇されたものは社会には還元されないこと、開催費用があまりに高騰しているのでテレビ放送権も高騰して、その権利を売らないと開催できないので高額な放送料を払えない途上国ではオリンピックは放送されないという異様な事態にもなっている。

オリンピックってどうなのよ、と考えてしまう一冊なのであった。







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