経済学と付加価値
以前、「働く」という事は「端を楽」にする事と書きました。タクシー会社は乗客を楽にしています。杖のメーカーは足の悪い人を楽にしています。
むかしから「駕籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」などと言いますが、籠を担ぐ人や草鞋を作る人がいて、駕籠に乗って楽をできる人がいるわけです。
籠に乗る人は駕籠かきに料金を払い、駕籠かきは草鞋を買います。
付加価値というのはそうした仕事をする人の仕事の価値です。基本的には、人件費が付加価値なのです。
しかし、駕籠かきはまず駕籠を持たなければなりません。駕籠を買うことは投資で資本支出です。それを担いで働いて、もらった料金を全部使ってしまうと、駕籠が壊れてしまった時新しい駕籠が買えません。駕籠が5年もつとすれば、5年のうちに新しい駕籠を買うだけのお金を貯めておく必要があります。これが原価償却費です。
さらに、上等の駕籠なら、もっとお客が取れえると考えれば、もう少しお金を貯めて、上等な駕籠にして、より多くお客を稼ごうと考えるかもしれません。
上等な駕籠を買うことも新しい投資です。稼いだ金は、自分の賃金と駕籠という資本を所有するためのカネ(投資資金、留保利益)の両方に分けておく必要があります。
こうして、付加価値は人件費と資本費(利益+減価償却費)の合計という事になります。
こういう経済は端を楽にする人間中心の労働経済です。
これに対して、もう一つの経済があります。金融商品を売買して、その値上がり値下がりという価格差でさやを取るビジネスです。
本来、株を買うというのは、その会社が利益を上げ、配当を支払うから、その配当を当てにしてた行動だったのでしょう。
しかし、株価は上下します。そこで、その上下を利用して、安い時に買って、高くなったら売る、高くなったら売って、下がった時買い戻す、というビジネスが発生します。
これはマネーゲームです。
これで売買益が出て、それを自分への人件費とパソコン購入という投資に振り向ければ、そこで付加価値の計算が可能です。しかしこの場合、本当に付加価値が生まれているのでしょうか。端が楽になっているのでしょうか。
以前、「働く」という事は「端を楽」にする事と書きました。タクシー会社は乗客を楽にしています。杖のメーカーは足の悪い人を楽にしています。
むかしから「駕籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」などと言いますが、籠を担ぐ人や草鞋を作る人がいて、駕籠に乗って楽をできる人がいるわけです。
籠に乗る人は駕籠かきに料金を払い、駕籠かきは草鞋を買います。
付加価値というのはそうした仕事をする人の仕事の価値です。基本的には、人件費が付加価値なのです。
しかし、駕籠かきはまず駕籠を持たなければなりません。駕籠を買うことは投資で資本支出です。それを担いで働いて、もらった料金を全部使ってしまうと、駕籠が壊れてしまった時新しい駕籠が買えません。駕籠が5年もつとすれば、5年のうちに新しい駕籠を買うだけのお金を貯めておく必要があります。これが原価償却費です。
さらに、上等の駕籠なら、もっとお客が取れえると考えれば、もう少しお金を貯めて、上等な駕籠にして、より多くお客を稼ごうと考えるかもしれません。
上等な駕籠を買うことも新しい投資です。稼いだ金は、自分の賃金と駕籠という資本を所有するためのカネ(投資資金、留保利益)の両方に分けておく必要があります。
こうして、付加価値は人件費と資本費(利益+減価償却費)の合計という事になります。
こういう経済は端を楽にする人間中心の労働経済です。
これに対して、もう一つの経済があります。金融商品を売買して、その値上がり値下がりという価格差でさやを取るビジネスです。
本来、株を買うというのは、その会社が利益を上げ、配当を支払うから、その配当を当てにしてた行動だったのでしょう。
しかし、株価は上下します。そこで、その上下を利用して、安い時に買って、高くなったら売る、高くなったら売って、下がった時買い戻す、というビジネスが発生します。
これはマネーゲームです。
これで売買益が出て、それを自分への人件費とパソコン購入という投資に振り向ければ、そこで付加価値の計算が可能です。しかしこの場合、本当に付加価値が生まれているのでしょうか。端が楽になっているのでしょうか。